2009年9月2日

赤坂太郎 文藝春秋8月号

鳩山更迭で始まった自民融解

http://bunshun.jp/bungeishunju/akasakataro/0908.html

麻生で戦えるのか――。泥舟と化しつつある自民党「断末魔の叫び」――

一九五五年の結党から五十有余年、日本の政治史に輝かしい足跡を残してきた自民党が、いままさに融解しつつある。
 六月二十四日深夜、元首相・安倍晋三が、人目を忍んで首相公邸に車を滑らせた。安倍は首相・麻生太郎と向き合うと、三十分間一気にまくしたてた。
「“決断できない首相”は、断固避けるべきだ。ここまできたら打てる手は、すべて打つしかない」
 安倍は、党役員人事・内閣改造をした上で、衆院の早期解散を決断するよう強く訴えたのだ。翌日未明、安倍の携帯電話には、麻生から「きょうはありがとうございました」とのメールが入った。そして、その日夕刻、日本記者クラブで会見した麻生は、安倍の進言を受けて、草稿にはなかった文言を口にした。
「解散の時期は言えないが、そう遠くない日だ」
 自ら原稿に殴り書きした言葉だった。
 この瞬間から、総理の「人事権」と「解散権」を巡って、自民党内で激しい綱引きが開始された。
 麻生の意中の幹事長は、党選対副委員長・菅義偉(すが・よしひで)だった。だが、当選四回に過ぎない菅が麻生の“振り付け役”となっていることへの不満は、ベテラン議員を中心に沸点に達していた。「大体、菅のいうことを聞いているからおかしくなった」。昨年来、菅が解散の先送りを進言してきたことへの批判が再燃したのだ。幹事長・細田博之が所属する町村派の元官房長官・町村信孝は、二十五日夜、麻生に直接電話して釘を刺した。
「(人事は)派として認められない」
 これより二日前、宮崎県庁に県知事・東国原英夫を訪ねた自民党選対委員長・古賀誠は、三顧の礼で「総選挙に自民党から出馬してほしい」と懇願した。古賀が示した条件は、「比例一位」などによる東国原の当選保証だった。だが、自民党の足元をみた東国原は「自分を総裁候補として迎えてくれるなら」と応じた。
 当然のごとく、自民党内では猛烈な反発が渦巻いた。元財務相・伊吹文明が「輸血の際に違った血液型を入れれば、人体は頓死してしまうことになる」と言えば、元副総裁・山崎拓も「地方自治を訴える知事が、任期も全うしないのはおかしい。宮崎県民への裏切り行為だ」と不快感を露にした。だが、お笑い芸人に頼らなければならないほど、自民党の危機が深刻なのもまた、事実だった。
 自民党融解の流れを一気に加速させたのが、前総務相・鳩山邦夫の更迭劇だった。日本郵政社長・西川善文を交代させるか、鳩山を更迭するか。この問題をめぐって露呈した「麻生のブレ」が内閣支持率を急降下させた。
 三月の段階では、麻生が西川の交代を念頭においていたのは間違いない。麻生はご丁寧にも、複数の後継候補者を記した書簡を鳩山に送っていた。しかし、こうした動きを察知した元幹事長・中川秀直や元総務相・竹中平蔵らの動きは早かった。元首相・小泉純一郎らも巻き込み、日本郵政と財界側への根回しを終え、五月十八日には、指名委員会が全会一致で西川を含む役員の続投を決めた。
 さらに、安倍や菅も参戦し、「けんか両成敗で西川を切るのはだめだ」と麻生説得に努めた。麻生には、二月の苦々しい記憶がまだ鮮やかに残っていた。郵政民営化に「実は賛成ではなかった」と軽口を叩き、小泉の激しい怒りを買い、内閣支持率が急落していた。まして、鳩山由紀夫に代表が代わった民主党への支持率が回復し、政権交代が現実味を増すなかで、「小泉対反小泉」の党内抗争が再燃すれば、虎の子の「解散権」すら行使できなくなる。
■麻生が鳩山に抱いた疑念
 六月五日夜、首相公邸。人眼を忍んで向かい合った客人、鳩山に、麻生はとっておきの最高級ブランデーXOをふるまった。麻生は二杯、鳩山は三杯あけた。
「この件はオレに預けてくれ」
 麻生は、総裁選で自分の選対本部長を三度にわたって務めてくれた盟友に妥協を迫った。だが、鳩山が首を縦に振ることはなかった。鳩山は「あなたと出会えて感謝している。充実した日々だった」と告げた。事実上の決別宣言だった。
 鳩山には、たとえ更迭されても自分の傷にはならない、という計算があった。
「世論は自分に味方するだろう。離党、新党を含め、選択肢はむしろ広がる」
 六月十二日、辞表を提出した鳩山は東京・谷中霊園の鳩山家の墓前に向かった。祖父の自民党初代総裁・鳩山一郎、父の元外相・威一郎に辞任を報告したのだ。その後、都内の病院で、この日に誕生した孫の男の子と対面し、「名前は正義かな」と笑った。
 一連の経緯を追えば、日本郵政の社長人事で麻生と鳩山が最終的に折り合わなかったという図式だ。しかし、実態はそう簡単な構図ではない。麻生が鳩山更迭を決断したのには、別の大きな理由があった。鳩山が倒閣を目論んでいるのではないか、ポスト麻生を狙っているのではないか――。そうした強い疑念を麻生が抱いたからにほかならない。
 実は、妥協案を探る過程で、「麻生が内閣改造に踏み切り、鳩山を幹事長に起用する」との案が浮上していた。西川を残して鳩山はいったん切るが、鳩山を幹事長として生き返らせるという苦肉の策である。麻生サイドによれば、鳩山はこれに乗る姿勢をにじませたという。
 だが同時に、麻生の耳には、鳩山が周辺に発した様々な発言が届いていた。「最終的に麻生には決めることはできないんだよ。決めるのはオレだ」。「オレを罷免なんかしたら即新党だな。五人ならいまでもOKだ。政権末期というのはやはりこういう空気になる」。
 鳩山の言葉を、麻生は決して許すことができなかったのだ。
■自民党融解の胎動
 当面、麻生にとっての政治決戦は、七月十二日投開票の東京都議会議員選挙となった。麻生は、すべての候補者事務所に応援に入る異例の日程を組ませた。だが、候補者側からすれば、いわば押し売りのようなものだ。
「初めてナマ麻生をみた人? 実物のほうがいいと思った人?」
 毎度変わらぬセリフを連発する姿が周囲の失笑を買う。それでも麻生は、表向き強気の姿勢を崩すことはない。バー通いも続けており、朝の散歩も早足でこなす。重要課題に「オレが決めた」と胸を張るスタイルにももちろん変化はない。
 鳩山辞任の二日前、温暖化ガス削減の中期目標を二〇〇五年に比べ二〇二〇年までに「一五%削減する」との国家目標を決め、自らが記者会見したときもそうだった。直前まで事務方は一四%削減の線で準備を進めていたが、麻生の「一ポイント加えて一五%だ」との一声で数字が変わった。これには伏線があった。五月二十八日、英国のブラウン首相との電話会談で、麻生は「世界トップの省エネルギー大国として、恥ずかしくない中期目標を公表する」とぶちあげていたのだ。麻生の決断にあわてた周辺が、「中期目標を発表するからには、政権も長期でなくてはなりません」と水をむけると、すかさず「バカ、そんなの決まってるだろ。二〇二〇年もオレの政権かもしれんぞ。ガハハ」と応じていた。
 持ち前の明るさは、この時点までは健在だったのだ。
 だが、盟友・鳩山の離反以降、若手を中心に総裁選前倒しを求める声が起き、麻生おろしは徐々に本格化した。
 六月十六日、極秘に国会図書館の一室に集まった元首相・森喜朗、安倍、町村ら町村派幹部の会合。表向き「麻生政権を支えるために結束を図る」ことで一致したが、話題の中心となったのは、同じ派閥の中川秀直の動向だった。派閥の例会と同じ時間に会合を重ねる中川へのいらだちはピークに達していた。
「都議選の結果いかんでは、中川が新党結成の動きに走る可能性がある。清和会(町村派)のなかで追随するものは抑えられるが、元幹事長・武部勤が一緒になって、小泉チルドレンが集団離党しようとしたら、それは抑えられない……」
 小泉チルドレンのうち比例当選で議席を得た四十七人のなかで、北海道一区での出馬を目指しながら断念に追い込まれた杉村太蔵に象徴されるように、当選見込みがゼロに等しい者は少なくない。新党に移って当選可能性を探ろうとする者が出てくるのは道理にかなっている。また、自身の選挙区があっても民主党候補にかなわないと見切りをつける議員も、中川の指にとまるかもしれない。
 六月二十六日、それまで政局的発言を封印してきた中川が、狼煙(のろし)を上げた。北海道函館市での講演で「自分の政権が終わっても、自民党政権が続くようにすることこそが、総理、総裁としての名誉ある決断だ。福田康夫前首相はそう決断した」と、公然と麻生退陣を求めたのだ。
 今年一月に自民党を離党した元行革相・渡辺喜美も、無所属の衆院議員・江田憲司とともに、「国民運動体 日本の夜明け」を新党に結びつけようとしており、これには、自民党衆院議員・長崎幸太郎、民主党参院議員・浅尾慶一郎が同調するとの見方がある。さらに渡辺は「まだ現職のなかに隠れ同調者がいる」として、政党要件を満たす五人を目指している。
 中川と渡辺には霞が関改革、地方分権という共通項があり、両者が手を結んで第三極をつくる可能性もある。さらに、中川との連携を模索する大阪府知事・橋下徹がもくろむ首長連合も、同じ看板を掲げて新党に突き進むこともありうる。
 そして、自民融解の導火線に火をつけた鳩山邦夫の周辺にも、いつでも行動を共にする「鳩山五人衆」と呼ばれる代議士がいる。鳩山に追随して厚生労働政務官を辞任した戸井田徹、吉川貴盛、河井克行、田村憲久、馬渡龍治だ。さらに自民党代議士会で麻生に“大政奉還”をつきつけた古川禎久らもいる。
 邦夫は二度目の党首討論が行われた六月十七日の前夜、兄・鳩山由紀夫の携帯電話を鳴らした。
「日本郵政の問題はとりあげるのか?」
「わが党のなかには、取り上げないほうがいいという論も強いんだ」
 しかし兄は、翌日の党首討論で「総理は間違ったほうを切られた」と、弟の気持ちを代弁した。さらに、「鳩山政権が実現すれば、西川社長には辞任して頂くことになる」と述べた。弟が新党を作り、兄の民主党と手を結ぶ「兄弟連携」の芽を感じ取った議員も少なくなかった。
 中川新党、渡辺新党、橋下新党、さらに鳩山新党……。こうした動きが現実のものとなるなら、その時点で自民党はもはや泥舟と化し、民主党と政権を争う政党の体裁さえ失ってしまうことになる。
 そして六月二十九日夜、元首相・小泉は、中川秀直、武部とともに、小泉チルドレン約二十人と会食した。前日、地元の横須賀市長選で自身が応援した現職が敗れたこともあり、小泉はビールを手に「野党になることもあっていいんじゃないか」と話し、いつもの力強さはなかった。一方、中川は「集団自殺みたいなことはできない。麻生さんには降りてもらうのが一番だ」とボルテージを上げた。中川らに対抗する麻生の唯一の武器が「解散権」だ。だが、たとえ自身の手で解散を打てたとしても、勝算はない。自民融解の流れを早めるだけだ。
 一方の民主党。代表・鳩山由紀夫は、自分に向けられている支持者の視線の明らかな変化を感じている。単なる野党党首でなく、“次期首相候補”として自分は見られている。遊説先で色紙に揮毫を求められる機会も増えた。六月二十日、仙台で立ち寄った地元名物の牛たん屋では、「牛愛、友愛」と筆を走らせて、周囲の笑いを誘った。
 自身の資金管理団体の政治資金収支報告書に故人からの献金が記されていた問題が、唯一の懸念材料ではあるが、心配された党内運営も軌道に乗った。政権交代を現実のものとするために、民主党では「麻生をもたせろ」が標語になっている。麻生政権のままで総選挙に突入すれば、勝利は揺るがないとの目論見からだ。役員室長・平野博文ら党首討論の対策にあたるチームも、「あまり麻生を追い込んではダメです」とアドバイスを送るほどだった。
 代表代行・小沢一郎も健在だ。西松建設からの献金をめぐる裁判で、検察の冒頭陳述で「天の声があった」と指摘されても、どこ吹く風で地方行脚を続けている。小沢は、連合幹部に「オレが代表を退いてから都市部の支持が持ち直した」と嘯(うそぶ)き、得意の候補者事務所の抜き打ち視察もこなしている。幹事長・岡田克也も、「幹事長になって、政権を取る前に太ってしまった」とぼやきつつ、自宅でジョーバにまたがって政権構想を練る。
 日本の政治の歯車が大きく動く瞬間が刻一刻と迫っている。(文中敬称略)

2009年7月6日

赤坂太郎 文藝春秋7月号

小沢辞任で追い詰められた麻生首相
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小沢主導で誕生した鳩山民主、もはや自民に勝機はないのか――

「総理大臣としてふさわしいのはどちらか。どちらの政党に政権を担う力があるのか」
 五月二十七日、首相・麻生太郎の普段よりもやや甲高い声が、与野党議員の立ち見の聴衆に埋め尽くされた参院第一委員会室に響いた。昨年十一月以来、半年ぶりに開かれた党首討論での麻生の相手は、十六日に就任したばかりの民主党代表・鳩山由紀夫だった。
 麻生はいきなり鳩山に、“党首力対決”を挑んだ。二人の顔合わせは、戦後間もないころに激しい権力闘争を演じた、麻生の祖父・吉田茂と鳩山の祖父・鳩山一郎の対決とも重なる。麻生はこの日に向けて、当面の国会運営の大きな節目と睨み、綿密な準備をして臨んだ。自民党は当日の読売新聞朝刊に「鳩山代表に質問です。」と大書した全面広告まで出し、鳩山民主党に“宣戦布告”を発していた。
 鳩山が党首として首相を相手に論戦を挑むのは、四人目のことだった。九九年から三年あまり務めた代表時代に、小渕恵三、森喜朗、小泉純一郎との党首討論に臨んだ。しかし、党内からは「突っ込み不足で、おぼっちゃんの言葉遊びだ」と酷評されていた。それだけに、今回の党首討論への鳩山の意気込みはかつてとは比べようもないものだった。マスコミからのインタビュー依頼をすべて断り、側近と想定問答の作成に時間を費やした。
 討論の最初こそ、鳩山の過度の緊張が伝わってきたが、後半になると、麻生政権を「上から目線の政治」だと切って捨て、「麻生政権は官僚主導。我々は税金を払う側に立って政策を作る」と、ひたすら政権交代を訴えた。聴衆の応援団も野党側の声が大きく、おぼっちゃんらしからぬ鳩山の迫力が麻生を上回った――。
■辞任までブレた小沢
「衆院選で政権交代を達成するために、自ら身を引くことで民主党の団結を強め、挙党一致をより強固にする」
 五月十一日午後五時、民主党本部で緊急記者会見を開いた小沢一郎はようやく代表辞任を表明した。西松建設からの違法献金事件で公設第一秘書・大久保隆規が三月三日に東京地検特捜部に逮捕されてから、実に六十九日も経ってからの決断だった。小沢はわずか十分間の声明のなかで、「挙党一致」、「挙党態勢」と、「挙党」というフレーズを六回も繰り返した。
 会見中、その小沢が気色ばんだのは、質疑で記者から離党と議員辞職の可能性を聞かれたときだった。
「どうして離党とか、議員辞職の必要があるのか。政治資金の問題についても、一点のやましいところもない。政治的な責任で身を引くわけでもない」
 自分は違法献金事件の責任を取ったわけではない。来る衆院総選挙に向けて、民主党が勝てる態勢を敷くためにあえて身を引くのだ、との論理だった。大久保の起訴を受けて代表続投を表明した三月二十四日の会見で涙を浮かべていた男が、この日は辞任会見にはそぐわない笑みを何度も浮かべた。
 大久保の起訴以降、党の内外からは日に日に小沢への辞任圧力が増していた。「辞めどきを失ったのではないか」という見方も広がり始め、小沢が代表のままのほうが総選挙には有利に働くと見るや、自民党も激しい小沢批判をむしろ控える戦術を取っていた。
 夜の会合で自民党と民主党の議員が一緒になると、しばしば「イチローと一郎の見分け方」という怪文書が話題になった。「ヒットでやったというのがイチロー、秘書がやったというのが一郎」、「国民の期待にこたえるのがイチロー、国民の疑問にこたえないのが一郎」、「燃えるのがイチロー、火だるまなのが一郎」……。民主党議員は苦笑いで応じるしかなかった。
 その小沢は表向きは強気の姿勢を崩さなかった。五月一日のメーデー、小沢は札幌大通公園で八千人の聴衆を前に、「政権交代に向け、自分自身が朽ちるまで、その使命を達成することを約束する」と、続投を強調した。
 翌二日、都内の料理屋で小沢と向き合った鳩山も、こう元気づけた。
「党首討論や地方遊説の再開で、説明責任を果たしていないという批判を跳ね返すことができるはずです」
 小沢も鳩山の言葉にうなずいた。
「よしわかった。やろうじゃないか」
 だが、翌三日、再び小沢に呼び出された鳩山は、一瞬わが耳を疑った。
「この際、一歩退くことに決めた。党の結束のためには、やはり自分が身を引いたほうがいいだろう」
 小沢は淡々とした口調ながら、ややゆっくりした言い回しで切り出した。
「できるだけ影響が出ないようにしたい。五日に常任幹事会と両院議員総会を開いてほしい」
 小沢が新体制作りを急ごうとしたのには訳があった。自らが代表の座を引いても、影響力を残すことをまず優先させなくてはならない。小沢の意図は明白だった。言葉にこそ出さなかったが、鳩山を中心とした新体制が一番都合がいい。そう判断していることは、小沢の表情からにじみ出ていた。
 鳩山は小沢の意向を誰にも伝えることができなかった。小沢が翻意する可能性がちらついたからだ。一昨年秋の福田政権との大連立構想が失敗に終わったことで、プッツンした小沢は会見で辞任表明するも、党内の慰留を受けて翌々日に辞意を撤回した。今回もそうしたことがあるかもしれない。
 果たして鳩山の予感は的中した。
「辞めるのは、止めた」
 やはり、小沢はブレていたのだ。小沢が辞意を漏らしたという“異変”を察知した小沢周辺が、必死の慰留工作を展開した結果だった。この幻の辞任劇は後に、連休中に地元の予定を組んでいた議員が多く、常任幹事会を緊急招集しても集まれないので見送ったのだ、と説明されることになる。
 しかし、九日土曜日の午後、再び小沢の決断を促す決定的な出来事があった。小沢が心を許す数少ない財界人のひとり、京セラ名誉会長・稲盛和夫が小沢に会い、「党内は厳しい空気だ」と面と向かって伝えたのだ。
 実は、その直前に稲盛に面会した政治家がいる。民主党最高顧問の藤井裕久である。藤井はこの日午前、東京・八重洲の京セラ事務所を訪ね、「党内の八割は辞任論になっている。このままでは小沢さんも浮かばれない」と、率直に伝えていた。
 小沢は翌十日夜、「明日、辞任する」と、鳩山に短く伝えた。
 十一日の辞任表明当日。鳩山は、午前九時過ぎ、衆院予算委に出席していた代表代行・菅直人の携帯を鳴らす。
「きょう午後には、小沢代表自身が辞任を表明します。長い一日かもしれませんが、よろしくお願いします」
 菅は鳩山の言葉に驚きを隠そうとしなかったが、同時に、代表への意欲がわきあがる興奮を感じ取っていた。

■菅の高揚と岡田の誤算
 この日夜、グランドプリンスホテル赤坂で開いた菅グループの会合で、菅はこれまで腹にため込んでいた小沢批判の言葉を容赦なく吐きだした。その激しさに、菅グループの議員ですら圧倒された。
「(後継が)鳩山になったら小沢の傀儡(かいらい)といわれる。小沢がかごで、鳩山はかごの中の鳥にすぎない」
 そして、こう付け加えた。
「おれが(代表を)やったほうがいいのかな」
 しかし、菅を新代表にという声は広がりを見せなかった。小沢の意中の後継は鳩山との情報がすぐに駆け巡ったからだ。小沢が菅ではなく鳩山を選んだのには伏線があった。小沢の秘書・大久保が起訴される直前、菅は小沢に「選対本部長をやってはどうか」と、暗に代表辞任を促していた。小沢の胸には、この一件が菅への強い不快感となって刻まれていたのだ。
 小沢は短期決戦のシナリオを描き、辞任表明から五日後の十六日土曜日には新代表選出という日程をすでに決めていた。小沢と距離を置く議員の間からは、副代表・岡田克也の待望論が公然と出始めていた。岡田には投票までの時間を与えたくない。週末のテレビの討論番組で「岡田VS鳩山」を何度も繰り返されたら、鳩山には不利に働くとの読みがあった。また投票権は衆参の国会議員にだけ与え、地方の党員やサポーターには投票権を与えない方針も決めた。世論調査では鳩山を上回る人気の岡田だけに、総選挙の顔として一気に岡田支持の流れができてくる可能性を恐れたのだ。
 辞任表明翌日の十二日、小沢は党本部で開かれた役員会で頭を下げた。
「三年間、ふつつかな私にご支援をいただき、心から感謝を申し上げます」
 しかし、しおらしさを見せたのはここまでだった。小沢執行部から選挙日程と投票資格が示されると、“反小沢”の議員から異論が噴出した。広報委員長・野田佳彦、国対委員長代理・安住淳、政調会長代理・長妻昭、同・福山哲郎が「党員やサポーターにも投票資格を与えるべきだ」と主張すると、小沢は周りにもはっきりと聞き取れる声で、四人を恫喝した。
「四人はいつも反対、反対って。最後くらいいうことをきいたらどうなんだ。野田、安住、長妻、福山は“何でも反対組”だ」
 名指しで言い放ち、鋭い視線を突き刺した。“剛腕小沢”の復活だった。
「毎度、お騒がせしております。小沢一郎です」
 五月十三日、小沢は長野県飯田市にいた。東京にいれば裏で動いていると勘繰られるからと、地方行脚を再開したのだ。衆院選の新人候補・加藤学の応援で、小沢はお決まりの挨拶を述べた後、「政権交代を実現して、官僚政治に終止符を」と訴えた。
 翌十四日には、岐阜県多治見市へ。元郵政官僚の新人・阿知波吉信の応援に入ったが、乾杯まで待てず、予定を切り上げて東京へ戻ると、小沢は個人事務所にこもる。自ら電話で多数派工作を展開するためだった。「岡田の追い上げがきつい」。側近からの電話連絡に自ら腰を上げざるを得なかったのだ。結局、小沢は五時間あまりにわたって、自ら受話器を握り続けた。
 さらに鳩山陣営は「鳩山代表なら岡田は幹事長に起用」との情報を流し、鳩山代表の流れでも致し方ないとの空気を醸成させた。
 代表として最後の日となった十五日夜、東京・赤坂の地中海料理店「月の市場」。小沢は秘書ら事務所スタッフをねぎらう気遣いをみせた。献金事件が明るみにでてから、初めての機会だった。小沢はビールを片手に「いろいろみなさんにも苦労をかけた」と短く述べただけだが、翌日の代表選への自信はにじみ出ていた。
 十六日未明時点で、ANAインターコンチネンタルホテル東京三十六階に設置された岡田選対の票読みは「鳩山一〇一、岡田九三、不明二七」。衆院ではやや優位にまで浸透したものの、参院では約三十票の差が埋まらないとの分析だった。岡田からすれば、前原誠司を当選させた〇五年の代表選と同じく、投票直前の候補者演説によって劣勢を覆すしか、もはや道は残されていなかった。当時、前原は中学時代に裁判官だった父を亡くした過去に触れ、「高一から奨学金を受け取り、大学も奨学金で勉強させていただいた。誰でもチャンスをつかめる社会にする。人に温かみのある政治が必要だ」と、訴えた。議員の心を捉え、前評判を完全に覆して、僅か二票差で優勢だと思われた菅を破ったのだ。
 そして東京・虎ノ門のホテルオークラを舞台にした民主党両院議員総会。今回も、前評判を覆すドラマを岡田は目論んでいた。
「いま求められていることは、新しいリーダーの下で新しい民主党を始めることだ。岡田民主党でなければ、政権交代は実現できない」
 渾身の気持ちを込めた言葉は、所属議員に響いたかに見えた。岡田もこの瞬間には手ごたえを感じ取っていたはずだ。しかし、後から演説した鳩山もキレを見せた。
「天下を取ることは小事に過ぎず。愛を貫き、背筋を伸ばすことのほうが大事なのです」
 岡田が不運だったのは、この後さらにディベートの時間が三十分あったことだ。司会の白鴎大学教授・福岡政行の間延びした采配に、場の緊張感がゆるんでいくのを肌で感じ取っていた。岡田にとっては大きな誤算だった。
「総投票数二二〇、鳩山由紀夫一二四票、岡田克也九五票」
 サプライズはなかった。

■選挙の実権はどちらに
 新代表に就いた鳩山は早速十六日夕、岡田の携帯を鳴らし、執行部入りを打診した。岡田は「新体制で世論の評価が決まる。拙速でなく、慎重にされた方がいい」とだけ答えた。岡田が「権限のない幹事長ならやっても仕方がない」と言っていることを聞いていた鳩山は、一定の手ごたえを感じつつ、ひとつくぎを刺した。
「郵政民営化の件は大丈夫ですね」
 国民新党と共闘する民主党は党として民営化見直しの決定をしており、民営化論者である岡田が火種になりかねなかったからだ。実は、三日前の早朝五時、米国出張中の国民新党代表代行・亀井静香から国際電話で「原理主義者の岡田(の幹事長起用)はだめだ」と横やりが入っていた。岡田は鳩山に「それは大丈夫です。党の決定に従います」としながら、逆に「小沢さんをどうされるつもりですか?」と聞くことを忘れなかった。鳩山にとっても、新体制で小沢をどう処遇するかが最大の関門だった。
 翌十七日午後五時過ぎ、鳩山はホテルニューオータニの一室で小沢と向き合った。
「総選挙対策の責任者をお願いしたい。勝利に導いてほしい」
「私に候補者の公認、選挙資金を任せていただけるなら、やらせてもらう」
 鳩山は「それならこの場で、はっきり決めましょう」と、岡田の携帯を鳴らした。「正式に幹事長をお願いしたい。小沢さんには選挙を取り仕切る代表代行をお願いします」と告げたうえで、小沢に電話を渡した。電話をつないでの、事実上の三者会談が詰めの協議の場となった。岡田も、小沢院政の批判をかわすためには小沢を役につかせた方がいいと考えて、最後は折れた。
「公認や選挙資金の権限に自分がこだわるわけではない。私も(幹事長として)、意見は言わせてもらいますから」
 十九日夜、東京・赤坂の四川飯店。代表代行に就任した小沢を鷲尾英一郎ら衆院一年生議員が囲んだ。六十七歳の誕生日を目前にグッチのネクタイを贈られた小沢は、ビールを片手に上機嫌でテーブルを回り、檄を飛ばした。
「八月のお盆前には総選挙があるだろうから、とにかく大衆の中に入っていけ」
 一方の岡田も元気だ。これまで自らのグループを作ってこなかった岡田だが、陣営の打ち上げとなった二十日のホテルニューオータニには、五十人を超える議員が集まり、「次(の総理)は岡田だ」という声がとんだ。
 鳩山が掲げる「挙党一致」「総力戦」の水面下で、小沢と岡田の綱引きも始まろうとしている。
■麻生が逡巡する理由
 鳩山民主と対する麻生。小沢辞任直前に行われた五月のNHKの世論調査では、内閣支持率が三五パーセントにまで上昇していた。一時は自粛していたホテルのバー通いも復活し、連休前には「総選挙で麻生と小沢、いずれが負けても大連立の密約がある」との怪情報も出回り、麻生は「主導権は我にあり」と信じて、葉巻をくゆらせる表情にも余裕が戻っていた。
 小沢が辞任を表明した後も、後継と目される鳩山に「小沢傀儡」のイメージがつけば、主導権を握り続けられると考えていた。五月十二日に、官房副長官・鴻池祥肇が連休中に人妻と不倫旅行に出掛けていたというスキャンダルが発覚しても、麻生はどこ吹く風だった。観念して緊急入院した鴻池から辞任の申し出があった時も、「厳重注意でいい」と切り抜けようとした。世論の厳しい反応が政権を直撃することを恐れた官房長官・河村建夫が、「ここは泣いて馬謖を斬るということです」と説得して、結局折れた。それでも、翌十三日、麻生は国会内で記者団に鴻池の任命責任を問われて、「健康まで任命責任になるのか」と白を切った。
 緊張感に乏しかった麻生も、民主代表選後の世論調査の結果を見てさすがに凍りついた。十八日、各紙の朝刊に、麻生よりも鳩山が首相にふさわしいとの数字が出たのだ(朝日新聞では、麻生二九%対鳩山四〇%)。代表選で予想通り岡田が敗れ、ホッとしていた矢先だけに、麻生は我が目を疑った。
 自民党総務会長・笹川堯は「新装開店した店にお客が集まるのは当たり前だ」と呟いたが、その言葉に力はなかった。一方、麻生を気遣う前首相・福田康夫は、官房長官の河村を議員会館の自室に呼び入れて、「官邸では感じにくいかもしれないが、民主党への期待感が戻っている。引き締めてかからないと危ない。油断しないほうがいい、と総理に伝えて」と助言した。
 西松事件発覚以降、遠のいていた「政権交代」の四文字が俄かに現実味を帯び始めてきた。そうした最中に行われた党首討論で、鳩山はさらに点数を稼いだ。
「ちょっとこれでは総選挙を仕掛けるという感じではないな」
 参院第一委員会室を後にする自民党議員からは、そんな声が漏れた。
 それでも麻生は努めて平静を装う。
「麻生は首相でいることを、楽しんでいるのだから仕方がない」と周辺は言う。首相としての麻生が最も引き締めた表情をつくるのは、内奏に向かうときだと周辺は見る。内奏は、首相がときのテーマについて天皇陛下に報告をする行事だが、当然ながら内容は一切、表に出ることがない。
 官房副長官の交代劇があった十三日にも、麻生は宮中に向かった。首相に就任してから六回目の内奏で、通例三十分程度だが、この日は一時間にも及んだ。そのため、「衆院解散の御名御璽(ぎょめいぎょじ)を頂くタイミングについても話が及んだのではないか」との憶測も呼んだ。
 麻生にとって首相を続けるための条件は、総選挙で与党過半数を獲得することだ。しかし自民・公明で過半数が得られるメドは依然立っていない。それどころか、民主党が代表選から一週間後の週末に極秘で行った選挙情勢調査で「民主党が単独過半数をうかがう勢いという結果が出た」との情報が官邸に入るや、麻生は蒼ざめた。これでは伝家の宝刀も抜くに抜けない。
 衆院議員の任期も残り三カ月を切ったいま、七月十二日投開票の東京都議会議員選挙とのダブル選挙を見送るなら、投票日は八月上旬か末かの選択しかなくなる。もはやそれは任期満了に等しい。
 麻生が信頼を置く元首相・安倍晋三や選対副委員長・菅義偉は「内閣改造によって人心の一新を図ったうえで、都議選との同日選挙で雌雄を決するべきだ」と強く進言した。しかし、肝心の麻生は、解散はおろか、内閣改造にさえ煮え切らない。麻生が逡巡する最大の理由は、総選挙の争点設定に自信がないからだ。四年前の総選挙で、小泉純一郎は「殺されてもいい」と、渾身の記者会見で、郵政民営化のワンイシューの争点作りをやってのけた。
 その点、今回は訳が違う。民主党に勢いが復活したなかで、世襲制限や衆院定数の削減くらいでは得点にならない。政権交代への静かな、しかし確かな期待感が底流に渦巻くなかで、総選挙が「政権選択選挙」とされるのでは、勝ち目はない。なんとか景気の回復を本格軌道に乗せ、経済の再生を図ることで、「政権担当能力を見てほしい」というのが麻生の本音だが、景気が上向くまでの道程は遠く時間が足りない。
 有権者の視線が厳しさを増す中で、一カ月後に迫った都議選が、当面の政治決戦の場となる。都議選はしばしば次の総選挙を占う先行指標となってきた。総選挙まで間もないこの時期の選挙は間違いなく、総選挙の結果を先取りするものとなるだろう。ここで自民党が大敗すれば、「麻生では戦えない」との声が再び強まり、九月末の総裁任期切れを前に総裁選の前倒しを求める声が噴き出す可能性もある。
 都議選の告示は七月三日。文字通り、暑い夏の陣の幕開けとなる。(文中敬称略)

赤坂太郎 文藝春秋6月号

「五月解散」菅vs.大島の暗闘
http://bunshun.jp/bungeishunju/akasakataro/0906.html
決戦の日はいつか。「総理の専権事項」をめぐり密会を重ねる参謀たち――

 薄紅色の八重桜が咲きこぼれる園内を、この日の主役が人の波を縫うように歩いていく。周囲に響く「ガハハ」という笑い声が機嫌の良さを物語っていた。恒例の首相主催の「桜を見る会」が四月十八日午前、一万一千人の招待客を集めて東京・新宿御苑で開催された。
 ホスト役は就任七カ月目の首相・麻生太郎。準大手ゼネコン・西松建設のトンネル献金事件で民主党代表・小沢一郎の公設第一秘書が逮捕されて以降、内閣支持率が上昇に転じたとはいえ、まだ二〇%台半ば。政権を懸けた民主党との衆院選決戦を前に、自民党内には「麻生では勝てない」との悲観論が依然くすぶっていた。二日前の山崎派総会での前副総裁・山崎拓の挨拶には党内の空気がよく表れていた。「家内に聞いたら『最後の園遊会になるかもしれないので行きたい』と言っていた。情けない限りだ」
 疫病神でも見るような冷やかな視線。普通の神経の持ち主であれば、とても花見気分に浸れる心境ではあるまい。だが、そこは良くも悪くも「嫌なことも一晩寝れば忘れる」(側近)という底抜けの楽天主義者。麻生は主催者挨拶で自作の短歌を披露した。
「『ふるさとに はや桜満つ ゆゑ問へば』……。冬が寒くなきゃ駄目、これが大事なところなんだそうです。『冬の寒さに 耐へてこそあれ』」
 冬の時代はもう終わり。これからは「経済の麻生」の花が開き、内閣支持率はさらに上昇する。衆院選に勝って長期本格政権だ――。そんな荒い鼻息が聞こえてくる。今なら勝てるかもしれない。麻生はそう考え始めていた。
 報道各社の世論調査をどう読むか。分析好きの元幹事長・伊吹文明は「内閣支持率三〇%以上」「政党支持率で民主に十ポイント以上の差」「比例代表の投票先で民主を上回る」の三つを自民党勝利の最低条件だと指摘する。それに照らせば、解散は時期尚早。自民党内の大勢も伊吹と同じ意見だった。
 だが、桜を見る会の九日前、麻生は側近の自民党選対副委員長・菅義偉に腹の内を打ち明けている。追加経済対策の決定を翌日に控えたこの夜、麻生はホテルオークラの一室に菅をひそかに呼んだ。
「大島ちゃんは民主党が補正予算の早期成立に抵抗するなら、すかさず解散に打って出る展開もあり得ると。確かに目下の国民の最大関心事は景気対策だから、小泉さんじゃないが『賛成か反対か、国民に問いたい』という手はあるよな」
 政府、与党は追加経済対策の裏付けとなる十四兆円の大型補正予算案を四月二十七日に国会に提出し、大型連休明けに衆院を通過させる日程を組んでいた。民主党が参院で徹底抗戦に出れば、元首相・小泉純一郎の郵政解散にならい、五月中に「補正解散」を仕掛けるという構想である。国対委員長・大島理森の進言を紹介する形ではあったが、麻生自身も大いに乗り気だったのは間違いない。
 この夜、菅が色よい返事をしていれば、麻生が一段と五月解散に前のめりになっていたことは想像に難くない。だが、菅は「そんなことはお考えにならない方がいい」と直言した。
 二世、三世が多い自民党内にあって、菅は裸一貫、自力で道を切り開いてきた文字通りのたたき上げ議員だ。その胆力と行動力は、同じく地方議員出身で遅咲きの元幹事長・野中広務が権力の階段を一気に駆け上った当時を彷彿とさせるものがある。
■大島が狙う抜き打ち解散
「どうしてだ」。案の定、麻生は途端に不機嫌になった。菅は選挙情勢から説き起こした。
 西松事件があっても民主党の支持率はさほど落ちていない。小沢のひざ元の東北地方で民主党の勢いが落ち、いい勝負になりそうな選挙区が増えてきたが、全国的な傾向はまだまだ自民党に厳しい。
「五月には定額給付金がほぼ全国に行き渡り、高速道路料金引き下げなどの景気対策も浸透する。選挙情勢はさらに好転している可能性が大きい」という麻生の見立てにも、菅は首を横に振った。
 五月中旬に発表される今年一―三月期のGDPは相当な落ち込みが予想され、「選挙どころではない」という世論になる。その中で補正予算成立を待たず解散に踏み切れば、麻生の「政局より政策」という看板は嘘だったのかと非難を浴びる。「民主党は政局優先で国民生活を考えていない」と攻撃しても「補正予算を廃案にしたのは、解散した麻生だ」と切り返される――。
 麻生が五月解散に心を動かしたのは「勝機あり」と判断したからだけではない。この機を逃せば、解散権を行使できないまま夏を迎え、麻生降ろしの動きが党内に広がるのではないか。その不安が背中を押していたのである。親分の心のツボを知る苦労人はこの夜も「麻生降ろしなど起きないし、起こさせない。必ず総理に解散を打ってもらいます」と確約することを忘れなかった。
 菅は週明けの十三、十四の両日、官邸に麻生を訪ね、さらに二日がかりで説得に努めた。選挙情勢を詳しく説明し、ジャーナリスト・田原総一朗の仲介で「反麻生」の急先鋒の元幹事長・中川秀直と勉強会をつくることも報告した。「麻生降ろしの芽は摘みますから、ご安心を」というメッセージだった。
 麻生は最後まで「五月解散断念」を明言しなかったが、「政策最優先の姿勢は必ず党内外の評価を高める」という親分顔負けの菅の楽観的な予想には、「そうかな」と相好を崩した。麻生は二十日、幹事長・細田博之と大島を官邸に呼び「補正予算案と関連法案の早期成立が景気の上で大事だ。ゴールデンウィークの谷間も審議に充て、一日も早い成立に努めてほしい」と指示を出した。とりあえず菅に乗った形だった。
 おもしろくないのは早期解散を進言してきた大島だ。大島にしても、厳しい選挙情勢を知らないわけではない。しかし九月の任期満了までに「補正解散」を上回るチャンスは訪れない、好機を逃すなという考えだった。
 官邸から戻った大島は筆頭国対副委員長・村田吉隆らに「衆院は五月一、七、八の三日間の審議で通過させる。参院には十五日の成立を目指してもらう」と厳しい表情で言い渡した。「場当たり、バラマキ、増税含みの補正予算」と批判し、本予算並みの審議を要求している民主党が飲むはずのない日程だった。激突国会になれば、出合い頭で何が起こるか分からない。昨年十二月に中川秀直の持つ自民党国対委員長在任記録(千百二十七日)を抜き、国会対策の「プロ中のプロ」を自任する大島は、抜き打ち解散をあきらめてはいない。
 この間、早期解散あり得べしの情報に右往左往していたのが公明党である。
 都議選と衆院選が重なっては困る。間隔が最低でも一カ月以上ないと、どちらの運動も中途半端になる。公明党執行部は学会上層部からそうきつく言い渡されていた。今回の都議選は七月十二日。公明党代表・太田昭宏や幹事長・北側一雄は「都議選前なら六月七日投開票まで。それ以降は絶対に避けてほしい」と麻生や自民党執行部に陳情を繰り返してきた。だが補正予算案や関連法案の審議紛糾を口実にした解散となれば、その「一カ月前ライン」を踏み超える恐れが十分にある。
 四月十四日午前、国会内の公明党控え室で太田、北側、副代表兼総合選対本部長・井上義久、参院議員会長・白浜一良、政調会長・山口那津男、国対委員長・漆原良夫の六人が鳩首会議を行った。
 太田「五月は既に都議選に向けた日程が集中的に組まれている。ここまで来ると六月七日投開票も難しい。だいたい誰が『補正成立前でも』と言っているんだ。私が接触している自民党議員にはいない」
 漆原「小沢が辞めた時が解散のチャンスという考えだろう。連休明けの初公判に注目しているようだ」
 北側「結局、補正と関連法案を成立させるつもりが総理にあるのかどうかだ。しっかり成立させて、都議選後に内閣を改造した上で七月末に臨時国会を召集し冒頭解散、大安の八月三十日投開票というのがいいのではないか」
 確たる情報を持っている幹部は一人もいなかった。
 太田は翌十五日、記者団の目に触れぬよう裏口から官邸に入り、麻生と直談判に及んだ。「創価学会はタンカーのような組織。末端まで動かすには時間がかかる」「仮に六月七日投開票ということなら、今言っていただかないと間に合わない」。京大相撲部出身の太田は言質を取ろうとがぶり寄りをかけた。だが麻生は柳に風。「お気持ちは分かるが、国会や経済の状況を見ながら考えていくしかない」。北側もこの夜、ホテルオークラのバーで麻生に詰め寄ったが、結果は同じだった。
■小沢側近の離反
 麻生に早期解散を検討する余裕を与えたのは小沢民主党の機能停止である。政権交代に向けトップスピードでひた走っていた民主党という名の列車は、三月三日の小沢秘書逮捕を境に、停電に遭ったように急停車したまま動かなくなった。その象徴は与野党攻防の先頭に立ってきた国対委員長・山岡賢次の沈黙である。
 小沢側近ナンバーワンを自任する山岡は日ごろ「国対委員長は特命全権大使だ」と豪語し、国対方針について小沢以外の幹部の口出しを許さなかった。上司である幹事長・鳩山由紀夫や代表代行・菅直人も例外ではない。記者団への説明も一手に引き受け、記者会見やオフレコ懇談を通じて「民主党の方針」を発信してきた。その山岡が懇談を一切取りやめ、会見でも当たり障りのない発言しか口にしないようになった。自分の発言が党内に波風を立て、それが小沢の進退問題に波及することを恐れたとみられるが、小沢の後ろ盾なしに党内を仕切るのが難しいのも事実だった。
 小沢―山岡ラインという国会対策の司令塔を欠いた民主党はなす術もなく二〇〇九年度予算案と関連法案の年度内成立を許し、その後の補正予算をめぐっても幹部の発言が二転三転するという醜態をさらした。
 定例記者会見をこなす以外は謹慎を続けていた小沢が党務に復帰したのは、四月十五日夜の参議院会長・輿石東や石井一、北沢俊美ら参院ベテラン議員との会合がきっかけだった。「衆院の国会対応は見てられん。人によって言うことはバラバラ。与党にいいようにやられている」。石井らは口々に不満を漏らし、「あんたが戻らないとダメだ」とせっついた。留守部隊のドタバタ劇を苦々しい思いで見ていたのだろう、小沢は活動再開を約束した。山岡に電話し「しっかりしろ」とねじを巻いたのはその翌日のこと。山岡はその日のうちに補正予算の徹底審議方針を打ち出した。
 四月二十日から地方行脚も再開した小沢は、二十一日の記者会見で「代表として総選挙に向けてみんなと一緒に全力で取り組む」と“完全続投”を宣言してみせた。だが、もちろん内心は別だ。
「逃げている印象を与えるのはまずい。堂々と受けてください」と党首討論への出席を求める鳩山らに、小沢が決まって口にするのは「まだ検察が捜査終結を宣言していない」というセリフ。世論の逆風をさらに強めるような展開があった場合は代表の座にとどまることはできない、そんな不安を抱えたまま党首討論に臨みたくはないという意味である。
 小沢の心に影を落としているのは検察の動きばかりではない。数少ない側近である最高顧問・藤井裕久らの離反だ。
 藤井は自民党時代から陰日向なく小沢を支えてきた忠臣。小沢に逆らうような言動は一度もしたことがないと言って過言でない。その藤井がひそかに小沢に辞任を勧めていた。秘書逮捕の翌日、政界を引退した今も小沢の信任が厚い元参院議員・平野貞夫を事務所に呼び「最高裁まで行くことを考えれば、この事件はとても数カ月では片付かない。できるだけ早く代表を退いた方がいい。あんたから伝えてくれないか」と頼んだ。「私も同じ意見だ」と平野は応じ、その足で小沢事務所に向かった。小沢は忠告を容れなかったが、藤井は元政調会長・枝野幸男ら小沢に批判的な議員に「小沢さんは最も効果的なタイミングで辞めようと考えているはずだ。ぜひ静かに見守ってほしい」と頭を下げている。それは麻生が嵩にかかって解散に打って出た時なのか、それ以前なのか、それとも藤井の予言が外れるのか。
 九月十日の衆院議員の任期満了まで残り四カ月。政権を懸けた自民と民主の攻防は一寸先も見えない闇夜の白兵戦の様相を呈している。(文中敬称略)

赤坂太郎 文藝春秋5月号

麻生が仕掛ける居座りの隠しダマ
http://bunshun.jp/bungeishunju/akasakataro/0905.html
超低空飛行の与野党トップを尻目に存在感を増す「経済総理」与謝野――

 反転攻勢につなげる数少ない政策の隠しダマ――。首相・麻生太郎はそのお披露目の初会合を四月十三日にセットした。三月下旬、執務室の壁に貼った大きなカレンダーを眺め、熟考した末に命じた。
「発表するのは四月二日のG20金融サミットから帰国してからにしよう」
 二〇〇九年度予算と歳入関連法案は三月二十七日に成立した。麻生は暫定関税定率法案など「日切れ法案」の成立も待ち、三十一日夕に記者会見して二十兆円の需給ギャップを埋める追加経済対策の策定を表明。その足でロンドンで開かれるG20に向け出発する段取りを描いた。そこで経済危機対応の国際協調を確認したうえで、四月十三日からの週には追加経済対策を決定。財政出動を具体化する○九年度第一次補正予算案は五月の連休明けに国会に提出する想定である。
 隠しダマは足元の景気をテコ入れする追加経済対策を軌道に乗せてから、満を持して打ち上げるのが効果的だ。麻生がそう計算し満を持して立ち上げるのが、年明けから密かに謀ってきた首相直属の有識者会議「安心社会実現会議」だ。
「衆院選では政党間の違いをきちんとさせるべきだ。我々は景気がある程度きちんとしてきたら、消費税を含む税制の抜本改革を第一に言わなければならない」
 麻生は三月十三日の内閣記者会のインタビューで、衆院選の争点を巡ってこう言い切った。景気対策は「実行するもの」で、「選挙で問うもの」ではない。麻生がそう断じ、民主党との「違い」の第一としてなお消費税率引き上げにこだわる姿には自民党内で真意を訝る声が渦巻いたが、その裏でこの「安心社会実現会議」構想を温めていたのだ。
 六月までの短期集中討議で、麻生の口癖である「中福祉・中負担」の国家の将来像や「官と民」「公と私」の役割分担にまで遡って「安心社会」のイメージを描く。衆院選では増税より、その使い道となる年金、医療、介護と言った社会保障の機能強化の分かりやすい工程表を前面に打ち出す思惑である。
 麻生と二人三脚で仕掛けたのは「経済総理」の異名を取る財務・金融・経済財政担当相の与謝野馨だ。座長に白羽の矢を立てたのは電通最高顧問の成田豊。座長代理は東大大学院教授の吉川洋。メディア界から読売新聞主筆・渡邉恒雄、労働界から連合会長・高木剛、官界OBから前検事総長の但木敬一に元財務次官の大和総研理事長・武藤敏郎……。与謝野から打診を受けた一人は委員の顔ぶれを知ると「これは誰が見ても与謝野人脈そのものではないか」とうなった。
 後見人の渡邉は言うまでもない。成田や高木は与謝野と同じ東大野球部出身。吉川は経済財政諮問会議の民間議員で消費税増税の理論的支柱だ。私立開成高校の同級生だった但木と武藤は与謝野の強力な官僚人脈の中枢に位置する。特に目を引くのは但木。東京地検特捜部と民主党代表・小沢一郎の全面対決の最中、前検事総長が麻生主導の有識者会議に参加することの重みに気づかぬ者はいない。
 党側では与謝野の盟友、政調会長代理の園田博之が会議の投じるボールを受けて「安心社会マニフェスト」を仕上げる役割分担となる。常設の諮問会議を別とすれば、麻生がこの手の首相直属の有識者会議を設けるのは初めてだ。並々ならぬ意欲がにじむと同時に、もう一つ、重要な含意があった。
 麻生や与謝野が参加を働きかけた有識者からは当然ながら「解散はないのか」「政権は持つのか」などの疑念も投げかけられた。これだけの顔ぶれを集めておいて、ろくに会議も開かず、議論もせずに衆院解散・総選挙になだれ込めるはずがない。委員たちには「会議は六月までで一区切り」と説明された。つまり、七月八?十日のイタリア・マッダレーナ島でのG8サミットと、同十二日の東京都議会議員選挙までは現政権を維持したい。それが麻生の無言のメッセージだった。
「景気や雇用対策への国民の希望は極めて高い。きちんと対応しなければならない。言うだけで実行できなければ『何だ』となる。今の段階で(解散・総選挙が)五月とか六月とか申し上げる状況ではない」
 麻生が三月十五日のNHK番組「総理にきく」で景気対策を第一とし、解散を急がない姿勢をにじませた裏には、追加景気対策と「安心社会実現会議」を頼りに七月まで居座りたいという基本線が見え隠れしていた。
■トロイカ崩壊が始まった
 死に体同然だった麻生に一息つかせたのは東京地検特捜部だ。三月三日、小沢の公設第一秘書・大久保隆規を西松建設側の政治団体からの献金を巡る政治資金規正法違反で逮捕、二十四日に起訴した。西松からの企業献金と知りながら、ダミーの政治団体からの寄付を装い、小沢の政治資金管理団体「陸山会」の収支報告書に虚偽の記載をした疑いである。
 政権交代ムードが高まる中での次の首相候補への痛撃には民主党内外から「国策捜査ではないか」と検察批判が渦巻いた。だが、「政治とカネ」を巡って検察当局と刑事裁判で全面対決している政治家が、衆院選を経て首相の座に就くなど国家の姿としてありえないのも現実だ。
「色々な動きが出るかもしれない。もう少し時間を取ってから判断を下すほうがいいのではないか」
 二十四日夜、大久保の起訴状を精査して代表続投の意向を固め、民主党本部に入った小沢に代表代行・菅直人は一対一での面会を求めると、待ったをかけた。辞任を求めたのと同じである。幹事長・鳩山由紀夫がおっとり刀で割って入り、参院議員会長・輿石東も加わった三役会議。菅が再び小沢に自重を促そうと口を開くと、鳩山が遮った。
「そういう話ならこの後の役員会、常任幹事会の場でしてほしい」
 小沢体制をけん引してきたトロイカが崩れ始めた瞬間だった。ここで小沢と一線を画すことで、フリーハンド確保を探ろうとした菅。小沢との一蓮托生を選び、続投宣言の地ならし役を買って出た鳩山。ポスト小沢をにらむ二人の戦略は明確なコントラストを描いた。
 続く役員会。小沢の続投表明を、正面に座る政調会長代理・福山哲郎が「世論が今後、どう動くか分からない。衆院選で政権交代を果たすことが第一の目標だ」とけん制した。常任幹事会では福山と同じ京都が選挙区の副代表・前原誠司が「国民に疑念が残る中で、すんなり『了』とは行かない」。最高顧問・渡部恒三も「世論を聞いて、選挙に勝てるかどうかで判断してほしい」と続いた。小沢にゲタを預けたようでいながら、いずれも遠まわしの辞任要求にほかならなかった。
「あくまで総選挙での勝利を前提に何事も考えて行きたい。代表を続けることがプラスかマイナスかは私には判断できない。国民の受け取り方次第だ」
 小沢は午後九時半からの記者会見では低姿勢に徹し、「大勢の国民の皆様から温かい励ましをいただいた……」と「不覚の涙」を二度、三度と拭って見せた。検察の不当捜査には屈せないと代表にとどまる意向を力説する半面、狭まる党内の包囲網を意識し、衆院選への影響を引き続き見極める姿勢をにじませざるを得なかった。鳩山も二十六日、小沢と向き合うとこう告げるより他なかった。
「衆院選が近づき、(代表が小沢のままでは)政権交代が難しいと判断した時は、共同責任を取りましょう」
 小沢民主党のもたつきに、自民党からは「五月は緊張しなければいけない時になる。追加の景気回復策(を盛った一次補正)の国会提出時期と、成立させるタイミングは、政局の最大のヤマ場になる」(選挙対策委員長・古賀誠)と「五月解散論」も漏れ始めた。麻生降ろしの急先鋒になるはずの元幹事長・中川秀直すら三月二十五日の講演で「学生たちに聞くと選挙のために党の顔を変えるなんてピンと来ないと言う。それもそうだ。五月くらいに国民の審判を仰いで政局の膠着を打開すべきだ」と軌道修正し始めた。
 ただ、一次補正を国会に出すと、衆院は三分の二を超す与党の多数で押し通せるが、野党優位の参院で審議が進まないなら自然成立まで三十日を要する。麻生が口にした贈与税の減免などは法案の提出が必要で、こちらは参院で六十日間、放置されかねない。六月三日までの通常国会は会期延長含みになるし、公明党は都議選直前の衆院選は露骨に嫌っている。
 と言って「追加経済対策の大枠を示し、衆院選の争点にする」(元副総裁・山崎拓)と補正の成立前に解散に打って出る戦術にも「政策の実行なくして解散にならない」(前官房長官・町村信孝)と党内の慎重論は根強かった。西松建設事件を巡る特捜部の捜査の手が経済産業相・二階俊博側へと伸びる気配も消えない。与野党の「オセロゲーム」(元幹事長・加藤紘一)は優劣がいつ引っくり返るか読みきれない緊迫が続く。
■「株屋」を軽んじた報い
 そもそも、肝心の麻生に求心力が戻ったわけでもない。
「今度、失言したら本当に終りだぞッ。分かっているだろうな!」
 国会対策委員長・大島理森からこう厳命を受けた官邸スタッフは「麻生隠し」に腐心する場面が目立つ。三月七日、首相就任後初めて沖縄県を訪問した際も、滞在時間の大半は那覇市内の沖縄ハーバービューホテルクラウンプラザにこもったまま。知事・仲井真弘多(ひろかず)の周辺からも「一体何しに来たのか」と不満の声が漏れたが、周囲が表に出させなかったのだ。
 与謝野の発案で三月十六日から二十一日まで、官邸に学者やエコノミスト、経済人ら八十四人を呼び込んで「救国の一策」を募った「経済危機克服のための有識者会合」。ここでも麻生は聞き役に徹すればいいものを、不用意に失言を連発。宰相の「耐えられない軽さ」がインターネット上の官邸ホームページでの録画中継を通じ白日の下に晒されてしまった。
「やっぱり株式会社、株屋ってのは信用されてないんですよ」
 二十一日午前、松井証券社長・松井道夫の意見陳述に麻生は何を思ったか、唐突に珍説をぶち始めた。右隣の官房長官・河村建夫は差別語と受け取られかねない「株屋」と聞いた瞬間に顔がひきつった。手元の書類を揃えるふりをしてテーブルを「トン」と大げさに叩き、麻生の注意を引こうとしたが、軽口は止まらない。
「やっぱり株をやってるって言ったら、田舎じゃ何となく怪しげよ。何となく、何となーく、まゆにツバつけて見られるところがあるでしょうが。俺たちの田舎では間違いなくそうよ」
 一瞬、静まり返った室内。河村が書類でもう一度「トン」と机を叩く音が空しく響いた。
「株屋」を軽んじた報いが麻生を襲った。財務副大臣・平田耕一が保有株式の市場外取引による売却で、六億円を得ていた事実が二十六日に発覚した。株の売買は大臣規範で副大臣も禁じられている。当初は居座りを決め込もうとした平田は、民主党の大塚耕平が参院財政金融委員会で「罷免もしくは辞任がない限り、予算案の二十七日採決に応じない」と攻め立てると、腰砕けになって麻生に辞表を提出。桜の開花とともにやっと訪れた与党の反攻モードに水を差した。
 麻生は十八日の有識者会合でも、ノーベル賞学者の理化学研究所理事長・野依良治が「突然変異」を説くと、即座に反応して身を乗り出してみせた。
 野依「生物はDNAが変わらないと進化しない。恐竜やマンモスがなぜ死に絶えたか」
 麻生「ゴキブリは生き残ったんだよね」
 これが「座談の名手」とも言われる日本の最高権力者の哀しき実像である。麻生が「ゴキブリ」「突然変異」で何を思い浮かべたかは二十日の会合で明らかになった。
 宮崎県知事・東国原英夫が「地域活性化には突然変異のような人材が欠かせません」と説くと、麻生は「小泉純一郎(元首相)なんて一つの立派な突然変異の典型例だったんだよなァ」と応じた。
 二月に〇五年の郵政総選挙を断行した小泉を「奇人、変人としては正しい行為だった」と禁句の「奇人、変人」呼ばわりし、小泉から「笑っちゃうほど呆れている」と逆襲を食らった反省も、喉元過ぎれば、である。有識者会合に陪席する官邸スタッフは戦々恐々の日々。「君側の奸」扱いされがちな総務省出身の首相秘書官・岡本全勝だが、官邸ホームページでの生中継をやめさせ、テレビ各局にも独自の映像を撮らせなかった。麻生の失言を恐れた守りの姿勢は正解だった。
 麻生も小沢も超低空飛行の奇妙な「負の均衡」による五里霧中の解散政局。どちらも有権者の審判を仰ぐ自信や手ごたえは到底持てない。経済危機と政治不信の二重奏に揺れる世論の動向に一喜一憂する日々が続く。(文中敬称略)

赤坂太郎 文藝春秋4月号

「与謝野総理」企む与野党の損得勘定http://bunshun.jp/bungeishunju/akasakataro/0904.html
危篤状態の麻生の「おくりびと」は誰か。本命なき後継争いが始まった――
 二月二十四日、首相・麻生太郎は、ワシントンのホワイトハウスで満面の笑みで米大統領・オバマと握手を交わした。オバマが初めて招く外国の賓客。各国首脳のオファーが殺到するなかで、その栄誉の切符を手にしたのだ。興奮冷めやらぬ様子で「我々は世界一位、二位の経済大国だ。日米が手を携えて取り組まねばならない」と胸を張った。しかし、海外メディアの関心はすでにそこにはなかった。ワシントンポスト紙は「支持率低迷に悩む日本の総理が人気アップを狙ってやって来た」と皮肉った。
 麻生が消費税増税問題に一応の決着をつけ、反転攻勢に出ようとした矢先、出鼻をくじいたのは元首相・小泉純一郎だった。二月十二日、自民党本部で開かれた「郵政民営化を堅持し推進する集い」。大幅に開始が遅れたため、欠席するのではないかと見られていた小泉はしかし、おびただしい数のカメラのフラッシュを浴びながら、会場入りすると、やや顔を紅潮させながら一気にまくしたてた。
「(麻生の郵政民営化に反対だったという発言について)怒るというよりも笑っちゃうくらい、ただただ呆れている」「私のことを奇人・変人などと言っているようだが、自分では常識をわきまえている普通の人だと思っている」「政治で一番大切なのは信頼感。特に首相の発言に信頼がなければ、選挙は戦えない」。痛烈な麻生批判だった。そしてその背景には想像以上に激しい小泉の怒りがあった。
 二月十日、郵政民営化担当相でもあった腹心の竹中平蔵が小泉の事務所に駆け込んだ。竹中は「かんぽの宿」売却問題をめぐる経緯を説明した。竹中の結論は「かんぽの宿は隠れ蓑にすぎない。実態は日本郵政社長・西川善文の追放劇だ」というものだったが、小泉も同じ認識を抱いていた。実際、総務相・鳩山邦夫はこの二日後の衆院本会議で、「日本郵政は百パーセント国が株をもっているから政府に責任がある」と西川の進退を含む責任問題に言及した。西川は三井住友銀行出身の金融界の実力者であり、〇五年十一月に民営化会社のトップとして、竹中が三顧の礼で迎え入れた人物だ。
 西川が追われれば、民間には火中の栗を拾おうとする人材はいない。郵政民営化反対派が麻生を巻き込み、西川の後釜に据えようと目論んでいるのが、旧郵政省出身の團宏明である。團は日本郵政副社長と郵便事業会社社長を兼任しているが、小泉とは因縁がある。小泉が郵政大臣に就任した九二年、旧郵政省は、持論である郵政民営化を曲げない小泉を省内で孤立させ、役所ぐるみで省益を守ろうとした。團は秘書課長としてその先兵となった。“元祖・抵抗勢力”を日本郵政の社長になどできるわけがない。
 小泉は、元幹事長・中川秀直からの報告を竹中に示した。郵政民営化反対派の首相補佐官・山口俊一らがもくろむ「郵政四分社化の修正案」。これは配達を行う郵便事業会社と郵便局を運営する郵便局会社を合併する案が柱となっている。竹中は強い口調で進言した。「郵便事業は物流であり、郵便局事業は小売サービス。一体化する理由はないはずです」。二人の認識は完全に一致した。“郵政の巨大利権の復活”が狙いであることは明らかだった。小泉内閣が政権の命運を賭けて成し遂げた郵政民営化を潰すなら、麻生内閣も潰してしまうぞ。これこそが小泉の怒りが爆発した真因だ。
■「やっちゃったか」
 小泉発言の三日後、内閣支持率はついにひと桁に落ち込んだ(九・七%=日本テレビ)。そして瀕死の麻生政権にさらに追い討ちをかけたのが、この日(日本時間)行われた財務・金融相・中川昭一のもうろう会見だった。ローマで開かれたG7財務大臣・中央銀行総裁会議後の記者会見の映像は、世界を駆け巡った。「な、何? もう一度言って」と質問を遮り、会場を見渡しつつ「どこだ?」とうつろな視線を泳がせる。秘書官を通じて政治問題化する恐れありとの報告を受けていた麻生も、その日の夜、首相公邸のテレビでその醜態を目の当たりにするや、「やっちゃったか」と苦虫を噛み潰した。「怖い気がして……」と会見映像をほとんど見ていなかった中川も、帰国直後に妻・郁子に電話を入れると「あなた大変なことになっているわよ」と叱責され、ことの重大さにようやく気付かされる。
 翌十六日、官房長官・河村建夫や国対委員長・大島理森は暗に中川に辞任を求めた。しかし、麻生は、同日夜、首相官邸に陳謝に訪れた中川を、「俺とお前は“一蓮托生”だ。説明責任を果たせば収拾できる」と励ました。麻生にとって中川は、組閣の際、最初に名前を書き入れた人物であり、腹心中の腹心だった。
「麻生は中川を切らない」との情報を得た民主党は、参議院での問責決議案の提出に動く。自民党は問責提出阻止に向けて根回しを急いだ。元首相・安倍晋三、総裁特別補佐・島村宜伸らが相次いで、国民新党代表代行・亀井静香の携帯電話を鳴らして、問責には乗らないように働きかけた。参議院で民主党は単独では、問責決議案を可決できない。亀井も「中川はかつての弟分だから、手荒なまねはしない」と理解を示していた。しかし、翌十七日昼過ぎ、中川が「来年度予算案が衆院を通過したら、辞表を提出する」と表明したことで事態は急転する。「いったい参議院を何だと思っているんだ」と反発した国民新党副代表・亀井郁夫は弟の静香の説得を無視して問責決議案提出に同調し、流れは変わった。中川は、この日の夕方、首相官邸に麻生を訪ねて辞表を提出し、受理された。
 麻生が「健康問題、体調の問題」と最後まで中川をかばったのは、ヘルニアという持病を知っていたからだ。中川の悪い癖は、鎮痛剤や向精神薬を、即効性を求めて、アルコールを摂取しながら処方の二倍以上も飲んでしまうことだ。「使い方によっては、酩酊状態を引き起こす恐れがある」と主治医が度々注意しても聞く耳をもたない。これまでも国内でしばしば同様の事態が繰り返されてきた。ローマでは、G7のワーキングランチをわざわざ中座してセットした、内輪のランチ以降の行動が命取りとなった。
 内輪のランチの場所は、宿舎だったザ・ウェスティン・エクセルシオール・ローマの一階にあるレストラン「ドネイ」。地中海料理の名店で、ホテルはフェリーニ監督の映画「甘い生活」の舞台にもなった最高級の五つ星だ。麻布高校の同級生でもある国際局長・玉木林太郎、大手紙の女性記者ら七人がテーブルを囲み、中川は上機嫌で、自ら赤ワインのフルボトルを注文して、グラスを傾けた。
 この後臨んだ日ロ財務相会談で、中川は体調の異変を感じたが、手遅れだった。会談後、記者会見の前に、中川は自室でおよそ三十分の休憩をとった。この間の“単独行動”は依然謎に包まれたままだ。民主党には「ここでまた洋酒をグラス二杯ごっくんしたようだ」との情報も寄せられ、国会で追及する構えをみせていたが、真相は藪の中。だが、少なくとも記者会見を終えた時点で、中川に問題行動をした自覚はない。むしろ今回の外遊で「最も楽しみにしていた」(同行筋)世界遺産・バチカン観光に心弾ませていたのではないか。博物館では立ち入り禁止エリアに入りこみ、触ってはいけない美術品に手を伸ばして警報ベルを鳴らし、さらに日本の国際的信用を失墜させた。ちなみに大臣以下、財務省ご一行様のローマ渡航費用は約六千万円である。
■ポスト麻生の懲りない面々
 小泉発言と盟友辞任のWショックで強気の麻生もさすがに最近は元気がない。お気に入りの口癖だった「男は義理と人情と痩せ我慢」もめっきり口にしなくなった。痩せ我慢も限界を超えたのか。本人は「体重は六十五キロと変わらない」と強調するが、ウエストが二センチ細くなり、周辺は「髪も薄くなった」と嘆く。
 今や「麻生のもとでの選挙など考えられない」という意見が与党内の暗黙の了解といってよい。来年度予算案が衆院を通過し、定額給付金の財源法案などが、小泉の造反はあっても成立しさえすれば、自民党内ではポスト麻生をめぐる動きが本格化する。一時は総選挙を経ない四人目の総裁を選ぶことは許されないという建前論もあったが、もはやそんな綺麗ごとは言っていられなくなった。少しでも支持率が上がる総裁でなければ、生き残るはずの代議士までもが全滅してしまう恐れがあるからだ。
 自民党内では、四月二日のロンドン金融サミット後に「麻生辞任→自民総裁選で新総裁選出」の見方が強まっている。
 ポスト麻生の台風の目となりそうな活発な動きを見せているのが、中川秀直だ。新年早々、「新しい旗を立てる」とぶち上げた中川は、元首相・森喜朗の逆鱗にふれ、派閥会長の座を前官房長官・町村信孝に奪われ、傷心の日々だった。それが郵政民営化を逆行させる動きに激怒した小泉から「中川さんも勝負するべき時だ」とお墨付きをもらって途端に元気になった。「政治そのものを抜本改革してゆく議員連盟を立ち上げ、新しい自民党をつくろう」と山本一太など側近議員に呼び掛けている。だが、派閥の事実上のオーナーである森は辛辣だ。「幹事長までやった政治家が、民主党と連携しても……なんて言っている。危機の時に守らずに逃げ出そうとするのか」。出馬するなら派閥を去ることが必要条件になるかもしれない。それでも引退を表明している小泉に代わって、党内で改革勢力の一定の支持を集める可能性は、なしとしない。
 幹事長代理・石原伸晃周辺もあわただしい。中川辞任直後の十九日夜には、元官房長官・塩崎恭久、副幹事長・菅原一秀ら、先の総裁選で石原を支持したメンバーと意見を交わした。石原ブランドは「選挙の顔」としては都市部を中心に魅力的に映る。当の本人もまんざらではないのだが、支援者からは「民主党優勢の真っ只中で、ここが本当に勝負どころか、よく見極めたほうがよい」と冷めたアドバイスも受けている。
 ダークホースは、厚生労働相・舛添要一だ。かつて参院議員が首相に指名された前例はないが、現行憲法では可能だ。年金問題など、国会審議で野党の攻撃にさらされながら、戦犯だとの見方はされず、むしろ一定の支持を得ている。森も参院自民党のドン・青木幹雄との会合で、「舛添は、自民党を救うための切り札になりうる」との認識で一致した。この他、元環境相・小池百合子、農水相・石破茂、前官房長官・町村信孝らも、チャンスをうかがう。
 そしていまだに根強いのが、「与謝野暫定政権」説だ。与謝野馨は「麻生の言葉は落第点だが、麻生政権は支える」と公言している。しかし与謝野の意志とは別に、自民・民主の両党から漏れ伝わってくるある有力なシナリオがある。それは、(1)麻生が予算成立後に速やかに内閣総辞職する。(2)その瞬間に小沢一郎の方から与謝野首班を求め、一時的な“大連立”を実現する。(3)この暫定大連立のもとで、与野党が協力して本予算の補正予算案を組み、当面必要な景気対策を成立させて、日本経済が底抜けしないような手だてを打つ。(4)そして時間を置かずして衆院の解散・総選挙に踏み切り、雌雄を決する、というものだ。
 このシナリオの特徴は、与謝野首班は、自民党からしても固辞する理由が乏しいことにある。与謝野は、経済財政担当相に加えて、財務・金融相と三つのポストを兼ねたことから、すでに“陰の首相”とも言われている。
 一方、民主党にとってのメリットは、この暫定大連立の期間を、本格政権への移行、助走のための準備に使える点だ。この間、政権交代を見越して、自民党からこぼれる議員が出てくることも想定され、それに対して、小沢の一存で、選挙区調整を含めた民主党への取り込み工作を個別に展開することも可能になる。
 ただし難点もある。「誰が麻生に鈴をつけるのか」。また、すぐに政権交代なら、与謝野は平成の徳川慶喜で終わってしまう。側近の政調会長代理・園田博之らは、与謝野の袖をひっぱって、小沢の口車に乗るなと諫めている。民主党内でも、じっとしてさえいれば政権が転がり込んでくるのに、「奇策を弄する必要はない」と小沢への警戒感がにじむ。
 永田町は新たな局面に入った。
「次の総選挙では、自民党も民主党も単独では過半数に届かない」という状況から、「民主党が単独過半数を得る」可能性が高いことを前提に考えなくてはならない局面へと転換したのだ。実際、自民党中枢のある幹部は「自民党は一度、下野する覚悟をもつことこそが、今後、戦う上での前提だ」と腹を括っている。次の総選挙での敗北を前提にして、次の次の総選挙で大政奉還を図る戦略を描くべきだ、という意味だ。政局春の陣がいよいよ動き出す。(文中敬称略)

2009年3月9日

赤坂太郎 文藝春秋3月号

麻生捨て身の「給付金解散」シナリオ

(http://bunshun.jp/bungeishunju/akasakataro/0903.html)

支持率は危険水域、党内では反乱騒ぎの中、一縷の望みを託すのは……

「今こそ、政治が責任を果たす時です」「日本の底力は、必ずやこの難局を乗り越えます」

 一月二十八日、首相・麻生太郎は、民主党の“牛歩戦術”により引き延ばされていた施政方針演説をようやく行った。「最後の国会演説」などと揶揄さ れていただけに、さぞかし力が入るかと思いきや、フリガナがふられた草稿を追う言葉に迫力はなく、与党席からの拍手もまばら。昨年九月の所信表明演説で は、民主党を挑発する言葉を連発したが、今回はそれも影を潜めた。すでに“敗軍の将”のような雰囲気を、敏感に感じ取った自民党議員も少なくなかった。

 一週間前、米国に興奮と熱狂を呼び起こしたバラク・オバマの大統領就任演説とは比べるべくもない。オバマはワシントンに足を運んだ二百万人を前 に、「今私たちに求められているのは、“新たな責任の時代”だ」と熱弁を振るった。支持率六八%はケネディに次ぐ戦後二位である。その華々しいリーダー誕 生の瞬間を、支持率一七%(時事通信)の我が国の首相はCNNテレビで見つめていた。麻生は毎朝、英語勘を失わないためにCNNやBBCの英語放送を十五 分ほど聴くことが習慣になっている。

 国民の心はなぜ麻生から離れたのか。チェンジを標榜するオバマとは対照的なライフスタイルへの頑なまでのこだわりもその理由のひとつだろう。ホテ ルのバーでの“クールダウン”が顕著な例だ。東京・神山町の七百五十坪の大邸宅から、首相公邸への引っ越しを延々と先送りにした背景にも、そうした頑固さ がのぞく。大勲位・中曽根康弘が、「公人中の公人たる首相は、一億国民の命運を預かる立場であり、公邸に入って、二十四時間、身命をなげうって取り組め」 と苦言を呈したこともあり、麻生本人は一度は新年早々の引っ越しを決意した。だが、家族の反対にあって延期。その後、自民党内からの「家庭内のねじれも解 消できないのか」「家族も説得できないで、国民を説得できるわけがない」との批判の声が届いたのか、渋々重い腰を上げたのだ。

 神山町の邸宅は、天井高は二メートルを遥かに超える洋館で、生活スタイルは完全に洋式。二階の寝室を出て、客間に向かう麻生が階段を降りるときに は、すでに靴をはいている。家のなかを寝巻き姿でうろうろする、どこかのお父さんとは大違いなのだ。さらに朝食後の散歩は健康維持のための重要な日課だ。 公邸に移ってからも官邸裏につながる庭園では満足できず、半時間あまり国会周辺を時速六キロで歩きまわる。「なんの努力もしない奴の医療費をなぜオレが払 わなければならない」と公言しただけあって、足取りは快調だ。健康診断の数値も極めて良好。体脂肪率一五・六%、BMI(体格指数)22、血管年齢四十二 歳のデータに、主治医は六十八歳とは思えぬ“理想的な数値”とのお墨付きを与えた。国民の支持を失っているときには、気力・体力が政権維持の重要なポイン トとされるが、その点だけは心配がない。

 最近では、自民党内で反乱が起きる最大の懸案とみられた二〇一一年度の消費税増税問題がいわゆる二段階論で決着したことで、「これから反転攻勢だ」と意気込んではいる。ただし、明るい兆しはいまだ見えない。

■縮み上がる中川

 そもそも「消費税政局」にしても他力本願で難を逃れたに過ぎない。その過程では、かなり緊迫した場面もあった。最大のキーマンが元幹事長・中川秀 直だ。離党した元行革相・渡辺喜美はかねてより中川との関係を公言し、中川も渡辺に「捨て石にはしない」と励ましてきた。さらには「新しい旗を立てる。日 本版ニューディール政策だ」とブチ上げる中川に同調する議員が、消費税増税反対派を形成し、勢いを増す場面もあった。

 こうした事態に、調整能力のない官邸に代わって動いたのが町村派の面々だった。まず久々の出番を探ったのは、元首相・安倍晋三。安倍は政権投げ出 しと批判された一昨年の九月以来、謹慎の意味から、政治的な動きに関わることを意識的に避けてきた。しかし町村派の若手には隠然たる影響力があり、麻生と も一貫して緊密な関係を維持してきた。「麻生の邪魔をしているのは、塩崎恭久、山本一太ら、安倍内閣のときのお友達ばかりだ」といった陰口が耳に入ったこ ともあり、安倍は自ら収拾に乗り出すことにしたのだ。

 余談ながら、安倍にはもう一つ、麻生に「借り」があった。麻生派の前身の派閥を率いてきた衆院議長・河野洋平が引退を表明し、その後継の女性候補 (麻生派)が出馬する神奈川十七区から、安倍の首相秘書官だった井上義行が出馬するというのだ。小田原市議選を目指していたはずの井上の電撃的な総選挙出 馬の動きが発覚したのは一月二日のことだ。箱根駅伝の小田原中継所。陸連会長でもある地元の河野がレースを観戦していると、視界に井上の姿が飛び込んでき た。しかも周りには、ビラをまく支持者らしきグループ。ビラには国政への意欲がつづられていた。河野陣営が直ちに麻生を通じて、安倍に確認すると、安倍も 寝耳に水だった。しかし井上の意思は固い。安倍の制止を振り切ってでも出馬の構えだ。

 麻生のために一肌脱がねばならない安倍は、一月十五日、町村派総会後の安倍・町村(信孝)・中川の三者会談で「今は派内でお互いが対立するときで はない」と切り出した。そして側近の世耕弘成に命じ、消費税増税問題について双方が受け入れ可能な文案の作成に着手させた。一方、中川とは犬猿の仲という 町村も税制調査会顧問・伊吹文明らと落とし所を探る。安倍は麻生の携帯電話を鳴らし、「町村派の若手と塩崎までは責任をもって抑える」と伝えた。外堀は埋 まった。

 しかし中川は簡単に納得しない。最後はやはり元首相・森喜朗の出番だった。森にも覚悟があった。森・中川はもともと永田町随一の師弟コンビ。森が 夏の暑い日に事務所で「おしぼりと中川君」を所望したというのは知る人ぞ知る話だ。だが、昨年の自民党総裁選で、森が麻生支持を鮮明にしたにもかかわら ず、中川は平然と元環境相・小池百合子を擁立。両者の亀裂が広がっていたところに、今回のクーデター騒動である。

「党幹事長まで務めた議員がやってはならない反乱を起こしている」。森は中川を痛烈に批判し、さらに中川が、幕末・維新の志士、坂本竜馬に自分を重 ね合わせてカラオケで『ふたりで竜馬をやろうじゃないか』(堀内孝雄)を熱く歌い上げると聞くと、「何を自分に酔っているんだ」と吐き捨てた。「本当にそ の路線を変えないのなら、派閥を出ていってもらってからにしてほしい」。人づてに聞いた森の激しい怒りに中川は縮みあがった。今が自らの政治生命を賭すタ イミングなのか、大きな迷いが生じた。

 一月二十一日夜、官房長官・河村建夫と都内のホテルで向き合った中川は、丁重に頭を下げる河村を前に、テーブルをひっくり返す気概は失せていた。 「二〇一一年度消費税上げが明記されないなら自分は納得するし、党を割ることはない」。党の部会で政府案が了承された後、麻生は、中川に白旗をあげさせた 最大の功労者、森にまっさきに電話を入れた。「森さんのおかげで救われた。本当にお世話になりました」。麻生は電話をしながら無意識のうちに頭を下げてい た。党分裂の危機はひとまず過ぎ去り、麻生も一息ついた安堵の表情を見せた。

■「五月二十四日投票」説

 では、「反転攻勢」成功の可能性はあるのか。一月半ば、麻生が「七月のイタリアサミットにはぜひとも行きたい」と周辺に漏らしている、との情報が 永田町を駆け巡った。サミットは七月八日から十日。サミット明けの衆議院解散なら、総選挙の日程は、任期満了の九月に限りなく近づくことになる。公明党が 水面下で求めた日程は四月二十六日の総選挙。しかしこれは、事実上、話し合い解散の道しかなく、麻生には到底飲めない。

 麻生にとってダメージとなっているのは、やはり党首力対決で小沢に逆転されたことだ。景気もさらに悪化し、政権浮揚の材料は見当たらない。麻生も 解散に関する話題をことさら避けているかに見える。だが、周辺から漏れてくる麻生の本音はこうだ。「定額給付金を八割が反対していて、評判が悪いという が、じゃあみんな受け取らないのかというと、九割はもらうだろう。実際に手にしてみて、嬉しくない奴ぁいないんじゃないか」。実際に小渕内閣でも地域振興 券を給付すると、支持率は上がった。麻生もそのピンポイントのタイミングをついて解散に踏み切ろうというわけだ。

 麻生の思惑を察知した公明党も素早い動きを見せた。東京都選管が都議選日程を正式に決める一月二十一日の前々日。内定していた七月五日投票を一週 間遅らせるよう、公明党都本部のドン・藤井富雄が自民党にねじこみ、先延ばしをごり押しした。公明党内では、告示期間中にサミットをはさむことから、「衆 院選と都議選とのダブル選挙封じ」と説明されたが、実際は、総選挙から少しでも間をおいて都議選に備えたいという思惑なのだ。

 定額給付金が行き渡るのは、五月にずれ込むとみられており、解散日程はそこから逆算して、絞り込んでいくことになる。「五月十二日公示、二十四日 投票」などの日程が取り沙汰されているが、圧倒的な劣勢が続く中、麻生が勝機を見い出し、決断できるのか、なお予断を許さない。

 対する民主党。一月十五日夜、東京・深沢の小沢邸から車で数分の小沢の後援者宅。人目を忍んで車を乗りつけたのは、民主党代表・小沢一郎、代表代 行・菅直人、幹事長・鳩山由紀夫の三人だった。ホテルや料理屋を使わなかったのには理由がある。これは政権移行準備を具体化させるための“極秘トロイカ会 談”だったのだ。足元が揺らぎ続ける自民党を尻目に、民主党に雑音は少ない。

 小沢は、政権奪取後、「最初の百日が勝負を決する」と考えている。政権移行期に何をし、どういう形態の統治機構を作るかの研究は、党行政改革調査 会長・松本剛明を中心としたメンバーですでに内々に進められてきた。一方で、総選挙勝利=政権交代を前提とした動きが表面化することを小沢は極度に嫌って いる。各選挙区の前線で戦っている候補者が緩んでは、戦局が一瞬にしてひっくりかえってしまうことを知っているからだ。

 小沢は「政府には現状で七十人の議員を配しているが、これを官房副長官や副大臣の増枠によって、百人の議員にまで増やして、官僚主導とは決別した 政治主導の態勢をつくりあげる」と述べている。さらにいくつかの我がままな“研究テーマ”が与えられている。「国会の委員会に縛られるのはごめんだ。法的 に首相出席を義務付けているものはないはずだ。国会も通常国会の百五十日間以外に臨時国会をあえて開く必要はない」、「記者クラブを廃止して、内外に開か れた姿にすべきだ。昼と夕のぶらさがり取材もやりたくない」。

 霞が関もこうした動きに呼応し始めている。永田町に情報網を張り巡らせる財務省は「民主党政権も組み易し」の結論を得たとされる。その財務省の中 心となっているのが主計局次長・香川俊介。かつて竹下内閣の官房副長官だった小沢の秘書官を務め、今や主計局内でも民主党政権を見越して、ほぼすべての案 件について、香川の了解を取り付けることが暗黙のルールだという。香川も小沢のもとを訪ねる回数が増えた。予算案審議をめぐる与党の思惑も小沢に筒抜け だった。

 外務省も負けてはいない。ジュネーブ国際機関政府代表部大使兼ジュネーブ総領事・宮川真喜雄を本省の国際協力局審議官として呼び戻したのだ。宮川 も香川と同じ時期、小沢の秘書官として仕えた。日米間で燃え盛っていた電気通信交渉や建設市場開放交渉を決着させるため、単身米国に乗り込み、それを実現 させた小沢を陰で支えたのが宮川だった。帰任命令は「小沢シフトを準備しておくため」というのが、省内の定説となっている。

 最近ではいよいよ「首相になる覚悟」を固めたという小沢だが、依然として、小沢政権は短命との見方も根強い。では、その際、誰が後継指名を受ける のか。鳩山、菅、岡田克也らが小沢に意見することもなく大人しいのは、それぞれが期待に胸を膨らませているからに他ならない。不安材料といえば、国対委員 長・山岡賢次の「裏献金疑惑」ぐらいだろう。与党幹部は「敵失でもなんでも勝ちは勝ち。国会で徹底追及する」と勢い込む。

 捨て身の麻生と余裕の小沢の激突は、景気動向、定額給付金、醜聞――いずれにせよ、一瞬の風をどちらが掴むかが勝敗を分けるだろう。(文中敬称略)

2009年1月18日

赤坂太郎 文藝春秋2月号

小沢政権「閣僚名簿」の意外な顔ぶれ
(http://bunshun.jp/bungeishunju/akasakataro/0902.html)

麻生批判が相次ぐ自民党を尻目に、民主党では早くも戦勝ムードが漂う――

自民党各派の会長に首相・麻生太郎から相次いで電話が入ったのは内閣支持率半減の衝撃が冷めやらぬ十二月九日のことだ。前日の朝刊一面トップで報道された麻生内閣の支持率は朝日新聞二二%、読売新聞二〇・九%、毎日新聞二一%、共同通信二五・五%。国民的な人気の高さを買われ、九月の自民党総裁選に圧勝した伊達男のあまりに早い凋落ぶりに、党内はパニック状態に陥っていた。

「ご心配をかけて申し訳ない」。いつになく殊勝な口ぶりの麻生に対して、各派の領袖たちは「支持率なんて上がったり下がったりするもの。気にすることはない」「若い連中が焦ってワーワー言っているが、直に落ち着く」とそろって激励の言葉を口にした。だが内心はもちろん別だった。二代前の戦後最年少首相・安倍晋三が支持率を落としたきっかけは、降ってわいたような年金記録問題と閣僚の事務所費問題。前首相・福田康夫が足元をすくわれたのは後期高齢者医療制度問題。いずれも本人に直接の責任はない、いわば「もらい事故」だった。

 それに引き替え、失言や漢字の読み間違いで失笑を買い、景気対策をめぐる方針のぶれで決定的な不信を招いた麻生の場合は、無免許、酒気帯びで電柱に衝突したような同情の余地のない「自損事故」だ。「しっかりしろ」と怒鳴りつけたい気持ちを飲み込んでのエールだった。

 例外的に本音をちらりと覗かせたのは志帥会(伊吹派)会長の前財務相・伊吹文明である。協力を約束する一方で、「そりゃあ、みんな支えますよ。四人目の総理を出すわけにいきませんからなあ」と嫌みも忘れなかった。「最後の切り札」として登場した麻生も短命に終われば、自民党に政権担当能力はないと烙印を押されても文句は言えない。支えたくて支えるのではない。交代させるわけにいかないから協力するだけだ。そんな苦々しい思いがにじみ出ていた。

 麻生もさすがに容易ならざる事態に立ち至っていることは自覚していた。だからこそ、領袖たちへの電話で必ず言い添えた殺し文句がある。「手間は取らせませんが、官房長官を挨拶に伺わせますから、時間をつくってやってください」。

 この状況で首相が官房長官を差し向ける用向きはただ一つ、官房機密費のお裾分けだった。正式名称は内閣官房報償費。「国政の円滑な推進」のために官房長官の判断で自由に使えることになっている年間十五億円近い領収書の要らない秘密資金だ。一般に「権力の潤滑油」と呼ばれるが、今回は麻生から党内の顔役たちへの迷惑料であり、各派所属議員の協力を取り付けるための懐柔資金だった。

 官房長官の河村建夫は清和会(町村派)代表世話人の前官房長官・町村信孝、平成研究会(津島派)会長の党税制調査会長・津島雄二、番町政策研究所(高村派)会長の前外相・高村正彦ら派閥領袖に加え、首相経験者の事務所にも麻生の名代として足を運んだ。河村が訪問時、あるいはその前後に届けた金額は一説に「派閥の規模によって違うが、最低でも一千万円」(党関係者)といわれる。

 一般の議員にも麻生は大盤振る舞いをした。自民党執行部が十二月十一日に党所属議員の指定口座に振り込んだ年末恒例の「もち代」。早期解散を見込んだ選挙事務所開設などで出費がかさんだとして、毎年支給される二百五十万―四百万円の支部交付金に加え、麻生指示による選挙活動費二百万円が上乗せされていた。衆院の現職だけで三百四人、六億円を超える特別手当である。

■クーデター鎮圧!?

 水心あれば魚心である。麻生に対して腹に一物ある伊吹も、派内の「反麻生」の動きを抑えにかかった。麻生からの電話の翌日、伊吹は東京プリンスホテルで開かれた伊吹派の内閣府大臣政務官・宇野治のパーティーで挨拶に立った。

「身内でカバーしながら乗り切っていかなくちゃいけないのに、テレビに出て身内の悪口を言っちゃあ、どうしようもない」。念頭には反麻生の急先鋒としてマスコミでもてはやされる元行政改革担当相・渡辺喜美や元幹事長・中川秀直の姿があった。その渡辺が参加する「速やかな政策実現を求める有志議員の会」に宇野は名を連ねていた。

 壇上で身をすくめる宇野に視線をやりながら伊吹は続けた。「勉強は自由、政策に上下はないけれども、やはり政界にも礼儀作法というものがある。国会の首班指名で一票入れた人の悪口を言いながら、自分の立場を良くしようというのは人間の矜持、品性において如何なものかと思います。退会したんでしょ? それで結構でございます」。満座の支持者の前で脱会を宣言させる強引さだった。

「速やかな政策実現を求める会」の代表世話人の一人、元官房長官・塩崎恭久は所属する宏池会(古賀派)会長の党選対委員長・古賀誠からこってりとしぼられた。十二月十一日昼の古賀派総会。いつになくドスの利いた古賀のあいさつに出席議員は顔を見合わせた。

「後ろから鉄砲玉を撃つことだけは絶対にないようにしてほしい。これだけはしっかりお願いしておく。後ろからの鉄砲玉が一番支持率を下げる。私は恥ずかしい、選対委員長として」。師匠の元幹事長・野中広務ばりの絶叫調の熱弁だ。

 総会終了後、古賀は塩崎を自席に呼び詰問した。「政局的な思惑なんてありません。政策提言のためです」と釈明する塩崎に、古賀は「それならそうと、きっちり分かるようにやれ。意味がないことをやるなよ」。塩崎は深々と頭を下げた。

 もう一人の代表世話人の前行政改革担当相・茂木敏充も、派閥会長の津島と会長代行・額賀福志郎から「二次補正を今国会に出せと提言しているようだが、出せば民主党に関連法案を参院で潰され、二進(にっち)も三進(さっち)もいかなくなることくらい君なら分かるだろう」と厳重注意を受けた。無派閥の渡辺には党選対副委員長・菅義偉が「これ以上エスカレートすると公認を出せなくなる。その場合は対立候補を出す可能性もある」と警告した。

 クーデター鎮圧のため政府軍が総攻撃に出た図である。麻生派の留守を預かる座長・中馬弘毅は十二月十八日の総会で表情を緩めた。「先週末くらいから少し世の中の潮目が変わってきたような気がする。マスコミも含めて一生懸命麻生攻撃をやっていたが、自分達で選んだ首相をすぐ叩いて何かいいことがあるのかと街の人も麻生さんを激励し始めた」。だが、それは希望的観測にすぎなかった。

 Xデーに備え兵力を蓄える一時的な撤退であり、戦意喪失どころか、ますます盛んというのが裏の顔だった。塩崎らのグループが描くシナリオはこうだ。

 麻生内閣の支持率低下は年明けの通常国会中に行き着くところまで行く。一桁台に落ち込み退陣要求に抗しきれなくなった二〇〇一年の森喜朗内閣と同様、来年度予算成立前後に麻生は立往生する。自らギブアップしなければ、国会議員と都道府県連代表(各一人)の過半数の要求で臨時総裁選を実施できるとの事実上のリコール規定を初適用して新総裁を誕生させ、新首相の下で衆院解散・総選挙になだれ込む――。

 伊吹らが否定する「四人目の総理」シナリオである。中川が描くタイムスケジュールもほぼ同様。ただ、このシナリオには致命的な欠陥があった。ポスト麻生は誰か、その新総裁がかつての小泉純一郎のように「救世主」たり得るのかという最も肝心な部分が空白なのである。

 前回総裁選で麻生に敗れた四候補の中で、傍目にもやる気満々だったのは幹事長代理の石原伸晃だ。十二月五日昼にグランドプリンスホテル赤坂で開いた自身のセミナーで、石原は麻生を支えるべき執行部の一員でありながら「自民党議員の七、八割は麻生政権で選挙して与党でいられるのか疑問を持っている。自民党も麻生政権も崖っぷち」だと公言し、麻生首相のまま衆院選に突入していいのかと公然と党内に問題提起したのである。ポスト麻生に名乗りを挙げる気持ちがあればこそだった。「最近の石原は完全に腰が浮いている。『私は、私は』と総裁選の最中のような物言いに戻っている」。山崎派議員の証言だ。同様に、塩崎、渡辺、さらには中川秀直も展開次第では総裁選に色気があるのは間違いない。

 厚生労働相・舛添要一を担ぎ出す動きもある。夏まで衆院厚労委員長を務めていた茂木は十二月十六日、赤坂の鰻料理屋「重箱」で余人を交えず舛添と懇談した。この席で茂木は次のようなメッセージを舛添に伝えた。

「山ほど問題を抱える厚労省を担当しながら、常に世論の高い支持を得ているのは驚嘆すべきことだと常々思ってきた。委員長として一年間、間近で接して、いま自民党の危機を救えるのはあなたしかいないと確信するに至った。チャンスが巡ってきたらぜひ逃げないでほしい」

 舛添は礼を述べながらも、「今はただ閣僚として全力投球するだけ」と慎重な発言に終始したとされる。

■鳩・菅の官房長官争い

 民主党代表・小沢一郎は、宿敵の体たらくを前に勝利を確信したのか、最近の言動は自信に満ちあふれている。

 十二月九日、小沢は広島市で地元の連合幹部と懇談した。「大蔵も目ざといよな。俺のところによく来るんだ」。小沢は席上、財務省幹部が日常的にレクチャーに訪れるようになったことを嬉しそうに明かした。赤坂の小沢事務所に日参しているのは主計局次長の香川俊介。竹下内閣の官房副長官時代の小沢に仕えた元秘書官である。政権交代の可能性が極めて高いと読んでの先行投資。小沢にすれば、霞ヶ関の雄・財務省から政権交代のお墨付きを得たような気分だった。

 では小沢内閣はどんな顔ぶれになるのだろうか。「次の内閣」の規定では、政策調整の要となる官房長官には政調会長が座ることになっている。だが参院議員で党務経験も少ない直嶋正行には荷が重すぎるとの見方が強い。「官房長官は実質的に閣内ナンバー2。菅さんも鳩山さんも『俺しかいない』と思っているが、小沢さんはどちらにも言質を与えていない」(幹部)のが現状である。

 菅・鳩以外で主要閣僚に有力視されているのは、小沢の信任が厚い元蔵相・藤井裕久の財務相への起用。次期衆院選に出馬せず引退することを決めているが、民間人閣僚として起用されるとの見立てだ。現衆院副議長・横路孝弘も小沢との付き合いが深く、重鎮として入閣を要請される可能性が大と見られている。

 連立友党からの入閣候補は各党とも小沢の「お友達」を押し込むと見られる。社民党副党首・又市征治、国民新党代表代行・亀井静香、新党日本代表・田中康夫。無所属からも郵政造反組の元経産相・平沼赳夫や、テレビ出演などで知名度の高い江田憲司の起用、意外なところでは自民党離党を条件にした渡辺喜美の一本釣りを予想する声もある。平沼、江田、渡辺の各選挙区について小沢が公式、非公式に「公認、推薦候補を立てなくていい」と指示しているとの情報がその根拠になっている。民間人では現在もブレーンとして活躍している元財務官の早大大学院教授・榊原英資の金融担当相などへの起用が有力視されている。

 衆院選での単独過半数獲得は難しいと踏んでいた小沢は一時、選挙後の政界再編を真剣に模索していた。自民党をいかに割るか。平沼や新党大地代表・鈴木宗男との連携も、二人が持つ自民党との太いパイプがいざという時に活きるという計算が働いていた。だが、衆院選に大勝できるとの予感は自民党分断―政界再編への関心を薄れさせていた。

 十二月十一日夜の民主、社民両党幹部の会食で、小沢は又市の質問に答える形で自民党工作の一端を明かした。

 又市「報道によると加藤、山拓と会ったらしいが、あの二人には誰も付いてこないんじゃないか」

 小沢「会ってないが、会っても意味はない。加藤は一人分、山拓は選挙でうちが勝つから〇・五人分にしかならない」

 又市「誰なら組める? 渡辺喜美か」

 小沢「いや、あれも決断できない」

 小沢は「中川は小泉時代の頭のままだから駄目」「石原は親父の言うことばかり聞いているから駄目」とばっさばっさと切り捨てた。もはや分断工作の必要はない、放っておいても自壊する。それが小沢の認識だった。

 一月五日に召集される〇九年の通常国会。麻生の行く手には険しい山が幾重にも待ち受けている。第一の関門は一月中旬に見込まれる〇八年度第二次補正予算案とその関連法案の衆院採決だ。自民党内では「評判の悪い定額給付金は棚上げしても構わない」との声が少なくない。だが十七人以上の造反者を出せば、衆院再可決に赤信号がともり、政権の屋台骨は年明け早々から大きくきしむことになる。(文中敬称略)