2009年3月9日

赤坂太郎 文藝春秋3月号

麻生捨て身の「給付金解散」シナリオ

(http://bunshun.jp/bungeishunju/akasakataro/0903.html)

支持率は危険水域、党内では反乱騒ぎの中、一縷の望みを託すのは……

「今こそ、政治が責任を果たす時です」「日本の底力は、必ずやこの難局を乗り越えます」

 一月二十八日、首相・麻生太郎は、民主党の“牛歩戦術”により引き延ばされていた施政方針演説をようやく行った。「最後の国会演説」などと揶揄さ れていただけに、さぞかし力が入るかと思いきや、フリガナがふられた草稿を追う言葉に迫力はなく、与党席からの拍手もまばら。昨年九月の所信表明演説で は、民主党を挑発する言葉を連発したが、今回はそれも影を潜めた。すでに“敗軍の将”のような雰囲気を、敏感に感じ取った自民党議員も少なくなかった。

 一週間前、米国に興奮と熱狂を呼び起こしたバラク・オバマの大統領就任演説とは比べるべくもない。オバマはワシントンに足を運んだ二百万人を前 に、「今私たちに求められているのは、“新たな責任の時代”だ」と熱弁を振るった。支持率六八%はケネディに次ぐ戦後二位である。その華々しいリーダー誕 生の瞬間を、支持率一七%(時事通信)の我が国の首相はCNNテレビで見つめていた。麻生は毎朝、英語勘を失わないためにCNNやBBCの英語放送を十五 分ほど聴くことが習慣になっている。

 国民の心はなぜ麻生から離れたのか。チェンジを標榜するオバマとは対照的なライフスタイルへの頑なまでのこだわりもその理由のひとつだろう。ホテ ルのバーでの“クールダウン”が顕著な例だ。東京・神山町の七百五十坪の大邸宅から、首相公邸への引っ越しを延々と先送りにした背景にも、そうした頑固さ がのぞく。大勲位・中曽根康弘が、「公人中の公人たる首相は、一億国民の命運を預かる立場であり、公邸に入って、二十四時間、身命をなげうって取り組め」 と苦言を呈したこともあり、麻生本人は一度は新年早々の引っ越しを決意した。だが、家族の反対にあって延期。その後、自民党内からの「家庭内のねじれも解 消できないのか」「家族も説得できないで、国民を説得できるわけがない」との批判の声が届いたのか、渋々重い腰を上げたのだ。

 神山町の邸宅は、天井高は二メートルを遥かに超える洋館で、生活スタイルは完全に洋式。二階の寝室を出て、客間に向かう麻生が階段を降りるときに は、すでに靴をはいている。家のなかを寝巻き姿でうろうろする、どこかのお父さんとは大違いなのだ。さらに朝食後の散歩は健康維持のための重要な日課だ。 公邸に移ってからも官邸裏につながる庭園では満足できず、半時間あまり国会周辺を時速六キロで歩きまわる。「なんの努力もしない奴の医療費をなぜオレが払 わなければならない」と公言しただけあって、足取りは快調だ。健康診断の数値も極めて良好。体脂肪率一五・六%、BMI(体格指数)22、血管年齢四十二 歳のデータに、主治医は六十八歳とは思えぬ“理想的な数値”とのお墨付きを与えた。国民の支持を失っているときには、気力・体力が政権維持の重要なポイン トとされるが、その点だけは心配がない。

 最近では、自民党内で反乱が起きる最大の懸案とみられた二〇一一年度の消費税増税問題がいわゆる二段階論で決着したことで、「これから反転攻勢だ」と意気込んではいる。ただし、明るい兆しはいまだ見えない。

■縮み上がる中川

 そもそも「消費税政局」にしても他力本願で難を逃れたに過ぎない。その過程では、かなり緊迫した場面もあった。最大のキーマンが元幹事長・中川秀 直だ。離党した元行革相・渡辺喜美はかねてより中川との関係を公言し、中川も渡辺に「捨て石にはしない」と励ましてきた。さらには「新しい旗を立てる。日 本版ニューディール政策だ」とブチ上げる中川に同調する議員が、消費税増税反対派を形成し、勢いを増す場面もあった。

 こうした事態に、調整能力のない官邸に代わって動いたのが町村派の面々だった。まず久々の出番を探ったのは、元首相・安倍晋三。安倍は政権投げ出 しと批判された一昨年の九月以来、謹慎の意味から、政治的な動きに関わることを意識的に避けてきた。しかし町村派の若手には隠然たる影響力があり、麻生と も一貫して緊密な関係を維持してきた。「麻生の邪魔をしているのは、塩崎恭久、山本一太ら、安倍内閣のときのお友達ばかりだ」といった陰口が耳に入ったこ ともあり、安倍は自ら収拾に乗り出すことにしたのだ。

 余談ながら、安倍にはもう一つ、麻生に「借り」があった。麻生派の前身の派閥を率いてきた衆院議長・河野洋平が引退を表明し、その後継の女性候補 (麻生派)が出馬する神奈川十七区から、安倍の首相秘書官だった井上義行が出馬するというのだ。小田原市議選を目指していたはずの井上の電撃的な総選挙出 馬の動きが発覚したのは一月二日のことだ。箱根駅伝の小田原中継所。陸連会長でもある地元の河野がレースを観戦していると、視界に井上の姿が飛び込んでき た。しかも周りには、ビラをまく支持者らしきグループ。ビラには国政への意欲がつづられていた。河野陣営が直ちに麻生を通じて、安倍に確認すると、安倍も 寝耳に水だった。しかし井上の意思は固い。安倍の制止を振り切ってでも出馬の構えだ。

 麻生のために一肌脱がねばならない安倍は、一月十五日、町村派総会後の安倍・町村(信孝)・中川の三者会談で「今は派内でお互いが対立するときで はない」と切り出した。そして側近の世耕弘成に命じ、消費税増税問題について双方が受け入れ可能な文案の作成に着手させた。一方、中川とは犬猿の仲という 町村も税制調査会顧問・伊吹文明らと落とし所を探る。安倍は麻生の携帯電話を鳴らし、「町村派の若手と塩崎までは責任をもって抑える」と伝えた。外堀は埋 まった。

 しかし中川は簡単に納得しない。最後はやはり元首相・森喜朗の出番だった。森にも覚悟があった。森・中川はもともと永田町随一の師弟コンビ。森が 夏の暑い日に事務所で「おしぼりと中川君」を所望したというのは知る人ぞ知る話だ。だが、昨年の自民党総裁選で、森が麻生支持を鮮明にしたにもかかわら ず、中川は平然と元環境相・小池百合子を擁立。両者の亀裂が広がっていたところに、今回のクーデター騒動である。

「党幹事長まで務めた議員がやってはならない反乱を起こしている」。森は中川を痛烈に批判し、さらに中川が、幕末・維新の志士、坂本竜馬に自分を重 ね合わせてカラオケで『ふたりで竜馬をやろうじゃないか』(堀内孝雄)を熱く歌い上げると聞くと、「何を自分に酔っているんだ」と吐き捨てた。「本当にそ の路線を変えないのなら、派閥を出ていってもらってからにしてほしい」。人づてに聞いた森の激しい怒りに中川は縮みあがった。今が自らの政治生命を賭すタ イミングなのか、大きな迷いが生じた。

 一月二十一日夜、官房長官・河村建夫と都内のホテルで向き合った中川は、丁重に頭を下げる河村を前に、テーブルをひっくり返す気概は失せていた。 「二〇一一年度消費税上げが明記されないなら自分は納得するし、党を割ることはない」。党の部会で政府案が了承された後、麻生は、中川に白旗をあげさせた 最大の功労者、森にまっさきに電話を入れた。「森さんのおかげで救われた。本当にお世話になりました」。麻生は電話をしながら無意識のうちに頭を下げてい た。党分裂の危機はひとまず過ぎ去り、麻生も一息ついた安堵の表情を見せた。

■「五月二十四日投票」説

 では、「反転攻勢」成功の可能性はあるのか。一月半ば、麻生が「七月のイタリアサミットにはぜひとも行きたい」と周辺に漏らしている、との情報が 永田町を駆け巡った。サミットは七月八日から十日。サミット明けの衆議院解散なら、総選挙の日程は、任期満了の九月に限りなく近づくことになる。公明党が 水面下で求めた日程は四月二十六日の総選挙。しかしこれは、事実上、話し合い解散の道しかなく、麻生には到底飲めない。

 麻生にとってダメージとなっているのは、やはり党首力対決で小沢に逆転されたことだ。景気もさらに悪化し、政権浮揚の材料は見当たらない。麻生も 解散に関する話題をことさら避けているかに見える。だが、周辺から漏れてくる麻生の本音はこうだ。「定額給付金を八割が反対していて、評判が悪いという が、じゃあみんな受け取らないのかというと、九割はもらうだろう。実際に手にしてみて、嬉しくない奴ぁいないんじゃないか」。実際に小渕内閣でも地域振興 券を給付すると、支持率は上がった。麻生もそのピンポイントのタイミングをついて解散に踏み切ろうというわけだ。

 麻生の思惑を察知した公明党も素早い動きを見せた。東京都選管が都議選日程を正式に決める一月二十一日の前々日。内定していた七月五日投票を一週 間遅らせるよう、公明党都本部のドン・藤井富雄が自民党にねじこみ、先延ばしをごり押しした。公明党内では、告示期間中にサミットをはさむことから、「衆 院選と都議選とのダブル選挙封じ」と説明されたが、実際は、総選挙から少しでも間をおいて都議選に備えたいという思惑なのだ。

 定額給付金が行き渡るのは、五月にずれ込むとみられており、解散日程はそこから逆算して、絞り込んでいくことになる。「五月十二日公示、二十四日 投票」などの日程が取り沙汰されているが、圧倒的な劣勢が続く中、麻生が勝機を見い出し、決断できるのか、なお予断を許さない。

 対する民主党。一月十五日夜、東京・深沢の小沢邸から車で数分の小沢の後援者宅。人目を忍んで車を乗りつけたのは、民主党代表・小沢一郎、代表代 行・菅直人、幹事長・鳩山由紀夫の三人だった。ホテルや料理屋を使わなかったのには理由がある。これは政権移行準備を具体化させるための“極秘トロイカ会 談”だったのだ。足元が揺らぎ続ける自民党を尻目に、民主党に雑音は少ない。

 小沢は、政権奪取後、「最初の百日が勝負を決する」と考えている。政権移行期に何をし、どういう形態の統治機構を作るかの研究は、党行政改革調査 会長・松本剛明を中心としたメンバーですでに内々に進められてきた。一方で、総選挙勝利=政権交代を前提とした動きが表面化することを小沢は極度に嫌って いる。各選挙区の前線で戦っている候補者が緩んでは、戦局が一瞬にしてひっくりかえってしまうことを知っているからだ。

 小沢は「政府には現状で七十人の議員を配しているが、これを官房副長官や副大臣の増枠によって、百人の議員にまで増やして、官僚主導とは決別した 政治主導の態勢をつくりあげる」と述べている。さらにいくつかの我がままな“研究テーマ”が与えられている。「国会の委員会に縛られるのはごめんだ。法的 に首相出席を義務付けているものはないはずだ。国会も通常国会の百五十日間以外に臨時国会をあえて開く必要はない」、「記者クラブを廃止して、内外に開か れた姿にすべきだ。昼と夕のぶらさがり取材もやりたくない」。

 霞が関もこうした動きに呼応し始めている。永田町に情報網を張り巡らせる財務省は「民主党政権も組み易し」の結論を得たとされる。その財務省の中 心となっているのが主計局次長・香川俊介。かつて竹下内閣の官房副長官だった小沢の秘書官を務め、今や主計局内でも民主党政権を見越して、ほぼすべての案 件について、香川の了解を取り付けることが暗黙のルールだという。香川も小沢のもとを訪ねる回数が増えた。予算案審議をめぐる与党の思惑も小沢に筒抜け だった。

 外務省も負けてはいない。ジュネーブ国際機関政府代表部大使兼ジュネーブ総領事・宮川真喜雄を本省の国際協力局審議官として呼び戻したのだ。宮川 も香川と同じ時期、小沢の秘書官として仕えた。日米間で燃え盛っていた電気通信交渉や建設市場開放交渉を決着させるため、単身米国に乗り込み、それを実現 させた小沢を陰で支えたのが宮川だった。帰任命令は「小沢シフトを準備しておくため」というのが、省内の定説となっている。

 最近ではいよいよ「首相になる覚悟」を固めたという小沢だが、依然として、小沢政権は短命との見方も根強い。では、その際、誰が後継指名を受ける のか。鳩山、菅、岡田克也らが小沢に意見することもなく大人しいのは、それぞれが期待に胸を膨らませているからに他ならない。不安材料といえば、国対委員 長・山岡賢次の「裏献金疑惑」ぐらいだろう。与党幹部は「敵失でもなんでも勝ちは勝ち。国会で徹底追及する」と勢い込む。

 捨て身の麻生と余裕の小沢の激突は、景気動向、定額給付金、醜聞――いずれにせよ、一瞬の風をどちらが掴むかが勝敗を分けるだろう。(文中敬称略)

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