2009年7月6日

赤坂太郎 文藝春秋6月号

「五月解散」菅vs.大島の暗闘
http://bunshun.jp/bungeishunju/akasakataro/0906.html
決戦の日はいつか。「総理の専権事項」をめぐり密会を重ねる参謀たち――

 薄紅色の八重桜が咲きこぼれる園内を、この日の主役が人の波を縫うように歩いていく。周囲に響く「ガハハ」という笑い声が機嫌の良さを物語っていた。恒例の首相主催の「桜を見る会」が四月十八日午前、一万一千人の招待客を集めて東京・新宿御苑で開催された。
 ホスト役は就任七カ月目の首相・麻生太郎。準大手ゼネコン・西松建設のトンネル献金事件で民主党代表・小沢一郎の公設第一秘書が逮捕されて以降、内閣支持率が上昇に転じたとはいえ、まだ二〇%台半ば。政権を懸けた民主党との衆院選決戦を前に、自民党内には「麻生では勝てない」との悲観論が依然くすぶっていた。二日前の山崎派総会での前副総裁・山崎拓の挨拶には党内の空気がよく表れていた。「家内に聞いたら『最後の園遊会になるかもしれないので行きたい』と言っていた。情けない限りだ」
 疫病神でも見るような冷やかな視線。普通の神経の持ち主であれば、とても花見気分に浸れる心境ではあるまい。だが、そこは良くも悪くも「嫌なことも一晩寝れば忘れる」(側近)という底抜けの楽天主義者。麻生は主催者挨拶で自作の短歌を披露した。
「『ふるさとに はや桜満つ ゆゑ問へば』……。冬が寒くなきゃ駄目、これが大事なところなんだそうです。『冬の寒さに 耐へてこそあれ』」
 冬の時代はもう終わり。これからは「経済の麻生」の花が開き、内閣支持率はさらに上昇する。衆院選に勝って長期本格政権だ――。そんな荒い鼻息が聞こえてくる。今なら勝てるかもしれない。麻生はそう考え始めていた。
 報道各社の世論調査をどう読むか。分析好きの元幹事長・伊吹文明は「内閣支持率三〇%以上」「政党支持率で民主に十ポイント以上の差」「比例代表の投票先で民主を上回る」の三つを自民党勝利の最低条件だと指摘する。それに照らせば、解散は時期尚早。自民党内の大勢も伊吹と同じ意見だった。
 だが、桜を見る会の九日前、麻生は側近の自民党選対副委員長・菅義偉に腹の内を打ち明けている。追加経済対策の決定を翌日に控えたこの夜、麻生はホテルオークラの一室に菅をひそかに呼んだ。
「大島ちゃんは民主党が補正予算の早期成立に抵抗するなら、すかさず解散に打って出る展開もあり得ると。確かに目下の国民の最大関心事は景気対策だから、小泉さんじゃないが『賛成か反対か、国民に問いたい』という手はあるよな」
 政府、与党は追加経済対策の裏付けとなる十四兆円の大型補正予算案を四月二十七日に国会に提出し、大型連休明けに衆院を通過させる日程を組んでいた。民主党が参院で徹底抗戦に出れば、元首相・小泉純一郎の郵政解散にならい、五月中に「補正解散」を仕掛けるという構想である。国対委員長・大島理森の進言を紹介する形ではあったが、麻生自身も大いに乗り気だったのは間違いない。
 この夜、菅が色よい返事をしていれば、麻生が一段と五月解散に前のめりになっていたことは想像に難くない。だが、菅は「そんなことはお考えにならない方がいい」と直言した。
 二世、三世が多い自民党内にあって、菅は裸一貫、自力で道を切り開いてきた文字通りのたたき上げ議員だ。その胆力と行動力は、同じく地方議員出身で遅咲きの元幹事長・野中広務が権力の階段を一気に駆け上った当時を彷彿とさせるものがある。
■大島が狙う抜き打ち解散
「どうしてだ」。案の定、麻生は途端に不機嫌になった。菅は選挙情勢から説き起こした。
 西松事件があっても民主党の支持率はさほど落ちていない。小沢のひざ元の東北地方で民主党の勢いが落ち、いい勝負になりそうな選挙区が増えてきたが、全国的な傾向はまだまだ自民党に厳しい。
「五月には定額給付金がほぼ全国に行き渡り、高速道路料金引き下げなどの景気対策も浸透する。選挙情勢はさらに好転している可能性が大きい」という麻生の見立てにも、菅は首を横に振った。
 五月中旬に発表される今年一―三月期のGDPは相当な落ち込みが予想され、「選挙どころではない」という世論になる。その中で補正予算成立を待たず解散に踏み切れば、麻生の「政局より政策」という看板は嘘だったのかと非難を浴びる。「民主党は政局優先で国民生活を考えていない」と攻撃しても「補正予算を廃案にしたのは、解散した麻生だ」と切り返される――。
 麻生が五月解散に心を動かしたのは「勝機あり」と判断したからだけではない。この機を逃せば、解散権を行使できないまま夏を迎え、麻生降ろしの動きが党内に広がるのではないか。その不安が背中を押していたのである。親分の心のツボを知る苦労人はこの夜も「麻生降ろしなど起きないし、起こさせない。必ず総理に解散を打ってもらいます」と確約することを忘れなかった。
 菅は週明けの十三、十四の両日、官邸に麻生を訪ね、さらに二日がかりで説得に努めた。選挙情勢を詳しく説明し、ジャーナリスト・田原総一朗の仲介で「反麻生」の急先鋒の元幹事長・中川秀直と勉強会をつくることも報告した。「麻生降ろしの芽は摘みますから、ご安心を」というメッセージだった。
 麻生は最後まで「五月解散断念」を明言しなかったが、「政策最優先の姿勢は必ず党内外の評価を高める」という親分顔負けの菅の楽観的な予想には、「そうかな」と相好を崩した。麻生は二十日、幹事長・細田博之と大島を官邸に呼び「補正予算案と関連法案の早期成立が景気の上で大事だ。ゴールデンウィークの谷間も審議に充て、一日も早い成立に努めてほしい」と指示を出した。とりあえず菅に乗った形だった。
 おもしろくないのは早期解散を進言してきた大島だ。大島にしても、厳しい選挙情勢を知らないわけではない。しかし九月の任期満了までに「補正解散」を上回るチャンスは訪れない、好機を逃すなという考えだった。
 官邸から戻った大島は筆頭国対副委員長・村田吉隆らに「衆院は五月一、七、八の三日間の審議で通過させる。参院には十五日の成立を目指してもらう」と厳しい表情で言い渡した。「場当たり、バラマキ、増税含みの補正予算」と批判し、本予算並みの審議を要求している民主党が飲むはずのない日程だった。激突国会になれば、出合い頭で何が起こるか分からない。昨年十二月に中川秀直の持つ自民党国対委員長在任記録(千百二十七日)を抜き、国会対策の「プロ中のプロ」を自任する大島は、抜き打ち解散をあきらめてはいない。
 この間、早期解散あり得べしの情報に右往左往していたのが公明党である。
 都議選と衆院選が重なっては困る。間隔が最低でも一カ月以上ないと、どちらの運動も中途半端になる。公明党執行部は学会上層部からそうきつく言い渡されていた。今回の都議選は七月十二日。公明党代表・太田昭宏や幹事長・北側一雄は「都議選前なら六月七日投開票まで。それ以降は絶対に避けてほしい」と麻生や自民党執行部に陳情を繰り返してきた。だが補正予算案や関連法案の審議紛糾を口実にした解散となれば、その「一カ月前ライン」を踏み超える恐れが十分にある。
 四月十四日午前、国会内の公明党控え室で太田、北側、副代表兼総合選対本部長・井上義久、参院議員会長・白浜一良、政調会長・山口那津男、国対委員長・漆原良夫の六人が鳩首会議を行った。
 太田「五月は既に都議選に向けた日程が集中的に組まれている。ここまで来ると六月七日投開票も難しい。だいたい誰が『補正成立前でも』と言っているんだ。私が接触している自民党議員にはいない」
 漆原「小沢が辞めた時が解散のチャンスという考えだろう。連休明けの初公判に注目しているようだ」
 北側「結局、補正と関連法案を成立させるつもりが総理にあるのかどうかだ。しっかり成立させて、都議選後に内閣を改造した上で七月末に臨時国会を召集し冒頭解散、大安の八月三十日投開票というのがいいのではないか」
 確たる情報を持っている幹部は一人もいなかった。
 太田は翌十五日、記者団の目に触れぬよう裏口から官邸に入り、麻生と直談判に及んだ。「創価学会はタンカーのような組織。末端まで動かすには時間がかかる」「仮に六月七日投開票ということなら、今言っていただかないと間に合わない」。京大相撲部出身の太田は言質を取ろうとがぶり寄りをかけた。だが麻生は柳に風。「お気持ちは分かるが、国会や経済の状況を見ながら考えていくしかない」。北側もこの夜、ホテルオークラのバーで麻生に詰め寄ったが、結果は同じだった。
■小沢側近の離反
 麻生に早期解散を検討する余裕を与えたのは小沢民主党の機能停止である。政権交代に向けトップスピードでひた走っていた民主党という名の列車は、三月三日の小沢秘書逮捕を境に、停電に遭ったように急停車したまま動かなくなった。その象徴は与野党攻防の先頭に立ってきた国対委員長・山岡賢次の沈黙である。
 小沢側近ナンバーワンを自任する山岡は日ごろ「国対委員長は特命全権大使だ」と豪語し、国対方針について小沢以外の幹部の口出しを許さなかった。上司である幹事長・鳩山由紀夫や代表代行・菅直人も例外ではない。記者団への説明も一手に引き受け、記者会見やオフレコ懇談を通じて「民主党の方針」を発信してきた。その山岡が懇談を一切取りやめ、会見でも当たり障りのない発言しか口にしないようになった。自分の発言が党内に波風を立て、それが小沢の進退問題に波及することを恐れたとみられるが、小沢の後ろ盾なしに党内を仕切るのが難しいのも事実だった。
 小沢―山岡ラインという国会対策の司令塔を欠いた民主党はなす術もなく二〇〇九年度予算案と関連法案の年度内成立を許し、その後の補正予算をめぐっても幹部の発言が二転三転するという醜態をさらした。
 定例記者会見をこなす以外は謹慎を続けていた小沢が党務に復帰したのは、四月十五日夜の参議院会長・輿石東や石井一、北沢俊美ら参院ベテラン議員との会合がきっかけだった。「衆院の国会対応は見てられん。人によって言うことはバラバラ。与党にいいようにやられている」。石井らは口々に不満を漏らし、「あんたが戻らないとダメだ」とせっついた。留守部隊のドタバタ劇を苦々しい思いで見ていたのだろう、小沢は活動再開を約束した。山岡に電話し「しっかりしろ」とねじを巻いたのはその翌日のこと。山岡はその日のうちに補正予算の徹底審議方針を打ち出した。
 四月二十日から地方行脚も再開した小沢は、二十一日の記者会見で「代表として総選挙に向けてみんなと一緒に全力で取り組む」と“完全続投”を宣言してみせた。だが、もちろん内心は別だ。
「逃げている印象を与えるのはまずい。堂々と受けてください」と党首討論への出席を求める鳩山らに、小沢が決まって口にするのは「まだ検察が捜査終結を宣言していない」というセリフ。世論の逆風をさらに強めるような展開があった場合は代表の座にとどまることはできない、そんな不安を抱えたまま党首討論に臨みたくはないという意味である。
 小沢の心に影を落としているのは検察の動きばかりではない。数少ない側近である最高顧問・藤井裕久らの離反だ。
 藤井は自民党時代から陰日向なく小沢を支えてきた忠臣。小沢に逆らうような言動は一度もしたことがないと言って過言でない。その藤井がひそかに小沢に辞任を勧めていた。秘書逮捕の翌日、政界を引退した今も小沢の信任が厚い元参院議員・平野貞夫を事務所に呼び「最高裁まで行くことを考えれば、この事件はとても数カ月では片付かない。できるだけ早く代表を退いた方がいい。あんたから伝えてくれないか」と頼んだ。「私も同じ意見だ」と平野は応じ、その足で小沢事務所に向かった。小沢は忠告を容れなかったが、藤井は元政調会長・枝野幸男ら小沢に批判的な議員に「小沢さんは最も効果的なタイミングで辞めようと考えているはずだ。ぜひ静かに見守ってほしい」と頭を下げている。それは麻生が嵩にかかって解散に打って出た時なのか、それ以前なのか、それとも藤井の予言が外れるのか。
 九月十日の衆院議員の任期満了まで残り四カ月。政権を懸けた自民と民主の攻防は一寸先も見えない闇夜の白兵戦の様相を呈している。(文中敬称略)

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