2009年9月2日

赤坂太郎 文藝春秋8月号

鳩山更迭で始まった自民融解

http://bunshun.jp/bungeishunju/akasakataro/0908.html

麻生で戦えるのか――。泥舟と化しつつある自民党「断末魔の叫び」――

一九五五年の結党から五十有余年、日本の政治史に輝かしい足跡を残してきた自民党が、いままさに融解しつつある。
 六月二十四日深夜、元首相・安倍晋三が、人目を忍んで首相公邸に車を滑らせた。安倍は首相・麻生太郎と向き合うと、三十分間一気にまくしたてた。
「“決断できない首相”は、断固避けるべきだ。ここまできたら打てる手は、すべて打つしかない」
 安倍は、党役員人事・内閣改造をした上で、衆院の早期解散を決断するよう強く訴えたのだ。翌日未明、安倍の携帯電話には、麻生から「きょうはありがとうございました」とのメールが入った。そして、その日夕刻、日本記者クラブで会見した麻生は、安倍の進言を受けて、草稿にはなかった文言を口にした。
「解散の時期は言えないが、そう遠くない日だ」
 自ら原稿に殴り書きした言葉だった。
 この瞬間から、総理の「人事権」と「解散権」を巡って、自民党内で激しい綱引きが開始された。
 麻生の意中の幹事長は、党選対副委員長・菅義偉(すが・よしひで)だった。だが、当選四回に過ぎない菅が麻生の“振り付け役”となっていることへの不満は、ベテラン議員を中心に沸点に達していた。「大体、菅のいうことを聞いているからおかしくなった」。昨年来、菅が解散の先送りを進言してきたことへの批判が再燃したのだ。幹事長・細田博之が所属する町村派の元官房長官・町村信孝は、二十五日夜、麻生に直接電話して釘を刺した。
「(人事は)派として認められない」
 これより二日前、宮崎県庁に県知事・東国原英夫を訪ねた自民党選対委員長・古賀誠は、三顧の礼で「総選挙に自民党から出馬してほしい」と懇願した。古賀が示した条件は、「比例一位」などによる東国原の当選保証だった。だが、自民党の足元をみた東国原は「自分を総裁候補として迎えてくれるなら」と応じた。
 当然のごとく、自民党内では猛烈な反発が渦巻いた。元財務相・伊吹文明が「輸血の際に違った血液型を入れれば、人体は頓死してしまうことになる」と言えば、元副総裁・山崎拓も「地方自治を訴える知事が、任期も全うしないのはおかしい。宮崎県民への裏切り行為だ」と不快感を露にした。だが、お笑い芸人に頼らなければならないほど、自民党の危機が深刻なのもまた、事実だった。
 自民党融解の流れを一気に加速させたのが、前総務相・鳩山邦夫の更迭劇だった。日本郵政社長・西川善文を交代させるか、鳩山を更迭するか。この問題をめぐって露呈した「麻生のブレ」が内閣支持率を急降下させた。
 三月の段階では、麻生が西川の交代を念頭においていたのは間違いない。麻生はご丁寧にも、複数の後継候補者を記した書簡を鳩山に送っていた。しかし、こうした動きを察知した元幹事長・中川秀直や元総務相・竹中平蔵らの動きは早かった。元首相・小泉純一郎らも巻き込み、日本郵政と財界側への根回しを終え、五月十八日には、指名委員会が全会一致で西川を含む役員の続投を決めた。
 さらに、安倍や菅も参戦し、「けんか両成敗で西川を切るのはだめだ」と麻生説得に努めた。麻生には、二月の苦々しい記憶がまだ鮮やかに残っていた。郵政民営化に「実は賛成ではなかった」と軽口を叩き、小泉の激しい怒りを買い、内閣支持率が急落していた。まして、鳩山由紀夫に代表が代わった民主党への支持率が回復し、政権交代が現実味を増すなかで、「小泉対反小泉」の党内抗争が再燃すれば、虎の子の「解散権」すら行使できなくなる。
■麻生が鳩山に抱いた疑念
 六月五日夜、首相公邸。人眼を忍んで向かい合った客人、鳩山に、麻生はとっておきの最高級ブランデーXOをふるまった。麻生は二杯、鳩山は三杯あけた。
「この件はオレに預けてくれ」
 麻生は、総裁選で自分の選対本部長を三度にわたって務めてくれた盟友に妥協を迫った。だが、鳩山が首を縦に振ることはなかった。鳩山は「あなたと出会えて感謝している。充実した日々だった」と告げた。事実上の決別宣言だった。
 鳩山には、たとえ更迭されても自分の傷にはならない、という計算があった。
「世論は自分に味方するだろう。離党、新党を含め、選択肢はむしろ広がる」
 六月十二日、辞表を提出した鳩山は東京・谷中霊園の鳩山家の墓前に向かった。祖父の自民党初代総裁・鳩山一郎、父の元外相・威一郎に辞任を報告したのだ。その後、都内の病院で、この日に誕生した孫の男の子と対面し、「名前は正義かな」と笑った。
 一連の経緯を追えば、日本郵政の社長人事で麻生と鳩山が最終的に折り合わなかったという図式だ。しかし、実態はそう簡単な構図ではない。麻生が鳩山更迭を決断したのには、別の大きな理由があった。鳩山が倒閣を目論んでいるのではないか、ポスト麻生を狙っているのではないか――。そうした強い疑念を麻生が抱いたからにほかならない。
 実は、妥協案を探る過程で、「麻生が内閣改造に踏み切り、鳩山を幹事長に起用する」との案が浮上していた。西川を残して鳩山はいったん切るが、鳩山を幹事長として生き返らせるという苦肉の策である。麻生サイドによれば、鳩山はこれに乗る姿勢をにじませたという。
 だが同時に、麻生の耳には、鳩山が周辺に発した様々な発言が届いていた。「最終的に麻生には決めることはできないんだよ。決めるのはオレだ」。「オレを罷免なんかしたら即新党だな。五人ならいまでもOKだ。政権末期というのはやはりこういう空気になる」。
 鳩山の言葉を、麻生は決して許すことができなかったのだ。
■自民党融解の胎動
 当面、麻生にとっての政治決戦は、七月十二日投開票の東京都議会議員選挙となった。麻生は、すべての候補者事務所に応援に入る異例の日程を組ませた。だが、候補者側からすれば、いわば押し売りのようなものだ。
「初めてナマ麻生をみた人? 実物のほうがいいと思った人?」
 毎度変わらぬセリフを連発する姿が周囲の失笑を買う。それでも麻生は、表向き強気の姿勢を崩すことはない。バー通いも続けており、朝の散歩も早足でこなす。重要課題に「オレが決めた」と胸を張るスタイルにももちろん変化はない。
 鳩山辞任の二日前、温暖化ガス削減の中期目標を二〇〇五年に比べ二〇二〇年までに「一五%削減する」との国家目標を決め、自らが記者会見したときもそうだった。直前まで事務方は一四%削減の線で準備を進めていたが、麻生の「一ポイント加えて一五%だ」との一声で数字が変わった。これには伏線があった。五月二十八日、英国のブラウン首相との電話会談で、麻生は「世界トップの省エネルギー大国として、恥ずかしくない中期目標を公表する」とぶちあげていたのだ。麻生の決断にあわてた周辺が、「中期目標を発表するからには、政権も長期でなくてはなりません」と水をむけると、すかさず「バカ、そんなの決まってるだろ。二〇二〇年もオレの政権かもしれんぞ。ガハハ」と応じていた。
 持ち前の明るさは、この時点までは健在だったのだ。
 だが、盟友・鳩山の離反以降、若手を中心に総裁選前倒しを求める声が起き、麻生おろしは徐々に本格化した。
 六月十六日、極秘に国会図書館の一室に集まった元首相・森喜朗、安倍、町村ら町村派幹部の会合。表向き「麻生政権を支えるために結束を図る」ことで一致したが、話題の中心となったのは、同じ派閥の中川秀直の動向だった。派閥の例会と同じ時間に会合を重ねる中川へのいらだちはピークに達していた。
「都議選の結果いかんでは、中川が新党結成の動きに走る可能性がある。清和会(町村派)のなかで追随するものは抑えられるが、元幹事長・武部勤が一緒になって、小泉チルドレンが集団離党しようとしたら、それは抑えられない……」
 小泉チルドレンのうち比例当選で議席を得た四十七人のなかで、北海道一区での出馬を目指しながら断念に追い込まれた杉村太蔵に象徴されるように、当選見込みがゼロに等しい者は少なくない。新党に移って当選可能性を探ろうとする者が出てくるのは道理にかなっている。また、自身の選挙区があっても民主党候補にかなわないと見切りをつける議員も、中川の指にとまるかもしれない。
 六月二十六日、それまで政局的発言を封印してきた中川が、狼煙(のろし)を上げた。北海道函館市での講演で「自分の政権が終わっても、自民党政権が続くようにすることこそが、総理、総裁としての名誉ある決断だ。福田康夫前首相はそう決断した」と、公然と麻生退陣を求めたのだ。
 今年一月に自民党を離党した元行革相・渡辺喜美も、無所属の衆院議員・江田憲司とともに、「国民運動体 日本の夜明け」を新党に結びつけようとしており、これには、自民党衆院議員・長崎幸太郎、民主党参院議員・浅尾慶一郎が同調するとの見方がある。さらに渡辺は「まだ現職のなかに隠れ同調者がいる」として、政党要件を満たす五人を目指している。
 中川と渡辺には霞が関改革、地方分権という共通項があり、両者が手を結んで第三極をつくる可能性もある。さらに、中川との連携を模索する大阪府知事・橋下徹がもくろむ首長連合も、同じ看板を掲げて新党に突き進むこともありうる。
 そして、自民融解の導火線に火をつけた鳩山邦夫の周辺にも、いつでも行動を共にする「鳩山五人衆」と呼ばれる代議士がいる。鳩山に追随して厚生労働政務官を辞任した戸井田徹、吉川貴盛、河井克行、田村憲久、馬渡龍治だ。さらに自民党代議士会で麻生に“大政奉還”をつきつけた古川禎久らもいる。
 邦夫は二度目の党首討論が行われた六月十七日の前夜、兄・鳩山由紀夫の携帯電話を鳴らした。
「日本郵政の問題はとりあげるのか?」
「わが党のなかには、取り上げないほうがいいという論も強いんだ」
 しかし兄は、翌日の党首討論で「総理は間違ったほうを切られた」と、弟の気持ちを代弁した。さらに、「鳩山政権が実現すれば、西川社長には辞任して頂くことになる」と述べた。弟が新党を作り、兄の民主党と手を結ぶ「兄弟連携」の芽を感じ取った議員も少なくなかった。
 中川新党、渡辺新党、橋下新党、さらに鳩山新党……。こうした動きが現実のものとなるなら、その時点で自民党はもはや泥舟と化し、民主党と政権を争う政党の体裁さえ失ってしまうことになる。
 そして六月二十九日夜、元首相・小泉は、中川秀直、武部とともに、小泉チルドレン約二十人と会食した。前日、地元の横須賀市長選で自身が応援した現職が敗れたこともあり、小泉はビールを手に「野党になることもあっていいんじゃないか」と話し、いつもの力強さはなかった。一方、中川は「集団自殺みたいなことはできない。麻生さんには降りてもらうのが一番だ」とボルテージを上げた。中川らに対抗する麻生の唯一の武器が「解散権」だ。だが、たとえ自身の手で解散を打てたとしても、勝算はない。自民融解の流れを早めるだけだ。
 一方の民主党。代表・鳩山由紀夫は、自分に向けられている支持者の視線の明らかな変化を感じている。単なる野党党首でなく、“次期首相候補”として自分は見られている。遊説先で色紙に揮毫を求められる機会も増えた。六月二十日、仙台で立ち寄った地元名物の牛たん屋では、「牛愛、友愛」と筆を走らせて、周囲の笑いを誘った。
 自身の資金管理団体の政治資金収支報告書に故人からの献金が記されていた問題が、唯一の懸念材料ではあるが、心配された党内運営も軌道に乗った。政権交代を現実のものとするために、民主党では「麻生をもたせろ」が標語になっている。麻生政権のままで総選挙に突入すれば、勝利は揺るがないとの目論見からだ。役員室長・平野博文ら党首討論の対策にあたるチームも、「あまり麻生を追い込んではダメです」とアドバイスを送るほどだった。
 代表代行・小沢一郎も健在だ。西松建設からの献金をめぐる裁判で、検察の冒頭陳述で「天の声があった」と指摘されても、どこ吹く風で地方行脚を続けている。小沢は、連合幹部に「オレが代表を退いてから都市部の支持が持ち直した」と嘯(うそぶ)き、得意の候補者事務所の抜き打ち視察もこなしている。幹事長・岡田克也も、「幹事長になって、政権を取る前に太ってしまった」とぼやきつつ、自宅でジョーバにまたがって政権構想を練る。
 日本の政治の歯車が大きく動く瞬間が刻一刻と迫っている。(文中敬称略)

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