2008年10月3日

赤坂太郎 文藝春秋10月号

麻生・福田「政権禅譲の密約」全真相
解散・総選挙を断行するのは一体誰か? 同床異夢の二人三脚が始まった
(http://www.bunshun.co.jp/mag/bungeishunju/akasakataro/0810.htm)

北京五輪の熱狂も去り、永田町はいよいよ政局秋の陣を迎えた。臨時国会前に噴出した農水相・太田誠一の事務所費問題が政権の足を引っ張り、衆院の解散圧力が強まる中で、首相・福田康夫と幹事長・麻生太郎の二人三脚でどこまで踏ん張れるか。自民党選対が行う選挙情勢調査は党内で数部しか報告書が作られず、厳秘扱いだが、「小選挙区で北海道は全滅の可能性あり」、「東京では石原伸晃しか上がらない」、「民主党の候補者が決まっていない選挙区で自民党の現職議員が劣勢」。次々と伝わる情報は、否が応でも党内の総選挙への恐怖心を煽る。
 そもそも誰を担いで戦うのか――。
 様々な思惑が入り乱れる中、いまだに謎に包まれているのが、先の内閣改造の際に、福田と麻生との間で取り交わされたという政権禅譲の「密約」である。
 これについて記者団に聞かれた福田は秘書官の制止を振り切ってこう言った。「公になったものを密約とは言わないんですよ」。実は、この言葉は麻生に向けられたものだという。
 いったい福田と麻生の間に何があったのか。今一度時計の針を戻してみよう。
 八月一日午前十一時、首相公邸。麻生が応接室に通されると、時をおかずに福田が執務室から現れた。福田は両手を握って「自民党結党以来の危機だ」と訴え、「麻生さんの協力次第なんです」と正式に幹事長就任を要請した。麻生が「昨日の電話でも言いましたが、総理が総選挙をご自身で断行されたいなら、その幹事長は私でなく……」と言い掛けると、福田はいやいやと顔の前で手を振り、「それはもういいでしょう。当面の政策課題に取り組むことが、私に課せられた使命ですから。総選挙なんて考えたこともないんですから」と制した。麻生は「党人として総裁の要請から逃げるわけにはいかない。ただし思ったことはやらせてもらいますよ。とくに景気対策は喫緊の課題だ」と幹事長受諾を了承した。
 話は他の執行部人事にも及んだ。福田は「選対委員長・古賀(誠)、総務会長・二階(俊博)は留任させたいのですが、政調会長に腹案はおありですか」と問うた。「人事全体の理念から言えば、例えば与謝野馨さんでしょうね」と麻生が答えると、福田は「実は与謝野さんには閣内で大事なポストを考えています。経済財政担当相です」と打ち明けた。福田が元幹事長・中川秀直と与謝野との間で繰り広げられてきた「上げ潮派vs財政規律派」の争いに決着をつけた瞬間だった。
「それで閣僚名簿ですが……」と福田がリストを見せようとしたのを、「いや、もう、それは総理の専権事項だから、組閣本部で……」と麻生はさえぎった。必要以上に深入りすれば「中川外し」に加担したと、後に非難されることになる。
 別れ際、麻生は冗談交じりに軽口を叩いた。「ところでいつまで総理大臣を続けられるおつもりです?」。福田は「それは、任期満了でしょうかね。無理ですかな……ムフフ」と笑い、麻生も「アハハ」と豪快に笑い返した。
■必死に口説く森
 麻生幹事長誕生に向け積極的に動いたのは、元首相・森喜朗だった。改造前日、森は早朝から麻生を探し求めた。麻生は「八年ぶりのカミさん孝行だ」と夫婦水入らずの小旅行に出掛けていた。秘書の報せを受けた麻生は、滞在先の山形県・かみのやま温泉から森に電話を入れた。
 森は必死に口説いた。「ぜひ幹事長を受けてほしい。(麻生が)福田に乗っかって、一緒に沈んでしまうのはごめんだ。次のことを俺は考えるんだ、と思っているとしたら、そのときはもう民主党政権だ。私は細川内閣当時、野党の幹事長だった。あんなみじめな思いは二度としたくないな。あなたがこの電話で幹事長を受けるとさえ言ってくれれば、明日にでも改造はできるんだよ」。麻生が「いくら携帯電話時代とはいえ、そんなお国にかかわる大事な話を、電話で、しかも森先生であれ、間に人が入った形でお答えするわけにはいきません」と筋論にこだわると、森は「総理大臣が会って幹事長を打診して、それで断られたとなると政権がもたない。それは次を狙う君にとっても決してプラスにはならないはずだ。条件があるならば、言ってくれ。私が責任をもって伝える」と粘った。「じゃあ言いましょう。しかしこれは条件ではありませんよ」と前置きした上で麻生はこう告げた。「福田総理がご自身で総選挙を断行されたいなら、その幹事長に私はふさわしくない。もっと総理の意を体した、思想信条が同じ方の方がいい」。
 森はすぐに福田に連絡をとり、麻生に電話を掛け直した。「福田総理にいま確認した。『自分はその気はないし、私の後が誰かと言えば、党内の大勢はすでに麻生さんではないでしょうか』と言っているぞ」。森は自信満々でそう伝えたが、麻生は「それは総理と実際に面会して、聞かせていただく大事な話ではありませんか」と切り返した。
 しかし森はあきらめない。この日の午後、東京・青山葬儀所では元参議院議長・井上裕の葬儀が営まれていた。葬儀が始まる前、貴賓室にいた森の前に衆議院議長・河野洋平が姿を見せた。
「どうなっていますか」と内閣改造について訊ねる河野に森は「麻生がなかなか首を縦に振ってくれませんでね」とつい愚痴をこぼす。河野は「太郎ちゃんは人を介して頼んでもだめでしょう。総裁がきちんと要請されるなら、受けるのが党員としての務めだと思いますがね」と助言した。河野は自民党が野党時代の総裁であり、麻生派の前身は河野グループである。河野は早速麻生に電話を掛けた。「ここは幹事長を受けることを真剣に考えるべきだ。自民党が野に下っては元も子もない」。麻生の感触は悪くないと感じた河野は、ある人を通じて福田に麻生に直接つながる携帯番号を託した。
 午後八時過ぎ、グランドプリンスホテル赤坂の中華料理店「李芳」で秘書官と食事していた福田は途中で抜けだし、ホテルの一室から麻生の電話を鳴らした。傍らには森らが陣取っていた。
 麻生は福田の発言について、森に証人になるように求めていた。福田・麻生二人だけの「密約」だと、後で反故にされる危険があるからだ。麻生には苦い教訓がある。前首相・安倍晋三との間には「次はあなただ」と暗黙の了解があった。ところが、事前に安倍辞任の意向を耳にしていながら見殺しにした、と町村派を中心に猛反発を受け、一夜にして包囲網を敷かれ、総裁の座を目前で逃した。
「自民党結党以来の危機だ。ぜひ力をお貸し頂きたい」。張りつめた福田の声が麻生の耳に響いた。「自民党の危機だということ、簡単に逃げるわけにはいかないということ、それは重々承知です。ただ、これは条件ではありませんが、総理が総選挙をご自身の手で行われるかどうか。それ次第で一番いい幹事長を選ぶべきです」と繰り返す麻生。それに対して、福田は、間髪入れずにこう告げたのだ。「当面する政策課題はたくさんあります。解散など私の頭にはないことです」。福田としてはギリギリの表現だった。麻生は、福田は自分の手では解散しないとのニュアンスを強くにじませたと捉えた。
「一晩考えさせてほしい。そのうえでご返事致します」。電話会談を受け、麻生は、安倍、中川昭一、菅義偉、久間章生、公明党幹事長・北側一雄らに自ら電話を入れ、ごく簡単に経緯を説明した。そして翌朝、首相公邸へと向ったのである。

では、福田は本当に解散・総選挙前に麻生に政権を譲るのか。そもそも福田の「公になったものを密約とは言わない」との発言の真意は何か。
 福田発言が少なくとも現時点で、「クーデター騒動」の傷の癒えない麻生を安心させるためのものであることは間違いない。森も「証人」として立ち会っているのだから「公」ではないか、と。
 ただし、将来的には、「密約」の解釈は相当に玉虫色である。そこからは福田の意外なしぶとさが垣間見える。
 福田周辺から伝わってくる理想のシナリオはこうだ。まず麻生取り込みによって政権浮揚を図り、少なくとも来年三月の予算成立までは政策課題に取り組み、我慢に我慢を重ねても政権を死守する。そして景気対策や消費者庁が世論の追い風を受けるような展開になれば、公明党の猛反発を押さえ込んで、東京都議選とのダブル選挙を自らの手で断行する。政治状況が変われば、言った、言わないの「密約」など、はかないものだ。
 一方、麻生は、自らへの待望論が与党内から燃えさかることに期待を寄せる。公明党が求める年末解散も視野に入れ、早期の「政権禅譲、即総選挙」の青写真を描く。その場合、新テロ対策特別措置法改正案、消費者庁設置法案成立を花道に福田が辞任することが最も望ましい。所詮同床異夢の二人三脚なのだ。
■小泉・中川の怒り
 改造人事は新たな火種も生んだ。上げ潮派のブレーンの慶大教授・竹中平蔵は改造内閣を「官僚大好き内閣」と酷評し、元小泉首相秘書官・飯島勲は「小泉改革さよなら内閣」と一蹴した。とりわけ中川秀直は町村派を離脱するとの情報が飛び交った。それほど中川の怒りと失望感は大きかった。中川は周辺には過去の女性スキャンダルにけじめをつけて「総理を目指す」との決意を伝えていた。そのためには重要閣僚として福田を支える。そうした意欲は日頃から福田にも十分に伝わっていたはずだ。その野望が一瞬にして潰えてしまったのだ。麻生が総選挙を意識してバラマキ型の景気対策を打ち出し、福田がそれに引きずられれば、すぐさま牙を剥く構えである。
 加えて、元首相・小泉純一郎の不快感も伝えられている。郵政造反組が要職を占めたことが、小泉改革路線の転換を意味することは明白だからだ。だが小泉は表向き福田批判は一切口にせず、鷹揚に構えている。最近は二週間に一度はボウリングで汗を流す。八月十三、十四日には、自らが最高顧問を務めるボウリング振興議連主催の大会に参加した。
 議連の中心メンバーには、会長の武部勤や中川秀直のほか、猪口邦子、近藤三津枝ら、小泉チルドレンが名を連ねる。党内では、総選挙後にこのメンバーが中核となって小泉新党が結成されるとの構想も囁かれる。自民党も民主党も衆院の過半数に達しない場合には、第三極として小泉を中心とした新党を立ち上げ、その中から首班を担ぎ上げて安定勢力を作ろうというのだ。ただし、その場合でも、「小泉自身は総理大臣として再登板する気はない」と武部は言う。キングメーカー役を小泉が果たし、「総理指名権」を握ればよい、と考えているのだ。
 一方の民主党代表選は、小沢一郎の無投票三選が確実となった。対抗馬として意欲を示していた広報委員長・野田佳彦が出馬を断念した八月二十二日夜、小沢は大阪・通天閣付近の串カツ屋で、祝杯を挙げていた。生ビールを片手に、どて焼きやキムチ、エビなどの串揚をたいらげ、終始上機嫌で、恐る恐る近づいた女性客との記念撮影にも快く応じた。大阪の串カツは「タレの二度漬け禁止」と聞くと、「政権交代のチャンスも次の一度だけ」と冗談にも力が込もる。
 対抗馬として本命視された副代表・岡田克也が出馬見送りを宣言すると、小沢サイドは、一気に「無投票三選」への流れを作るべく党内の締め付けに動いた。まずは「総選挙は当初の想定よりも早まる」とぶちあげ、小沢は第一次公認候補の発表を代表選後にすると言い出した。「代表選と絡めないため」と小沢は説明したが、実態は逆だ。「変な動きをするなら、公認漏れとなることだってありえる」との選対幹部の解説に党内に恐怖が広がった。さらに追い打ちをかけたのが、「対抗馬に手を貸すものは、人事で干しあげる」との小沢周辺からの脅しだ。野田から推薦人を依頼された岡田がこれを拒否したり、あてにしていた推薦人が櫛の歯が抜けるように脱落したのも、脅しの効果だ。有力幹部の松本剛明が出馬反対を鮮明にしたのも誤算だった。「小沢を敵に回して、タダで済むわけがない。政権交代が実現しそうなときに、仲間が冷遇されるのを覚悟してまで挑む代表選ではない」と急ブレーキを掛けたのだ。
 八月二十八日には民主党の参院議員・渡辺秀央らが新党結成に動いた。民主党参院議員・姫井由美子のドタキャンもあったが、そもそもこれは無所属の荒井広幸を窓口に、安倍時代から進めてきた切り崩し工作を麻生が引き継いだものだ。「政権」を賭けた「仁義なき死闘」がいよいよ本格化してきた。(文中敬称略)

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