2008年6月19日

赤坂太郎 文藝春秋7月号

「福田を大事にせよ」民主党の策謀
“政変前夜”のはずが、政権には奇妙な安定感が漂う。なぜか?
(http://www.bunshun.co.jp/mag/bungeishunju/akasakataro/index_2.htm)

「これは静かな革命なんです」
 大連立か総辞職か解散かと吹き荒れた永田町の風は五月に入ると突然止み、奇妙な凪の季節に入った。重苦しい熱気が垂れ込めた五月十七日の土曜日の昼下がり、首相公邸。ひとり招かれた公明党代表・太田昭宏は首相・福田康夫の言葉に面食らった。それまで知っていた福田とは別人がそこにいたからだ。
 自民党総務会の決定を経ずして、いきなり閣議決定した来年度からの道路特定財源の一般財源化。低所得者に配慮した後期高齢者医療制度の見直し。消費者庁の新設、次の内閣改造と目玉となるその特命相の任命……政権の課題をずらりと挙げ、「誰にも出来なかったことです」と福田は胸を張った。
 言葉少なで慎重居士で、功を誇るでも無駄な自慢をするでもなく、良く言えば自省的、悪く言えば評論家的。そんないつもの福田の物言いは消えていた。昼食の皿が下げられても一方的な福田の饒舌は途切れず、会談は午後四時まで三時間に及んだ。
 その二日前の十五日、福田が急に大島理森、漆原良夫の自民、公明両党の国対委員長を呼んで出した指示が永田町に波紋を広げていた。今通常国会はもちろん、秋の臨時国会、さらに来春の二〇〇九年度予算成立まで法案処理の整理を命じたのだ。「来春どころか、九月の任期満了総選挙まで福田はやる気なのか」。そんな憶測が流れるなか、福田の政権への執念がどこまでのものなのかを探るのが太田の狙いのひとつだった。思い起こせば、二〇〇一年の「森降ろし」の最初の狼煙をあげたのは当時の公明党代表・神崎武法であった。この公邸会談自体、福田がその二の舞を避けるために設けたのは容易に想像がつく。
 だから、気圧されるように国会運営と政策調整で全面協力を約したものの、太田は異常な福田の高揚ぶりに一種の限界をみてとった。福田はこう言ったのだった。
「後世の歴史家、後世の人々がわかってくれればいいんです」
 二〇%を割り込む内閣支持率の低迷に、自民党の地方組織でも創価学会の婦人部、青年部でも「福田首相のままでは総選挙で勝てない」との悲鳴は消えない。福田もそれは百も承知なのだろう。開き直りのように首相主導で矢継ぎ早に政権目標をぶちあげても、結局は、父親の元首相・福田赳夫も出来なかった解散・総選挙という乾坤一擲の戦いを自分の手で断行する自信がないのではないか。
「結局、解散の具体的な話はなかった。福田首相の解散に協力できるかどうか、それはまだわからない」。三時間会談の中身を訊ねる公明党や自民党の幹部連に太田はそう説明したのである。
■空虚なる高揚
 昨夏の参院選惨敗と安倍退陣を受けて登場した福田にとって、今春までの最大の応援団は大連立構想、つまり代表・小沢一郎率いる民主党との政権協力のはずだった。だが日銀総裁人事問題でそれが潰え、四月二十七日の衆院山口二区補選で政権の失速が白日の下に晒されて初めて、福田は自分の足で立つことを余儀なくされた。
 その二十七日夜、もしやの胸騒ぎから首相公邸に駆けつけた元首相・森喜朗、前参院議員会長・青木幹雄は、飄々と現れた福田のひとことに息をのむ羽目となった。
「ご心配なく。私は、安倍(晋三)首相のような真似は致しませんから」
 安倍への対抗心を隠そうとしない福田の痛烈な言葉には、森、青木が心配した補選惨敗の引責辞任はおろか、ポスト福田を狙う勢力が期待していた「サミット花道論」さえ蹴飛ばす思いが込められていたのだ。
 福田は急いだ。幹事長・伊吹文明ら党執行部に政調会・総務会の手続きを踏む暇も与えず、一般財源化の閣議決定という既成事実を積み上げると、「福田は開き直った」「首相は上機嫌だ」という官邸情報が駆け巡った。福田が「総辞職も早期の解散・総選挙もない」と明言したという話も森、青木周辺から出回った。七月の洞爺湖サミット後の内閣改造に向け、福田主導で政権運営を立て直す反転攻勢である。
 確かに福田は高揚していた。五月七日には中国・胡錦濤国家主席を迎え、福田外交の華たる日中首脳会談が開かれた。
 焦点のひとつは、チベット問題で対中包囲網が敷かれるなか、媚中派とまで揶揄された福田が北京五輪の開会式出席問題をどう語るかだった。両国外務省の事前の詰めではまとまらず、胡主席側から出席要請があった場合の返答は首相判断に任された。結局会談でその要請はなく、最後は会談後の共同記者会見の出たとこ勝負となった。
「まあ、前向きに検討するということ。事情が許せば」。福田は会見で出席の言質を与えず、その瞬間、テレビカメラは胡主席がつばを飲み込む様子をとらえた。
 福田にすればしてやったりの心境だったのだろう。会見から三時間後、官邸で面談した米コロンビア大教授・ジェラルド・カーティスに福田は、頬を紅潮させて「改革とは量的に評価されるべき問題ではない。質的な評価が大切だ」と言った。そして内閣支持率の低迷を指摘する教授に、こう反論したのである。
「いいんです。わかってくれる人がわかってくれればいい」
 ただ福田のこうした高揚にある種の空虚さがつきまとうのは、結局、どうやって国民の支持を回復し解散・総選挙で民主党に競り勝つか、肝心要の政権戦略が伴っていないからだ。しかも、一般財源化にせよ、後期高齢者医療制度の見直しにせよ、実現するのは早くても来春の予算成立後だ。福田が「公約」をぶちあげればぶちあげるほど、その「達成」がなければ解散・総選挙に踏み込めないという蟻地獄に自民党は突入しつつあるのだ。
 五月二十二日、福田は日経セミナーで、「太平洋が『内海』となる日へ」と題する講演を行った。三十年後まで見通した包括的なアジア外交政策だといい、ポスト福田の先頭を走る元外相・麻生太郎の「自由と繁栄の弧」に対するアンチテーゼなのは明白だったが、官邸側がしきりと流した「福田ドクトリン、福田マニフェストだ」という前宣伝からはほど遠く、内政の諸課題には一切触れぬ内容だった。
消えた応援団は大連立だけではない。
 昨秋の大連立構想の浮上以来、福田の政局向きの相談相手を務めてきたのは元首相・小泉純一郎である。構想自体が萎んでも変わらず、「小沢を大事にすることだ」と福田にささやいてきた。
 九月の代表選前後に必ず、「反小沢」の動きが出る。小沢が勝てば前代表・前原誠司らが離党するかも知れず、負ければ逆に小沢が飛び出すかもしれない。「何とか風が吹き始めたようだ」と解散風を煽り、小池百合子に前原ら民主党若手グループを加えた会合では、「ここに総理候補が二人いる」と政界再編風を吹かせた。それは、大連立に代わる中連立構想により民主党を分裂させ、衆参ねじれの劣勢を跳ね返そうとする狙いがあった。
 民主党幹部らは、「前原の政治音痴には呆れる」と言いつつ、福山哲郎ら小泉、小池、前原会談に同席した参院議員らを締め上げ、次の会合への出席を止めさせた。野党が多数を占める参院の離党組の数がそろわなければ、衆院の前原が少数で飛び出たとて、与党の誰も喜びはせず、再編の衝撃もない。いわば前原を干しあげることで、中連立構想の芽を早々と摘み取ったのだ。
 小泉の動きは一気に失速した。山口補選の最中、総務会で加藤紘一が「後期高齢者医療制度の生みの親の小泉氏に選挙で説明してもらえばいい」と言い放つなど、小泉改革批判も巻き起こった。
 五月二十二日、東京・目黒で小泉チルドレンのひとり、佐藤ゆかりが開いた後援会の会合で講演した小泉は「当分、衆院選が終わるまで民主党は何でも反対だ。しかし選挙が終われば自民、民主いずれも協力し合っていかないといけない」と言った。聴衆の拍手はいつも通りだったが、語ることの意味は事実上、選挙前の中連立の「断念」以外のなにものでもなかったのである。
■哀願する小沢
 再編風も吹き止み、攻め口も見失った自民党を冷たく見据えるのが民主党である。
「福田を大事にしないといけない」。山口補選の最中、勝利確実の報告を受けた幹事長・鳩山由紀夫や元国対委員長・川端達夫、国対委員長代理・安住淳らは、いち早く戦略の立て直しを進めていた。そこで出た結論は、補選に大勝すればこそ、政権を追い詰める参院での首相問責決議案は提出しない、という逆説めいたものだった。
 実は、問責提出を心待ちにしているのはポスト福田を狙う自民党の面々だろう。政権が立ち往かなくなれば、自民党が今年九月に一年前倒しの総裁選を断行し、麻生や元防衛相・小池百合子らが競い合って、ちょうど森から小泉への華々しい首相交代劇で自民党が息を吹き返したように、直後に総選挙に打って出るやもしれぬ。むしろ、生かさず殺さず、低迷したままの福田政権を相手に総選挙を迎える方が得策だ……。
 かつて小泉が説いた「小沢を大事に」というキーワードにのしをつけて「福田を大事に」と送り返した形である。それは政局の主導権を民主党が握ったという万般たる自信の表れであると同時に、もはや「われらが」小沢は小泉が望むような民主党内乱の火種にはならないという秘かな自信の発露でもあった。
 日銀総裁人事騒動の最終局面、四月八日夜、民主党本部。鳩山や川端、安住らはそれまで与党が提案した財務省出身の前財務官・渡辺博史の副総裁起用を呑む腹づもりだったのだが、小沢が反対を貫き、鳩山も結局は役員会で「不同意」を提案した。
 だが鳩山が驚愕したのは、その直後の代表室での小沢の行動である。二人きりになるや、いきなり鳩山の両手を握り、「すまない。ここは反対すべき政局の局面なんだが、苦労をかけた。頼むから幹事長を辞めるなんて言わないでくれ」。
 そこにはもはや「嫌なら出ていけ」と言い放った剛腕小沢の姿はなかった。大連立構想の蹉跌を経て鳩山、川端ら新実権派が党を掌握し、小沢がその上に乗る新たな民主党の権力構図が誕生したのである。
 山口補選翌日の記者会見。「問責は出すのか」との記者の問いに、小沢はさらっと、しかし重要なメッセージを発した。
「この補選の結果自体が、国民の福田内閣に対する問責だと思っている」
「福田を大事に」との路線を小沢が受け入れ、問責を出す必要はない、と表明した瞬間だったのだ。
「任期満了選挙にも対応できるよう政治資金を準備しておけ」。補選直後から民主党執行部は、資金難から早期解散を求めてきた全国の若手候補たちに極秘指令を出した。
 奇妙な凪の正体は、小沢民主党が長期戦に転じた結果であり、早期の解散・総選挙を恐れ、福田を代えるタイミングを見失った自民党が陥った閉塞状態とも言える。
 森や元幹事長・中川秀直らが説く洞爺湖サミット直後の内閣改造も政権のカンフル剤になるかどうかは心許ない。共同提言を発表した麻生と前官房長官・与謝野馨に共に入閣を願うのか、あるいは分断するのか。野田聖子、小池百合子らを要路につけたとて、一気に支持率を回復させられる保証はない。新著にあえて自らの女性スキャンダルの経緯を記した中川秀直にしても、改造での入閣を望んでいるとの見方が党内ではもっぱらだ。幹事長・伊吹、政調会長・谷垣禎一の交代を求める声も燻っており、党人事を含めた抜本治療ができなければ残るのは不満と失望だけである。
 福田の後見人たる森でさえ、官房長官・町村信孝や中川秀直には「次の首相は君らはまだ早い。清和会は次はひくべきだが、大事なのは最大派閥が誰を担ぐかだ」と釘を刺す。「純ちゃんの小池話はあれは趣味だ。小池だって、次の次狙いさ」とつぶやき、ポスト福田の流れがどこに落ち着くか、それを見極める風情である。
 だから福田の高揚ぶりを尻目に、ポスト福田の準備運動はあくまで水面下の動きにしかならない。五月十五日、東京・築地の料亭「吉兆」。古賀、谷垣両派の正式合併の二日後、新派閥の会長に就いた古賀誠と麻生が会った。
 森英介、浅野勝人の麻生派衆院議員二人が陪席したが、上座ひとり、下座三人で設営されていた宴席を、五分前に到着した古賀が二対二に代えさせ、自分は麻生の対面の上座に座った。
「オレと太郎ちゃんはもともと悪くないんだ。間に入った奴が悪い」。古賀がそう言い、森と浅野の二人が大げさに首を縦に振って宴は始まった。「田中六助先生も出来なかった宏池会の会長になれて本望だ」。古賀の漏らしたひとことに、麻生は黙り込んだ。この先、麻生派との合併があれば宏池会は完全に復活する。古賀なりの、連携への誘いだったのは間違いない。
「改革には改善と改悪がある」。ここにきて麻生も、小泉改革路線の全面否定の姿勢を微妙に変え始めた。「与謝野との提携にばかり気をとられ、小泉改革を完全否定すると、小池を勢いづかせることになる」。古賀との歴史的和解を誰よりも望む古賀派の党選対副委員長・菅義偉の忠告を受け入れた結果である。安倍、中川昭一ら保守陣営から、与謝野、古賀まで広範な支持基盤を麻生が構築できるかどうか、ポスト福田の構図もまた鮮明になってきた。
 だが、それでも政治は動かない。政変のエネルギーは臨界点まで蓄積されているのに、長期戦略に転じた民主党に主導権を握られ、自民党内から「福田おろし」のトリガーをひく人物や勢力が出てこない。福田の高揚の陰で、自民党政権の生命力は刻一刻と削られていくのだ。(文中敬称略)

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