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2009年9月18日

赤坂太郎 文藝春秋10月号

麻生が招いた自民党「終戦の日」
http://bunshun.jp/bungeishunju/akasakataro/0910.html

「地上戦」で自民党を焼け野原にした小沢の次なる仕掛けは何か?――

「自民党に対する積年の不満をぬぐい去ることができなかった。その責任を負う定めにあったと感じている。宿命と思って甘受しなければならない」

 八月三十日、大物議員の落選を伝える速報が次々とテレビ画面に映し出されていくなか、ようやく自民党総裁辞任を表明した首相・麻生太郎は、大敗の原因を「積年の不満」だと言明した。自らの存在が最大の敗因だったという事実を、まだ認められないでいたのだ。

「麻生が数ポイント差に迫られている」

 開票前の三十日夕、首相官邸に寄せられた民放の出口調査の情報は、官房長官・河村建夫ら側近を驚愕させた。さすがに「現職首相の落選」に備えたシミュレーションは行われなかったが、河村らはマスコミ各社からの情報収集に血道を上げた。そして、「民主大勝、自民大敗」の情勢を伝えるために公邸入りした河村に続き、午後八時からの開票直前には幹事長・細田博之も自らの辞意を伝えるために公邸に入った。

「ゲームオーバーだな。しかし自民党の基盤である地方組織が残っている。これをきっちりと強化していかなきゃならん。総裁選でも、地方組織をかませていく必要がある」

 麻生は河村と細田にこう語った。総裁選は特別国会後に行い、首班指名では自民党議員に「麻生」と書かせる算段だった。そして、二人を唖然とさせたのが、麻生の次の一言だった。

「総裁選に手を挙げる者がいなければ、俺が立候補してもいいぞ」

 漢字だけではない。最後の最後まで、麻生は空気が読めなかった。

 民主三百八、自民百十九―。

 大物議員や元閣僚が相次いで議席を失い、麻生の盟友の前財務相・中川昭一、総裁特別補佐・島村宜伸も永田町に帰還できなかった。まさに焼け野原だった。

 何度も解散の時期を逸し、迷走を繰り返した末の麻生の「玉砕解散」が、自民党に「終戦の日」を迎えさせたのだ。

 予兆はあった。八月十日、名古屋に本社を置く中日新聞に載った情勢調査。中部地方九県の五十一の小選挙区のうち自民党が優位に立っているのは四選挙区だけという衝撃的な内容だった。自民党選対の関係者は「中日新聞には岡田克也幹事長の弟がいる。民主党応援団だから」と嘯(うそぶ)き、恣意的な調査だとして真剣に受け止めようとしなかったが、「愛知、静岡全滅」という情報は候補者同士の携帯電話で瞬く間に全国に広がった。

 特に知名度、人気ともに抜群だった消費者行政担当相・野田聖子が民主党の新人候補に負けているという情報は驚きを持って広まった。野田陣営は「政権交代が必要かどうかを聞いている。誘導的な質問だ」と選対同様の受け止め方をしたものの、応援スケジュールを絞るなど運動計画を組み直さざるを得なかった。

 自身も劣勢とされた元首相・森喜朗は十一日、出演したネットサービス「ニコニコ動画」で、「名古屋が本社のブロック紙は『自民党が全部負ける』と書いた。こんな失礼な新聞はない。『そうあってほしい』という希望だ」と焦りと怒りを中日新聞にぶつけた。

 森に根拠がなかったわけではない。自民党が七月三十一日から八月二日にかけて行った情勢調査では、確実に獲得できる議席が「小選挙区約百十、比例約四十、計約百五十」と、一カ月前の前回調査から小選挙区で約四十も上積みしていたからだ。強固な後援会組織を持つベテラン議員の伸びが大きく、民主党新人で元薬害肝炎訴訟九州原告団長・福田衣里子に引き離されていた元防衛相・久間章生もキャッチアップしていた。個々の結果は派閥を通じて各候補者に伝えられ、「組織戦を展開できる自民党が回復する」という希望的観測を生んでいたからだ。

 麻生も同様、いやそれ以上だった。

「民主党は公約の財源を示せていない。安全保障問題も説明できていない。押せ押せで行こう」

 十四日午後、自民党本部。ともに選対本部長代理を務める細田、前選対委員長・古賀誠と打ち合わせをした首相は、「攻め」の姿勢で臨むと宣言した。表情は高揚していた。

■大本営発表

「国旗を切り刻むという行為がどういうことなのか、とても悲しく、許し難い行為である」

 公示前日の十七日に行われた主要六政党の党首討論会の最終盤、麻生は民主党の集会で引き裂かれた日の丸でつくった党旗が使われていたことを持ち出し、民主党代表・鳩山由紀夫に強く謝罪を求めた。自民党支持層を呼び戻すには保守色を強めるしかないと「民主党と労働組合の革命計画」「日本人尊厳喪失進行中」など、ほとんど怪文書のようなパンフレットを配布させたり、遊説先の聴衆に日の丸を配る「愛国作戦」を展開していた麻生にとって、もってこいの敵失だった。得意満面の麻生は「あの話受けるんだよ」と、この後も盛んに遊説先でこの「日の丸引き裂き事件」を取り上げた。

 自前とはいえ上昇傾向になった情勢調査結果、そして愛国作戦の反応のよさに、麻生、細田らは本気で「自民二百十五議席、公明三十議席で与党過半数確保」を目標に据えた。

「自民党支持率が反転上昇を始め、民主党支持率は、先月末に頭打ちとなって以降、下落を続けており、相手を捉えることが可能な情勢となった――」

 十七日夜、自民党は「決戦! 自民党選対通信」を各候補者の事務所にFAXで一斉送信した。負け戦の戦果を針小棒大に宣伝する「大本営発表」のような内容だった。実感とほど遠い内容から、党本部に根拠を問い合わせる候補者陣営も出てくる始末だった。

 しかも、その大本営には指揮官すらいなかった。幹事長・細田から指揮権を譲り受けたはずの古賀が、解散前に選対委員長職を一方的に辞任してしまったにもかかわらず、細田はその空白を埋めようとしなかった。解散後、軍資金配布にあたり重点区への傾斜配分を求める声を無視し、一人一律二千万円を候補者の資金管理団体や政治団体に振り込んだが、その通知も行き渡っておらず、数日間、入金の事実を知らない候補者さえいた。司令塔がいないため、選対、政調、総裁室がバラバラに資料を送付、整理されない大量の資料に混乱した候補者からの苦情が殺到し、八月上旬に党本部が「ご迷惑をおかけしました」という謝罪の言葉を入れた文書を配布する一幕もあった。

 そして、公示日翌日の十九日の夜――。

「民主が三百議席だって?」

 朝日新聞が翌日付の朝刊に掲載する情勢調査の結果が麻生、細田ら党首脳部に伝えられた。麻生、細田とも調査対象が三百小選挙区のうち百五十である点に着目し、「正確なものではない」と努めて冷静に受け止めようとしたが、全選挙区を調査した読売、日経が「民主、三百議席超す勢い」などと続き、毎日は「三百二十議席超す」と追いかけた。極めつけは、民主党の候補者数三百三十を上回る「三百三十八」という“理論値”を叩き出したNHKの調査結果だった。

 まるで自民党本部の上空に原爆が投下されたかのような衝撃だった。反麻生を標榜していた候補者は「首相は入院して欲しい」と吐き捨て、親麻生の候補者からも「選挙後に引退すると言って欲しい」との声が漏れるようになった。要請していないのに日程を入れられた首相遊説を何とか断れないかと、県連幹部に相談する西日本の若手候補もいたほどだ。

 そして、投票日の朝を迎えた。

「日本を壊すな。」

 その日の全国紙朝刊に掲載された自民党の全面広告。日の丸を下地に「偏った教育の日教組に、子供たちの将来を任せてはいけない」「信念なき安保政策で、国民の生命を危機にさらしてはいけない」と訴える、最後の愛国作戦だった。実は、このフレーズは企画段階で「共感を呼ぶ広がりがない」として見送られていたのだが、あまりの劣勢に封印を解いたものだった。まるで「民主党は鬼畜米英だ」とでも言わんばかりだった。

 もはや揺り戻しは期待できなかった。

■「小沢衆院議長」情報

「古い奴だとお思いでしょうが、古い奴こそ新しいものを欲しがるもんでございます」「今の世の中、右も左も真暗闇じゃござんせんか」

 選挙戦もまだ序盤の八月五日夜、民主党代表代行・小沢一郎は東京・赤坂にある行きつけのクラブの個室にいた。東京十二区で公明党代表・太田昭宏への刺客となった青木愛らを傍らに、十八番の「傷だらけの人生」を歌っていた。

「あと二十五日で、本当にうまい酒が飲めるな」

 そう問わず語りに呟いた小沢は、刺客作戦が自民党と公明党を慌てさせていることに、満悦の表情を見せていた。

 小沢が今回の衆院選で「お国入り」したのは一度だけだ。公示直前の八月十六日、日中は岩手県奥州市内の自らの選挙事務所でスタッフを激励、平民宰相と呼ばれた原敬が眠る盛岡市大慈寺に墓参し、「政権交代」を誓った。

 その日夜、盛岡市の中心部にある老舗「三寿司菜園総本店」。カウンターで小沢は岩手県知事・達増拓也、民主党県連代表の参院議員・工藤堅太郎ら七人の中心にいた。気の置けない仲間との酒席だったからか、小沢は三陸海岸から揚がったばかりのサンマに舌鼓を打ち、ビール一本と日本酒「八海山」を珍しく冷やで二合飲んだ。

「みんな新人候補の擁立の大変さがわかっていないんだよ」

 小沢は、久間の対抗馬となった福田衣里子を担ぐために「俺は三回も一緒に飲んだんだからな」とぼやいたが、その発言には「俺の他に誰が選挙を牽引できるのか」という自負が滲み出ていた。

 今回の民主党の大勝は、小沢が重点区に自身の秘書を投入し、徹底的な「地上戦」を展開してきた結果だ。

「人のいない場所でも辻立ちせよ」

「一日三百枚以上の名刺を配れ」

「人の少ない川上から川下の町中へ下っていけ」

 選挙に強い小沢――。新たな、しかも強固な神話を作った小沢の存在感は、党内でじわりじわりと拡大しつつあった。

「一部の人事を、先行させるべきではない」

 選挙結果の大勢が判明した三十日夜、幹部会議の席上で小沢は、内閣発足に先立って政権移行作業を行う新官房長官、新幹事長らの指名を行わないように求めた。鳩山は当初、選挙後すぐに主要閣僚候補らを指名して「政権移行チーム」を作る腹づもりだったが、小沢の一言で舵を切らざるを得なかった。

 すでに二十三日の幹部会合でも、小沢は政権移行作業の先送りをさせていた。英国のケースにならった政権移行スケジュールを志向する代表代行・菅直人、幹事長・岡田克也に対し、党内外の敵味方に事前に手の内を明かすことになる「工程表」の考え方に否定的だったからだ。

 鳩山新政権づくりは、明らかに小沢ペースになりつつあった。衆院選の最中、「鳩山は小沢の衆院議長就任を検討している」との情報が駆け巡り、小沢側近が「肖像画のようにお飾りにする気か」と不快感を示す一幕もあった。

 来夏の参院選までは選挙の実権を握り続けるハラの小沢は人事に一切口をつぐみ、党内の猟官運動を注視している。まずは、衆院三百八人、参院百九人、計四百十七人という大所帯をどう固めていくかに腐心し、参院での単独過半数確保のための戦略を練る。

 参院で二十一人の勢力を持ち、野党の自民党とは組まないと公言する公明党の存在は見逃せない。民主党との連立政権を目指す社民党が安全保障政策、国民新党が郵政民営化でそれぞれ独自の主張に固執すれば、公明党が民主党に擦り寄ってくる展開も予想される。

 さらに、自民党議員が首班指名で揃ってA級戦犯の麻生の名を書くことができるのか。今回の総選挙で自民党の派閥はその存在意義を完全に失った。町村派は六十一人が二十三人に激減、二十五人となった古賀派に衆院最大派閥の座を譲った。かつては「一致団結箱弁当」と言われた田中派の流れを汲む津島派はたった十四人、十二人だった二階派にいたっては会長の経産相・二階俊博しか当選しなかった。元副総裁・山崎拓以外の領袖はかろうじて議席を確保したが、自身の選挙に精一杯で多くの兵隊を見殺しにした戦犯たちによる派閥の締め付けはもはやありえない。そうなれば、参院自民党から民主党へ転じる議員が相次ぐ可能性もある。

 そのときのキーマンはやはり小沢だ。参院が次の政局の舞台となる。(文中敬称略)


2009年9月2日

赤坂太郎 文藝春秋9月号

麻生「最後の迷走」の末に玉砕解散
http://bunshun.jp/bungeishunju/akasakataro/0909.html
不発に終わった麻生おろし。選挙後の自民党は焼け野原になる――

歴史的な政治決戦に打って出る指揮官とは思えない悲壮な挨拶だった。
「私の願いは一つであります。ここにお見えの衆院議員の立候補予定者に全員揃って帰って来ていただくことです」
 目には涙がにじみ、声は震えていた。
 七月二十一日、自民党本部で開かれた両院議員懇談会での首相・麻生太郎の言葉には、その直後に自らの手で衆院を解散するという高揚感は欠片(かけら)もなく、負け戦に赴く悲壮感だけが漂っていた。
 麻生は、事前に元財務相・伊吹文明らから「声涙倶(とも)に下る挨拶をしたほうがいい」とアドバイスを受けていた。自民党への支持を回復させるため「真摯な麻生」の演出を狙ったのだが、自民党の凋落ぶりをより印象づけるだけだった。
「崖っぷち解散」「自滅解散」「バンザイ突撃解散」……。身内からそう揶揄されながらも、麻生は自身のプライドを守るためだけに解散権を行使したのだ。
 総理就任以来、数度にわたって解散を見送った麻生が「最後のタイミング」として狙ったのが七月二日もしくは三日の解散だった。
 六月第一週、ある極秘指令が麻生から直接警察庁首脳部に伝えられた。勇退する吉村博人長官の後任に安藤隆春次長、次長に片桐裕官房長をそれぞれ充てる最高幹部人事を「六月中に発令せよ」という内容だった。当初、七月三日の発令で準備が進められていた人事は、六月二十六日発令に前倒しされた。衆院が解散されれば、警察の人事は凍結になる。選挙違反取締りや遊説する政党幹部の警護などに取り組まなければならないからだ。
 麻生は解散前の自民党三役人事と小幅の内閣改造を思い描いていた。特に、最大の支持基盤、町村派のオーナー的存在である元首相・森喜朗の意向を優先する幹事長・細田博之は“目の下のたんこぶ”だった。麻生は、選対副委員長・菅義偉(すが・よしひで)の幹事長起用を思い描いていた。町村派も政権の求心力回復のために党人事をすべきとの考えだったが、その内容は麻生の思惑とは似て非なるものだった。
 六月十六日、国会図書館に森、元首相・安倍晋三、前官房長官・町村信孝、前国交相・中山成彬ら町村派首脳が集まった。森はこう口火を切った。
「人事を行って、町村幹事長だ。そうなれば、派閥会長は安倍君だ」
 得意げな森、満更でもない町村の表情を、安倍の次の一言が変えた。
「いやあ、私は……。中川さんに戻ってきてもらえばいいじゃないですか」
 安倍はこともあろうに、森、町村と袂(たもと)を分かった元幹事長・中川秀直の会長就任を進言したのだ。森と町村が受け入れるはずもない。森は、「それなら町村君はそのままで、安倍幹事長だ」という冗談で安倍の提案を一蹴し、「町村幹事長」でその場の意思統一をした。
 安倍は即座にこの結果を麻生に電話で伝えた。麻生は、東大卒で頭の良さを隠そうとしない町村が以前から鼻持ちならなかった。政権発足時にも森から町村幹事長を打診されたが、断っていた。麻生に町村幹事長は呑めるはずもなかった。
■“サミット・ハイ”
 そして、自らの手による解散と菅幹事長への拘泥が、麻生「最後の迷走」を招く。増幅させたのは、やはり安倍だった。安倍は六月二十四日夜、「大幅改造と七月三日解散」を強く迫ったが、麻生は安倍の個人的な進言を「町村幹事長を受け入れなくても、町村派は人事を了承してくれる」と受け止めてしまったのだ。
 翌二十五日午後、麻生は菅を官邸に呼び入れた。だが、衆院選対策を重視する菅は、厚労相・舛添要一の幹事長就任を強く主張した。しかし、このやりとりは一切伏せられたため、森らには「麻生が菅を幹事長にするつもりだ」と映った。
 三十日夜、態度を硬化させた森は麻生に「町村幹事長以外で人事を行うなら麻生おろしがどうなっても知らない」と通告し、麻生は党役員人事を断念した。安倍は直後、周辺に「もう麻生さんには何も言わない」と不満を隠さなかった。
 党役員人事と七月初めの解散を断念した麻生は、失意の中、七月六日にイタリアへ旅立った。ところが、世界の指導者と肩を並べるサミットは、麻生に“全能感”を与えた。帰国した十一日、翌日投開票を迎える東京都議選の敗北は濃厚だったが、“サミット・ハイ”ともいえる状態の麻生には、根拠のない高揚感があった。「なぜか麻生絶好調」の情報は、瞬く間に党内、そして公明党にも伝わった。
 都議選での歴史的惨敗が確実になった投票日の夜、麻生は「数日内の解散、八月上旬投票」を細田と官房長官・河村建夫に伝えた。しかし、ここで立ちはだかったのが公明党だった。逆風下の都議選で公明党は二十三人全員の当選を果たしたものの、支持母体の創価学会は疲弊しきっていた。そのまま衆院選になだれ込む展開はどうしても避けたかった。
「八月上旬投票なら公明党は協力できない」――。深夜、公明党代表・太田昭宏は麻生にそう伝えた。選挙協力の撤回をちらつかせた先送り要求に、麻生はまたブレた。もはや面子だけの麻生に、公明党の抵抗を押し切る力は尽きていた。
 翌十三日、麻生は妥協の産物として、「二十一日解散、八月三十日投票」を表明した。任期満了選挙に限りなく近いスケジュールだった。戦術も戦略も、何よりそれを捻り出す思考そのものを欠いた、混迷の果ての「決断」だった。
 都議選敗北は、自民党内の反麻生勢力には麻生おろしの号砲を意味した。
 十二日夜、窓辺に東京タワーの灯りが映える東京・赤坂のANAインターコンチネンタルホテル東京・六一〇号室。元官房長官・塩崎恭久は、元首相補佐官・世耕弘成、小泉チルドレンの小野次郎ら十人余りを前に「このままでは自民党は衆院選で大敗する。総裁選の前倒しを視野に署名を集めよう」と演説をぶった。署名集めの大義名分は、マニフェストの早期策定とすることで一致した。
 翌十三日、同じホテルの六〇七号室には、塩崎たちより前に、元幹事長・加藤紘一、元運輸相・川崎二郎、元経企庁長官・船田元らが既に陣取っていた。塩崎からの電話に出たのは加藤だった。二〇〇〇年の「加藤の乱」で袂を分かって以来、接点のなかった二人。「ごぶさたしております」と切り出した塩崎に、加藤は「久しぶりだな。部屋に来たらいい」と誘いを掛けた。塩崎は世耕、小野、衆院議員・平将明を引き連れて、六〇七号室のドアを叩いた。
 オリーブ色の壁を背にして加藤は「明日の総務会では、我々の意見をしっかり言わなければいけない。このままでは歴史的な敗北を喫する」と倒閣を宣言した。それまでバラバラだった反麻生勢力の線が面に広がるかに見えた。
 十四日、国会内で開かれた自民党総務会。加藤は予告通り「都議選をどう総括し、衆院選に臨むのか説明すべきだ」と、麻生の責任論に言及した。元幹事長・武部勤も「都議選は単なる地方選ではない。惨敗した責任は執行部にある」と噛みついた。相次ぐ責任を問う声に、選対委員長・古賀誠は「執行部で責任を取れというなら、私が辞めさせていただく」と言い残し、憤然と席を立った。参議院議員会長・尾辻秀久も「私もクビを差し出す」と続けて退席した。責任者の敵前逃亡は、麻生政権が中枢から崩壊し始めたかのような光景に映った。
 その日夜、件(くだん)のホテル・六一〇号室に中川、加藤、武部、塩崎ら麻生おろしの主要メンバーが集まった。
 総裁選前倒しを可能にするための両院議員総会の開催には、自民党全議員の三分の一である百二十八人以上の署名が欠かせない。この段階で塩崎らが集めた署名は六十七人に過ぎなかった。中川は「署名をもっと集めなければいけない。誰がやっているのか顔をはっきり見せる必要がある」と発破をかけ、派閥トップや事務総長クラスを呼びかけ人にして署名を拡大させようと提案した。
 国会が事実上の閉会状態に入ったことを受け、衆院議員はその夜から翌十五日朝にかけて一斉に地元へ戻った。そのため、署名集めに奔走したのは参院の世耕だった。前日から引き続き六一〇号室に陣取り、次々と電話をかけた。楕円形のテーブルの上には食べ残しのクラブハウスサンドが散乱した。午後には、財務相・与謝野馨と農水相・石破茂も署名し、百二十八人に達する勢いになった。
 十五日午後六時過ぎ、塩崎の携帯電話を鳴らしたのは、細田だった。
「あと半日か一日待ってほしい。首相官邸に私から働き掛けて、天下りの全面禁止とかあなた達のマニフェストを飲ませるから。勘弁してほしい。中川さんにもあなたから連絡しておいて頂けますか」
 塩崎からの連絡を受けた中川は「署名が集まる勢いを察して、急に執行部が動いたのだろう」と受け止め、勝利を夢想した。そして午後八時すぎ、百二十八人目となる前法相・保岡興治の署名を元防衛相・小池百合子が集めてきた。世耕はすぐに部屋を飛び出し、ホテルのロビーで待ち受ける報道陣に報告した。
 束の間の勝利の瞬間だった。
■玉砕へ向かう自民党
「両院議員総会は危険だ。あなたの派閥の署名を撤回できないか」
 十六日夕、全国保育議員連盟の会合で伊吹が元厚相・津島雄二に促した。そのとき津島は密かに今期限りで引退し、息子に地盤を継がせようと考えていた。津島は、執行部に「貸し」を作ることが、息子への世襲をスムーズに行う担保となると判断し、津島派で署名活動の呼び掛け人になった事務総長の船田に撤回を指示した。船田は「首相が集会出席を確約するなら撤回してもいい」と応じた。
 津島は船田への指示後、中川に「麻生おろし目的の署名ならば、津島派議員の名簿をすべて引き揚げさせてもらう」と電話で抗議した。執行部が名簿を点検した結果、津島派などからは「秘書が勝手にサインした」「麻生おろしではなく、首相から反省の弁が聞きたかっただけだ」と釈明する議員が相次いだ。
 執行部は署名した議員に公認権と党からの選挙資金をちらつかせ、中川らの動きに与(くみ)しないよう釘を刺した。元規制改革担当相・佐田玄一郎など比例代表での優遇を望む議員には「上位は確約できない」と半ば恫喝し、署名からの離脱を要求した。麻生自身も、三原朝彦ら付き合いのある衆院議員に自ら電話をかけた。
 十七日昼、党本部で記者会見した細田は、両院議員総会は開催せず、代わりに正式な議決機関ではない両院議員懇談会を開き、麻生がその場で衆院選への決意を表明すると発表した。
 勝負はすでに決していた。
「自民党議員の間では『靖国神社で会おう』という言葉もささやかれている」
 細田の記者会見直後、自民党本部七〇六号室。塩崎が主導する「速やかな政策実現を求める有志議員の会」など九つの議員連盟のメンバー十人余りが集まった会合では、出席者からそんな自虐的な言葉も出た。多くの議員が玉砕し、生きて永田町には戻れないという意味である。
「厳しい戦いになると思うが、お互いに一生懸命勝ち抜いてこようじゃないか。焼け野原になれば、我々には自民党再生を言う資格がある」
 塩崎はこう激励するのが精一杯だった。
 一方、麻生おろしを封じ込み、かろうじて自らの手で解散を打つことができた麻生だが、再び悪い癖が出た。
「元気な高齢者をいかに使うか。この人たちは皆さんと違って、働くことしか才能がないと思って下さい」「八十歳過ぎて遊びを覚えても遅い」
 二十五日午前、横浜市内で開かれた古巣の日本青年会議所の会合で、麻生はこう口を滑らした。四日前に涙を浮かべながら自らの失言や発言のブレを詫びたのは一体何だったのか。
 反省のない指揮官の不手際だけでなく司令部の機能麻痺も深刻だ。麻生は選対委員長の辞意を表明した古賀を選挙対策本部長代理に格上げする形で事態を収拾したが、「選対委員長の空白」という新たな問題を発生させている。選対委員長は、従来幹事長が持っていた選挙の権限を委譲され、幹事長と同格となったポスト。選対本部は本部長を麻生が務める、いわば形式的な組織にすぎない。
 実務を担うべき選対副委員長である菅は、マニフェストを取りまとめるプロジェクト・チームの座長を任せられており、当面はその仕事で手一杯だ。もとより各派閥の選対機能は失われて久しい。各地からの選挙応援の依頼も組織的な対応ができず、少子化担当相・小渕優子、消費者行政担当相・野田聖子ら人気議員には、候補者から直接、応援依頼が届き、悲鳴が上がる有様だった。
 結党から五十四年、自民党玉砕の日が刻一刻と近づいている。(文中敬称略)

赤坂太郎 文藝春秋8月号

鳩山更迭で始まった自民融解

http://bunshun.jp/bungeishunju/akasakataro/0908.html

麻生で戦えるのか――。泥舟と化しつつある自民党「断末魔の叫び」――

一九五五年の結党から五十有余年、日本の政治史に輝かしい足跡を残してきた自民党が、いままさに融解しつつある。
 六月二十四日深夜、元首相・安倍晋三が、人目を忍んで首相公邸に車を滑らせた。安倍は首相・麻生太郎と向き合うと、三十分間一気にまくしたてた。
「“決断できない首相”は、断固避けるべきだ。ここまできたら打てる手は、すべて打つしかない」
 安倍は、党役員人事・内閣改造をした上で、衆院の早期解散を決断するよう強く訴えたのだ。翌日未明、安倍の携帯電話には、麻生から「きょうはありがとうございました」とのメールが入った。そして、その日夕刻、日本記者クラブで会見した麻生は、安倍の進言を受けて、草稿にはなかった文言を口にした。
「解散の時期は言えないが、そう遠くない日だ」
 自ら原稿に殴り書きした言葉だった。
 この瞬間から、総理の「人事権」と「解散権」を巡って、自民党内で激しい綱引きが開始された。
 麻生の意中の幹事長は、党選対副委員長・菅義偉(すが・よしひで)だった。だが、当選四回に過ぎない菅が麻生の“振り付け役”となっていることへの不満は、ベテラン議員を中心に沸点に達していた。「大体、菅のいうことを聞いているからおかしくなった」。昨年来、菅が解散の先送りを進言してきたことへの批判が再燃したのだ。幹事長・細田博之が所属する町村派の元官房長官・町村信孝は、二十五日夜、麻生に直接電話して釘を刺した。
「(人事は)派として認められない」
 これより二日前、宮崎県庁に県知事・東国原英夫を訪ねた自民党選対委員長・古賀誠は、三顧の礼で「総選挙に自民党から出馬してほしい」と懇願した。古賀が示した条件は、「比例一位」などによる東国原の当選保証だった。だが、自民党の足元をみた東国原は「自分を総裁候補として迎えてくれるなら」と応じた。
 当然のごとく、自民党内では猛烈な反発が渦巻いた。元財務相・伊吹文明が「輸血の際に違った血液型を入れれば、人体は頓死してしまうことになる」と言えば、元副総裁・山崎拓も「地方自治を訴える知事が、任期も全うしないのはおかしい。宮崎県民への裏切り行為だ」と不快感を露にした。だが、お笑い芸人に頼らなければならないほど、自民党の危機が深刻なのもまた、事実だった。
 自民党融解の流れを一気に加速させたのが、前総務相・鳩山邦夫の更迭劇だった。日本郵政社長・西川善文を交代させるか、鳩山を更迭するか。この問題をめぐって露呈した「麻生のブレ」が内閣支持率を急降下させた。
 三月の段階では、麻生が西川の交代を念頭においていたのは間違いない。麻生はご丁寧にも、複数の後継候補者を記した書簡を鳩山に送っていた。しかし、こうした動きを察知した元幹事長・中川秀直や元総務相・竹中平蔵らの動きは早かった。元首相・小泉純一郎らも巻き込み、日本郵政と財界側への根回しを終え、五月十八日には、指名委員会が全会一致で西川を含む役員の続投を決めた。
 さらに、安倍や菅も参戦し、「けんか両成敗で西川を切るのはだめだ」と麻生説得に努めた。麻生には、二月の苦々しい記憶がまだ鮮やかに残っていた。郵政民営化に「実は賛成ではなかった」と軽口を叩き、小泉の激しい怒りを買い、内閣支持率が急落していた。まして、鳩山由紀夫に代表が代わった民主党への支持率が回復し、政権交代が現実味を増すなかで、「小泉対反小泉」の党内抗争が再燃すれば、虎の子の「解散権」すら行使できなくなる。
■麻生が鳩山に抱いた疑念
 六月五日夜、首相公邸。人眼を忍んで向かい合った客人、鳩山に、麻生はとっておきの最高級ブランデーXOをふるまった。麻生は二杯、鳩山は三杯あけた。
「この件はオレに預けてくれ」
 麻生は、総裁選で自分の選対本部長を三度にわたって務めてくれた盟友に妥協を迫った。だが、鳩山が首を縦に振ることはなかった。鳩山は「あなたと出会えて感謝している。充実した日々だった」と告げた。事実上の決別宣言だった。
 鳩山には、たとえ更迭されても自分の傷にはならない、という計算があった。
「世論は自分に味方するだろう。離党、新党を含め、選択肢はむしろ広がる」
 六月十二日、辞表を提出した鳩山は東京・谷中霊園の鳩山家の墓前に向かった。祖父の自民党初代総裁・鳩山一郎、父の元外相・威一郎に辞任を報告したのだ。その後、都内の病院で、この日に誕生した孫の男の子と対面し、「名前は正義かな」と笑った。
 一連の経緯を追えば、日本郵政の社長人事で麻生と鳩山が最終的に折り合わなかったという図式だ。しかし、実態はそう簡単な構図ではない。麻生が鳩山更迭を決断したのには、別の大きな理由があった。鳩山が倒閣を目論んでいるのではないか、ポスト麻生を狙っているのではないか――。そうした強い疑念を麻生が抱いたからにほかならない。
 実は、妥協案を探る過程で、「麻生が内閣改造に踏み切り、鳩山を幹事長に起用する」との案が浮上していた。西川を残して鳩山はいったん切るが、鳩山を幹事長として生き返らせるという苦肉の策である。麻生サイドによれば、鳩山はこれに乗る姿勢をにじませたという。
 だが同時に、麻生の耳には、鳩山が周辺に発した様々な発言が届いていた。「最終的に麻生には決めることはできないんだよ。決めるのはオレだ」。「オレを罷免なんかしたら即新党だな。五人ならいまでもOKだ。政権末期というのはやはりこういう空気になる」。
 鳩山の言葉を、麻生は決して許すことができなかったのだ。
■自民党融解の胎動
 当面、麻生にとっての政治決戦は、七月十二日投開票の東京都議会議員選挙となった。麻生は、すべての候補者事務所に応援に入る異例の日程を組ませた。だが、候補者側からすれば、いわば押し売りのようなものだ。
「初めてナマ麻生をみた人? 実物のほうがいいと思った人?」
 毎度変わらぬセリフを連発する姿が周囲の失笑を買う。それでも麻生は、表向き強気の姿勢を崩すことはない。バー通いも続けており、朝の散歩も早足でこなす。重要課題に「オレが決めた」と胸を張るスタイルにももちろん変化はない。
 鳩山辞任の二日前、温暖化ガス削減の中期目標を二〇〇五年に比べ二〇二〇年までに「一五%削減する」との国家目標を決め、自らが記者会見したときもそうだった。直前まで事務方は一四%削減の線で準備を進めていたが、麻生の「一ポイント加えて一五%だ」との一声で数字が変わった。これには伏線があった。五月二十八日、英国のブラウン首相との電話会談で、麻生は「世界トップの省エネルギー大国として、恥ずかしくない中期目標を公表する」とぶちあげていたのだ。麻生の決断にあわてた周辺が、「中期目標を発表するからには、政権も長期でなくてはなりません」と水をむけると、すかさず「バカ、そんなの決まってるだろ。二〇二〇年もオレの政権かもしれんぞ。ガハハ」と応じていた。
 持ち前の明るさは、この時点までは健在だったのだ。
 だが、盟友・鳩山の離反以降、若手を中心に総裁選前倒しを求める声が起き、麻生おろしは徐々に本格化した。
 六月十六日、極秘に国会図書館の一室に集まった元首相・森喜朗、安倍、町村ら町村派幹部の会合。表向き「麻生政権を支えるために結束を図る」ことで一致したが、話題の中心となったのは、同じ派閥の中川秀直の動向だった。派閥の例会と同じ時間に会合を重ねる中川へのいらだちはピークに達していた。
「都議選の結果いかんでは、中川が新党結成の動きに走る可能性がある。清和会(町村派)のなかで追随するものは抑えられるが、元幹事長・武部勤が一緒になって、小泉チルドレンが集団離党しようとしたら、それは抑えられない……」
 小泉チルドレンのうち比例当選で議席を得た四十七人のなかで、北海道一区での出馬を目指しながら断念に追い込まれた杉村太蔵に象徴されるように、当選見込みがゼロに等しい者は少なくない。新党に移って当選可能性を探ろうとする者が出てくるのは道理にかなっている。また、自身の選挙区があっても民主党候補にかなわないと見切りをつける議員も、中川の指にとまるかもしれない。
 六月二十六日、それまで政局的発言を封印してきた中川が、狼煙(のろし)を上げた。北海道函館市での講演で「自分の政権が終わっても、自民党政権が続くようにすることこそが、総理、総裁としての名誉ある決断だ。福田康夫前首相はそう決断した」と、公然と麻生退陣を求めたのだ。
 今年一月に自民党を離党した元行革相・渡辺喜美も、無所属の衆院議員・江田憲司とともに、「国民運動体 日本の夜明け」を新党に結びつけようとしており、これには、自民党衆院議員・長崎幸太郎、民主党参院議員・浅尾慶一郎が同調するとの見方がある。さらに渡辺は「まだ現職のなかに隠れ同調者がいる」として、政党要件を満たす五人を目指している。
 中川と渡辺には霞が関改革、地方分権という共通項があり、両者が手を結んで第三極をつくる可能性もある。さらに、中川との連携を模索する大阪府知事・橋下徹がもくろむ首長連合も、同じ看板を掲げて新党に突き進むこともありうる。
 そして、自民融解の導火線に火をつけた鳩山邦夫の周辺にも、いつでも行動を共にする「鳩山五人衆」と呼ばれる代議士がいる。鳩山に追随して厚生労働政務官を辞任した戸井田徹、吉川貴盛、河井克行、田村憲久、馬渡龍治だ。さらに自民党代議士会で麻生に“大政奉還”をつきつけた古川禎久らもいる。
 邦夫は二度目の党首討論が行われた六月十七日の前夜、兄・鳩山由紀夫の携帯電話を鳴らした。
「日本郵政の問題はとりあげるのか?」
「わが党のなかには、取り上げないほうがいいという論も強いんだ」
 しかし兄は、翌日の党首討論で「総理は間違ったほうを切られた」と、弟の気持ちを代弁した。さらに、「鳩山政権が実現すれば、西川社長には辞任して頂くことになる」と述べた。弟が新党を作り、兄の民主党と手を結ぶ「兄弟連携」の芽を感じ取った議員も少なくなかった。
 中川新党、渡辺新党、橋下新党、さらに鳩山新党……。こうした動きが現実のものとなるなら、その時点で自民党はもはや泥舟と化し、民主党と政権を争う政党の体裁さえ失ってしまうことになる。
 そして六月二十九日夜、元首相・小泉は、中川秀直、武部とともに、小泉チルドレン約二十人と会食した。前日、地元の横須賀市長選で自身が応援した現職が敗れたこともあり、小泉はビールを手に「野党になることもあっていいんじゃないか」と話し、いつもの力強さはなかった。一方、中川は「集団自殺みたいなことはできない。麻生さんには降りてもらうのが一番だ」とボルテージを上げた。中川らに対抗する麻生の唯一の武器が「解散権」だ。だが、たとえ自身の手で解散を打てたとしても、勝算はない。自民融解の流れを早めるだけだ。
 一方の民主党。代表・鳩山由紀夫は、自分に向けられている支持者の視線の明らかな変化を感じている。単なる野党党首でなく、“次期首相候補”として自分は見られている。遊説先で色紙に揮毫を求められる機会も増えた。六月二十日、仙台で立ち寄った地元名物の牛たん屋では、「牛愛、友愛」と筆を走らせて、周囲の笑いを誘った。
 自身の資金管理団体の政治資金収支報告書に故人からの献金が記されていた問題が、唯一の懸念材料ではあるが、心配された党内運営も軌道に乗った。政権交代を現実のものとするために、民主党では「麻生をもたせろ」が標語になっている。麻生政権のままで総選挙に突入すれば、勝利は揺るがないとの目論見からだ。役員室長・平野博文ら党首討論の対策にあたるチームも、「あまり麻生を追い込んではダメです」とアドバイスを送るほどだった。
 代表代行・小沢一郎も健在だ。西松建設からの献金をめぐる裁判で、検察の冒頭陳述で「天の声があった」と指摘されても、どこ吹く風で地方行脚を続けている。小沢は、連合幹部に「オレが代表を退いてから都市部の支持が持ち直した」と嘯(うそぶ)き、得意の候補者事務所の抜き打ち視察もこなしている。幹事長・岡田克也も、「幹事長になって、政権を取る前に太ってしまった」とぼやきつつ、自宅でジョーバにまたがって政権構想を練る。
 日本の政治の歯車が大きく動く瞬間が刻一刻と迫っている。(文中敬称略)

2009年7月6日

赤坂太郎 文藝春秋7月号

小沢辞任で追い詰められた麻生首相
http://bunshun.jp/bungeishunju/akasakataro/0907.html
小沢主導で誕生した鳩山民主、もはや自民に勝機はないのか――

「総理大臣としてふさわしいのはどちらか。どちらの政党に政権を担う力があるのか」
 五月二十七日、首相・麻生太郎の普段よりもやや甲高い声が、与野党議員の立ち見の聴衆に埋め尽くされた参院第一委員会室に響いた。昨年十一月以来、半年ぶりに開かれた党首討論での麻生の相手は、十六日に就任したばかりの民主党代表・鳩山由紀夫だった。
 麻生はいきなり鳩山に、“党首力対決”を挑んだ。二人の顔合わせは、戦後間もないころに激しい権力闘争を演じた、麻生の祖父・吉田茂と鳩山の祖父・鳩山一郎の対決とも重なる。麻生はこの日に向けて、当面の国会運営の大きな節目と睨み、綿密な準備をして臨んだ。自民党は当日の読売新聞朝刊に「鳩山代表に質問です。」と大書した全面広告まで出し、鳩山民主党に“宣戦布告”を発していた。
 鳩山が党首として首相を相手に論戦を挑むのは、四人目のことだった。九九年から三年あまり務めた代表時代に、小渕恵三、森喜朗、小泉純一郎との党首討論に臨んだ。しかし、党内からは「突っ込み不足で、おぼっちゃんの言葉遊びだ」と酷評されていた。それだけに、今回の党首討論への鳩山の意気込みはかつてとは比べようもないものだった。マスコミからのインタビュー依頼をすべて断り、側近と想定問答の作成に時間を費やした。
 討論の最初こそ、鳩山の過度の緊張が伝わってきたが、後半になると、麻生政権を「上から目線の政治」だと切って捨て、「麻生政権は官僚主導。我々は税金を払う側に立って政策を作る」と、ひたすら政権交代を訴えた。聴衆の応援団も野党側の声が大きく、おぼっちゃんらしからぬ鳩山の迫力が麻生を上回った――。
■辞任までブレた小沢
「衆院選で政権交代を達成するために、自ら身を引くことで民主党の団結を強め、挙党一致をより強固にする」
 五月十一日午後五時、民主党本部で緊急記者会見を開いた小沢一郎はようやく代表辞任を表明した。西松建設からの違法献金事件で公設第一秘書・大久保隆規が三月三日に東京地検特捜部に逮捕されてから、実に六十九日も経ってからの決断だった。小沢はわずか十分間の声明のなかで、「挙党一致」、「挙党態勢」と、「挙党」というフレーズを六回も繰り返した。
 会見中、その小沢が気色ばんだのは、質疑で記者から離党と議員辞職の可能性を聞かれたときだった。
「どうして離党とか、議員辞職の必要があるのか。政治資金の問題についても、一点のやましいところもない。政治的な責任で身を引くわけでもない」
 自分は違法献金事件の責任を取ったわけではない。来る衆院総選挙に向けて、民主党が勝てる態勢を敷くためにあえて身を引くのだ、との論理だった。大久保の起訴を受けて代表続投を表明した三月二十四日の会見で涙を浮かべていた男が、この日は辞任会見にはそぐわない笑みを何度も浮かべた。
 大久保の起訴以降、党の内外からは日に日に小沢への辞任圧力が増していた。「辞めどきを失ったのではないか」という見方も広がり始め、小沢が代表のままのほうが総選挙には有利に働くと見るや、自民党も激しい小沢批判をむしろ控える戦術を取っていた。
 夜の会合で自民党と民主党の議員が一緒になると、しばしば「イチローと一郎の見分け方」という怪文書が話題になった。「ヒットでやったというのがイチロー、秘書がやったというのが一郎」、「国民の期待にこたえるのがイチロー、国民の疑問にこたえないのが一郎」、「燃えるのがイチロー、火だるまなのが一郎」……。民主党議員は苦笑いで応じるしかなかった。
 その小沢は表向きは強気の姿勢を崩さなかった。五月一日のメーデー、小沢は札幌大通公園で八千人の聴衆を前に、「政権交代に向け、自分自身が朽ちるまで、その使命を達成することを約束する」と、続投を強調した。
 翌二日、都内の料理屋で小沢と向き合った鳩山も、こう元気づけた。
「党首討論や地方遊説の再開で、説明責任を果たしていないという批判を跳ね返すことができるはずです」
 小沢も鳩山の言葉にうなずいた。
「よしわかった。やろうじゃないか」
 だが、翌三日、再び小沢に呼び出された鳩山は、一瞬わが耳を疑った。
「この際、一歩退くことに決めた。党の結束のためには、やはり自分が身を引いたほうがいいだろう」
 小沢は淡々とした口調ながら、ややゆっくりした言い回しで切り出した。
「できるだけ影響が出ないようにしたい。五日に常任幹事会と両院議員総会を開いてほしい」
 小沢が新体制作りを急ごうとしたのには訳があった。自らが代表の座を引いても、影響力を残すことをまず優先させなくてはならない。小沢の意図は明白だった。言葉にこそ出さなかったが、鳩山を中心とした新体制が一番都合がいい。そう判断していることは、小沢の表情からにじみ出ていた。
 鳩山は小沢の意向を誰にも伝えることができなかった。小沢が翻意する可能性がちらついたからだ。一昨年秋の福田政権との大連立構想が失敗に終わったことで、プッツンした小沢は会見で辞任表明するも、党内の慰留を受けて翌々日に辞意を撤回した。今回もそうしたことがあるかもしれない。
 果たして鳩山の予感は的中した。
「辞めるのは、止めた」
 やはり、小沢はブレていたのだ。小沢が辞意を漏らしたという“異変”を察知した小沢周辺が、必死の慰留工作を展開した結果だった。この幻の辞任劇は後に、連休中に地元の予定を組んでいた議員が多く、常任幹事会を緊急招集しても集まれないので見送ったのだ、と説明されることになる。
 しかし、九日土曜日の午後、再び小沢の決断を促す決定的な出来事があった。小沢が心を許す数少ない財界人のひとり、京セラ名誉会長・稲盛和夫が小沢に会い、「党内は厳しい空気だ」と面と向かって伝えたのだ。
 実は、その直前に稲盛に面会した政治家がいる。民主党最高顧問の藤井裕久である。藤井はこの日午前、東京・八重洲の京セラ事務所を訪ね、「党内の八割は辞任論になっている。このままでは小沢さんも浮かばれない」と、率直に伝えていた。
 小沢は翌十日夜、「明日、辞任する」と、鳩山に短く伝えた。
 十一日の辞任表明当日。鳩山は、午前九時過ぎ、衆院予算委に出席していた代表代行・菅直人の携帯を鳴らす。
「きょう午後には、小沢代表自身が辞任を表明します。長い一日かもしれませんが、よろしくお願いします」
 菅は鳩山の言葉に驚きを隠そうとしなかったが、同時に、代表への意欲がわきあがる興奮を感じ取っていた。

■菅の高揚と岡田の誤算
 この日夜、グランドプリンスホテル赤坂で開いた菅グループの会合で、菅はこれまで腹にため込んでいた小沢批判の言葉を容赦なく吐きだした。その激しさに、菅グループの議員ですら圧倒された。
「(後継が)鳩山になったら小沢の傀儡(かいらい)といわれる。小沢がかごで、鳩山はかごの中の鳥にすぎない」
 そして、こう付け加えた。
「おれが(代表を)やったほうがいいのかな」
 しかし、菅を新代表にという声は広がりを見せなかった。小沢の意中の後継は鳩山との情報がすぐに駆け巡ったからだ。小沢が菅ではなく鳩山を選んだのには伏線があった。小沢の秘書・大久保が起訴される直前、菅は小沢に「選対本部長をやってはどうか」と、暗に代表辞任を促していた。小沢の胸には、この一件が菅への強い不快感となって刻まれていたのだ。
 小沢は短期決戦のシナリオを描き、辞任表明から五日後の十六日土曜日には新代表選出という日程をすでに決めていた。小沢と距離を置く議員の間からは、副代表・岡田克也の待望論が公然と出始めていた。岡田には投票までの時間を与えたくない。週末のテレビの討論番組で「岡田VS鳩山」を何度も繰り返されたら、鳩山には不利に働くとの読みがあった。また投票権は衆参の国会議員にだけ与え、地方の党員やサポーターには投票権を与えない方針も決めた。世論調査では鳩山を上回る人気の岡田だけに、総選挙の顔として一気に岡田支持の流れができてくる可能性を恐れたのだ。
 辞任表明翌日の十二日、小沢は党本部で開かれた役員会で頭を下げた。
「三年間、ふつつかな私にご支援をいただき、心から感謝を申し上げます」
 しかし、しおらしさを見せたのはここまでだった。小沢執行部から選挙日程と投票資格が示されると、“反小沢”の議員から異論が噴出した。広報委員長・野田佳彦、国対委員長代理・安住淳、政調会長代理・長妻昭、同・福山哲郎が「党員やサポーターにも投票資格を与えるべきだ」と主張すると、小沢は周りにもはっきりと聞き取れる声で、四人を恫喝した。
「四人はいつも反対、反対って。最後くらいいうことをきいたらどうなんだ。野田、安住、長妻、福山は“何でも反対組”だ」
 名指しで言い放ち、鋭い視線を突き刺した。“剛腕小沢”の復活だった。
「毎度、お騒がせしております。小沢一郎です」
 五月十三日、小沢は長野県飯田市にいた。東京にいれば裏で動いていると勘繰られるからと、地方行脚を再開したのだ。衆院選の新人候補・加藤学の応援で、小沢はお決まりの挨拶を述べた後、「政権交代を実現して、官僚政治に終止符を」と訴えた。
 翌十四日には、岐阜県多治見市へ。元郵政官僚の新人・阿知波吉信の応援に入ったが、乾杯まで待てず、予定を切り上げて東京へ戻ると、小沢は個人事務所にこもる。自ら電話で多数派工作を展開するためだった。「岡田の追い上げがきつい」。側近からの電話連絡に自ら腰を上げざるを得なかったのだ。結局、小沢は五時間あまりにわたって、自ら受話器を握り続けた。
 さらに鳩山陣営は「鳩山代表なら岡田は幹事長に起用」との情報を流し、鳩山代表の流れでも致し方ないとの空気を醸成させた。
 代表として最後の日となった十五日夜、東京・赤坂の地中海料理店「月の市場」。小沢は秘書ら事務所スタッフをねぎらう気遣いをみせた。献金事件が明るみにでてから、初めての機会だった。小沢はビールを片手に「いろいろみなさんにも苦労をかけた」と短く述べただけだが、翌日の代表選への自信はにじみ出ていた。
 十六日未明時点で、ANAインターコンチネンタルホテル東京三十六階に設置された岡田選対の票読みは「鳩山一〇一、岡田九三、不明二七」。衆院ではやや優位にまで浸透したものの、参院では約三十票の差が埋まらないとの分析だった。岡田からすれば、前原誠司を当選させた〇五年の代表選と同じく、投票直前の候補者演説によって劣勢を覆すしか、もはや道は残されていなかった。当時、前原は中学時代に裁判官だった父を亡くした過去に触れ、「高一から奨学金を受け取り、大学も奨学金で勉強させていただいた。誰でもチャンスをつかめる社会にする。人に温かみのある政治が必要だ」と、訴えた。議員の心を捉え、前評判を完全に覆して、僅か二票差で優勢だと思われた菅を破ったのだ。
 そして東京・虎ノ門のホテルオークラを舞台にした民主党両院議員総会。今回も、前評判を覆すドラマを岡田は目論んでいた。
「いま求められていることは、新しいリーダーの下で新しい民主党を始めることだ。岡田民主党でなければ、政権交代は実現できない」
 渾身の気持ちを込めた言葉は、所属議員に響いたかに見えた。岡田もこの瞬間には手ごたえを感じ取っていたはずだ。しかし、後から演説した鳩山もキレを見せた。
「天下を取ることは小事に過ぎず。愛を貫き、背筋を伸ばすことのほうが大事なのです」
 岡田が不運だったのは、この後さらにディベートの時間が三十分あったことだ。司会の白鴎大学教授・福岡政行の間延びした采配に、場の緊張感がゆるんでいくのを肌で感じ取っていた。岡田にとっては大きな誤算だった。
「総投票数二二〇、鳩山由紀夫一二四票、岡田克也九五票」
 サプライズはなかった。

■選挙の実権はどちらに
 新代表に就いた鳩山は早速十六日夕、岡田の携帯を鳴らし、執行部入りを打診した。岡田は「新体制で世論の評価が決まる。拙速でなく、慎重にされた方がいい」とだけ答えた。岡田が「権限のない幹事長ならやっても仕方がない」と言っていることを聞いていた鳩山は、一定の手ごたえを感じつつ、ひとつくぎを刺した。
「郵政民営化の件は大丈夫ですね」
 国民新党と共闘する民主党は党として民営化見直しの決定をしており、民営化論者である岡田が火種になりかねなかったからだ。実は、三日前の早朝五時、米国出張中の国民新党代表代行・亀井静香から国際電話で「原理主義者の岡田(の幹事長起用)はだめだ」と横やりが入っていた。岡田は鳩山に「それは大丈夫です。党の決定に従います」としながら、逆に「小沢さんをどうされるつもりですか?」と聞くことを忘れなかった。鳩山にとっても、新体制で小沢をどう処遇するかが最大の関門だった。
 翌十七日午後五時過ぎ、鳩山はホテルニューオータニの一室で小沢と向き合った。
「総選挙対策の責任者をお願いしたい。勝利に導いてほしい」
「私に候補者の公認、選挙資金を任せていただけるなら、やらせてもらう」
 鳩山は「それならこの場で、はっきり決めましょう」と、岡田の携帯を鳴らした。「正式に幹事長をお願いしたい。小沢さんには選挙を取り仕切る代表代行をお願いします」と告げたうえで、小沢に電話を渡した。電話をつないでの、事実上の三者会談が詰めの協議の場となった。岡田も、小沢院政の批判をかわすためには小沢を役につかせた方がいいと考えて、最後は折れた。
「公認や選挙資金の権限に自分がこだわるわけではない。私も(幹事長として)、意見は言わせてもらいますから」
 十九日夜、東京・赤坂の四川飯店。代表代行に就任した小沢を鷲尾英一郎ら衆院一年生議員が囲んだ。六十七歳の誕生日を目前にグッチのネクタイを贈られた小沢は、ビールを片手に上機嫌でテーブルを回り、檄を飛ばした。
「八月のお盆前には総選挙があるだろうから、とにかく大衆の中に入っていけ」
 一方の岡田も元気だ。これまで自らのグループを作ってこなかった岡田だが、陣営の打ち上げとなった二十日のホテルニューオータニには、五十人を超える議員が集まり、「次(の総理)は岡田だ」という声がとんだ。
 鳩山が掲げる「挙党一致」「総力戦」の水面下で、小沢と岡田の綱引きも始まろうとしている。
■麻生が逡巡する理由
 鳩山民主と対する麻生。小沢辞任直前に行われた五月のNHKの世論調査では、内閣支持率が三五パーセントにまで上昇していた。一時は自粛していたホテルのバー通いも復活し、連休前には「総選挙で麻生と小沢、いずれが負けても大連立の密約がある」との怪情報も出回り、麻生は「主導権は我にあり」と信じて、葉巻をくゆらせる表情にも余裕が戻っていた。
 小沢が辞任を表明した後も、後継と目される鳩山に「小沢傀儡」のイメージがつけば、主導権を握り続けられると考えていた。五月十二日に、官房副長官・鴻池祥肇が連休中に人妻と不倫旅行に出掛けていたというスキャンダルが発覚しても、麻生はどこ吹く風だった。観念して緊急入院した鴻池から辞任の申し出があった時も、「厳重注意でいい」と切り抜けようとした。世論の厳しい反応が政権を直撃することを恐れた官房長官・河村建夫が、「ここは泣いて馬謖を斬るということです」と説得して、結局折れた。それでも、翌十三日、麻生は国会内で記者団に鴻池の任命責任を問われて、「健康まで任命責任になるのか」と白を切った。
 緊張感に乏しかった麻生も、民主代表選後の世論調査の結果を見てさすがに凍りついた。十八日、各紙の朝刊に、麻生よりも鳩山が首相にふさわしいとの数字が出たのだ(朝日新聞では、麻生二九%対鳩山四〇%)。代表選で予想通り岡田が敗れ、ホッとしていた矢先だけに、麻生は我が目を疑った。
 自民党総務会長・笹川堯は「新装開店した店にお客が集まるのは当たり前だ」と呟いたが、その言葉に力はなかった。一方、麻生を気遣う前首相・福田康夫は、官房長官の河村を議員会館の自室に呼び入れて、「官邸では感じにくいかもしれないが、民主党への期待感が戻っている。引き締めてかからないと危ない。油断しないほうがいい、と総理に伝えて」と助言した。
 西松事件発覚以降、遠のいていた「政権交代」の四文字が俄かに現実味を帯び始めてきた。そうした最中に行われた党首討論で、鳩山はさらに点数を稼いだ。
「ちょっとこれでは総選挙を仕掛けるという感じではないな」
 参院第一委員会室を後にする自民党議員からは、そんな声が漏れた。
 それでも麻生は努めて平静を装う。
「麻生は首相でいることを、楽しんでいるのだから仕方がない」と周辺は言う。首相としての麻生が最も引き締めた表情をつくるのは、内奏に向かうときだと周辺は見る。内奏は、首相がときのテーマについて天皇陛下に報告をする行事だが、当然ながら内容は一切、表に出ることがない。
 官房副長官の交代劇があった十三日にも、麻生は宮中に向かった。首相に就任してから六回目の内奏で、通例三十分程度だが、この日は一時間にも及んだ。そのため、「衆院解散の御名御璽(ぎょめいぎょじ)を頂くタイミングについても話が及んだのではないか」との憶測も呼んだ。
 麻生にとって首相を続けるための条件は、総選挙で与党過半数を獲得することだ。しかし自民・公明で過半数が得られるメドは依然立っていない。それどころか、民主党が代表選から一週間後の週末に極秘で行った選挙情勢調査で「民主党が単独過半数をうかがう勢いという結果が出た」との情報が官邸に入るや、麻生は蒼ざめた。これでは伝家の宝刀も抜くに抜けない。
 衆院議員の任期も残り三カ月を切ったいま、七月十二日投開票の東京都議会議員選挙とのダブル選挙を見送るなら、投票日は八月上旬か末かの選択しかなくなる。もはやそれは任期満了に等しい。
 麻生が信頼を置く元首相・安倍晋三や選対副委員長・菅義偉は「内閣改造によって人心の一新を図ったうえで、都議選との同日選挙で雌雄を決するべきだ」と強く進言した。しかし、肝心の麻生は、解散はおろか、内閣改造にさえ煮え切らない。麻生が逡巡する最大の理由は、総選挙の争点設定に自信がないからだ。四年前の総選挙で、小泉純一郎は「殺されてもいい」と、渾身の記者会見で、郵政民営化のワンイシューの争点作りをやってのけた。
 その点、今回は訳が違う。民主党に勢いが復活したなかで、世襲制限や衆院定数の削減くらいでは得点にならない。政権交代への静かな、しかし確かな期待感が底流に渦巻くなかで、総選挙が「政権選択選挙」とされるのでは、勝ち目はない。なんとか景気の回復を本格軌道に乗せ、経済の再生を図ることで、「政権担当能力を見てほしい」というのが麻生の本音だが、景気が上向くまでの道程は遠く時間が足りない。
 有権者の視線が厳しさを増す中で、一カ月後に迫った都議選が、当面の政治決戦の場となる。都議選はしばしば次の総選挙を占う先行指標となってきた。総選挙まで間もないこの時期の選挙は間違いなく、総選挙の結果を先取りするものとなるだろう。ここで自民党が大敗すれば、「麻生では戦えない」との声が再び強まり、九月末の総裁任期切れを前に総裁選の前倒しを求める声が噴き出す可能性もある。
 都議選の告示は七月三日。文字通り、暑い夏の陣の幕開けとなる。(文中敬称略)

赤坂太郎 文藝春秋6月号

「五月解散」菅vs.大島の暗闘
http://bunshun.jp/bungeishunju/akasakataro/0906.html
決戦の日はいつか。「総理の専権事項」をめぐり密会を重ねる参謀たち――

 薄紅色の八重桜が咲きこぼれる園内を、この日の主役が人の波を縫うように歩いていく。周囲に響く「ガハハ」という笑い声が機嫌の良さを物語っていた。恒例の首相主催の「桜を見る会」が四月十八日午前、一万一千人の招待客を集めて東京・新宿御苑で開催された。
 ホスト役は就任七カ月目の首相・麻生太郎。準大手ゼネコン・西松建設のトンネル献金事件で民主党代表・小沢一郎の公設第一秘書が逮捕されて以降、内閣支持率が上昇に転じたとはいえ、まだ二〇%台半ば。政権を懸けた民主党との衆院選決戦を前に、自民党内には「麻生では勝てない」との悲観論が依然くすぶっていた。二日前の山崎派総会での前副総裁・山崎拓の挨拶には党内の空気がよく表れていた。「家内に聞いたら『最後の園遊会になるかもしれないので行きたい』と言っていた。情けない限りだ」
 疫病神でも見るような冷やかな視線。普通の神経の持ち主であれば、とても花見気分に浸れる心境ではあるまい。だが、そこは良くも悪くも「嫌なことも一晩寝れば忘れる」(側近)という底抜けの楽天主義者。麻生は主催者挨拶で自作の短歌を披露した。
「『ふるさとに はや桜満つ ゆゑ問へば』……。冬が寒くなきゃ駄目、これが大事なところなんだそうです。『冬の寒さに 耐へてこそあれ』」
 冬の時代はもう終わり。これからは「経済の麻生」の花が開き、内閣支持率はさらに上昇する。衆院選に勝って長期本格政権だ――。そんな荒い鼻息が聞こえてくる。今なら勝てるかもしれない。麻生はそう考え始めていた。
 報道各社の世論調査をどう読むか。分析好きの元幹事長・伊吹文明は「内閣支持率三〇%以上」「政党支持率で民主に十ポイント以上の差」「比例代表の投票先で民主を上回る」の三つを自民党勝利の最低条件だと指摘する。それに照らせば、解散は時期尚早。自民党内の大勢も伊吹と同じ意見だった。
 だが、桜を見る会の九日前、麻生は側近の自民党選対副委員長・菅義偉に腹の内を打ち明けている。追加経済対策の決定を翌日に控えたこの夜、麻生はホテルオークラの一室に菅をひそかに呼んだ。
「大島ちゃんは民主党が補正予算の早期成立に抵抗するなら、すかさず解散に打って出る展開もあり得ると。確かに目下の国民の最大関心事は景気対策だから、小泉さんじゃないが『賛成か反対か、国民に問いたい』という手はあるよな」
 政府、与党は追加経済対策の裏付けとなる十四兆円の大型補正予算案を四月二十七日に国会に提出し、大型連休明けに衆院を通過させる日程を組んでいた。民主党が参院で徹底抗戦に出れば、元首相・小泉純一郎の郵政解散にならい、五月中に「補正解散」を仕掛けるという構想である。国対委員長・大島理森の進言を紹介する形ではあったが、麻生自身も大いに乗り気だったのは間違いない。
 この夜、菅が色よい返事をしていれば、麻生が一段と五月解散に前のめりになっていたことは想像に難くない。だが、菅は「そんなことはお考えにならない方がいい」と直言した。
 二世、三世が多い自民党内にあって、菅は裸一貫、自力で道を切り開いてきた文字通りのたたき上げ議員だ。その胆力と行動力は、同じく地方議員出身で遅咲きの元幹事長・野中広務が権力の階段を一気に駆け上った当時を彷彿とさせるものがある。
■大島が狙う抜き打ち解散
「どうしてだ」。案の定、麻生は途端に不機嫌になった。菅は選挙情勢から説き起こした。
 西松事件があっても民主党の支持率はさほど落ちていない。小沢のひざ元の東北地方で民主党の勢いが落ち、いい勝負になりそうな選挙区が増えてきたが、全国的な傾向はまだまだ自民党に厳しい。
「五月には定額給付金がほぼ全国に行き渡り、高速道路料金引き下げなどの景気対策も浸透する。選挙情勢はさらに好転している可能性が大きい」という麻生の見立てにも、菅は首を横に振った。
 五月中旬に発表される今年一―三月期のGDPは相当な落ち込みが予想され、「選挙どころではない」という世論になる。その中で補正予算成立を待たず解散に踏み切れば、麻生の「政局より政策」という看板は嘘だったのかと非難を浴びる。「民主党は政局優先で国民生活を考えていない」と攻撃しても「補正予算を廃案にしたのは、解散した麻生だ」と切り返される――。
 麻生が五月解散に心を動かしたのは「勝機あり」と判断したからだけではない。この機を逃せば、解散権を行使できないまま夏を迎え、麻生降ろしの動きが党内に広がるのではないか。その不安が背中を押していたのである。親分の心のツボを知る苦労人はこの夜も「麻生降ろしなど起きないし、起こさせない。必ず総理に解散を打ってもらいます」と確約することを忘れなかった。
 菅は週明けの十三、十四の両日、官邸に麻生を訪ね、さらに二日がかりで説得に努めた。選挙情勢を詳しく説明し、ジャーナリスト・田原総一朗の仲介で「反麻生」の急先鋒の元幹事長・中川秀直と勉強会をつくることも報告した。「麻生降ろしの芽は摘みますから、ご安心を」というメッセージだった。
 麻生は最後まで「五月解散断念」を明言しなかったが、「政策最優先の姿勢は必ず党内外の評価を高める」という親分顔負けの菅の楽観的な予想には、「そうかな」と相好を崩した。麻生は二十日、幹事長・細田博之と大島を官邸に呼び「補正予算案と関連法案の早期成立が景気の上で大事だ。ゴールデンウィークの谷間も審議に充て、一日も早い成立に努めてほしい」と指示を出した。とりあえず菅に乗った形だった。
 おもしろくないのは早期解散を進言してきた大島だ。大島にしても、厳しい選挙情勢を知らないわけではない。しかし九月の任期満了までに「補正解散」を上回るチャンスは訪れない、好機を逃すなという考えだった。
 官邸から戻った大島は筆頭国対副委員長・村田吉隆らに「衆院は五月一、七、八の三日間の審議で通過させる。参院には十五日の成立を目指してもらう」と厳しい表情で言い渡した。「場当たり、バラマキ、増税含みの補正予算」と批判し、本予算並みの審議を要求している民主党が飲むはずのない日程だった。激突国会になれば、出合い頭で何が起こるか分からない。昨年十二月に中川秀直の持つ自民党国対委員長在任記録(千百二十七日)を抜き、国会対策の「プロ中のプロ」を自任する大島は、抜き打ち解散をあきらめてはいない。
 この間、早期解散あり得べしの情報に右往左往していたのが公明党である。
 都議選と衆院選が重なっては困る。間隔が最低でも一カ月以上ないと、どちらの運動も中途半端になる。公明党執行部は学会上層部からそうきつく言い渡されていた。今回の都議選は七月十二日。公明党代表・太田昭宏や幹事長・北側一雄は「都議選前なら六月七日投開票まで。それ以降は絶対に避けてほしい」と麻生や自民党執行部に陳情を繰り返してきた。だが補正予算案や関連法案の審議紛糾を口実にした解散となれば、その「一カ月前ライン」を踏み超える恐れが十分にある。
 四月十四日午前、国会内の公明党控え室で太田、北側、副代表兼総合選対本部長・井上義久、参院議員会長・白浜一良、政調会長・山口那津男、国対委員長・漆原良夫の六人が鳩首会議を行った。
 太田「五月は既に都議選に向けた日程が集中的に組まれている。ここまで来ると六月七日投開票も難しい。だいたい誰が『補正成立前でも』と言っているんだ。私が接触している自民党議員にはいない」
 漆原「小沢が辞めた時が解散のチャンスという考えだろう。連休明けの初公判に注目しているようだ」
 北側「結局、補正と関連法案を成立させるつもりが総理にあるのかどうかだ。しっかり成立させて、都議選後に内閣を改造した上で七月末に臨時国会を召集し冒頭解散、大安の八月三十日投開票というのがいいのではないか」
 確たる情報を持っている幹部は一人もいなかった。
 太田は翌十五日、記者団の目に触れぬよう裏口から官邸に入り、麻生と直談判に及んだ。「創価学会はタンカーのような組織。末端まで動かすには時間がかかる」「仮に六月七日投開票ということなら、今言っていただかないと間に合わない」。京大相撲部出身の太田は言質を取ろうとがぶり寄りをかけた。だが麻生は柳に風。「お気持ちは分かるが、国会や経済の状況を見ながら考えていくしかない」。北側もこの夜、ホテルオークラのバーで麻生に詰め寄ったが、結果は同じだった。
■小沢側近の離反
 麻生に早期解散を検討する余裕を与えたのは小沢民主党の機能停止である。政権交代に向けトップスピードでひた走っていた民主党という名の列車は、三月三日の小沢秘書逮捕を境に、停電に遭ったように急停車したまま動かなくなった。その象徴は与野党攻防の先頭に立ってきた国対委員長・山岡賢次の沈黙である。
 小沢側近ナンバーワンを自任する山岡は日ごろ「国対委員長は特命全権大使だ」と豪語し、国対方針について小沢以外の幹部の口出しを許さなかった。上司である幹事長・鳩山由紀夫や代表代行・菅直人も例外ではない。記者団への説明も一手に引き受け、記者会見やオフレコ懇談を通じて「民主党の方針」を発信してきた。その山岡が懇談を一切取りやめ、会見でも当たり障りのない発言しか口にしないようになった。自分の発言が党内に波風を立て、それが小沢の進退問題に波及することを恐れたとみられるが、小沢の後ろ盾なしに党内を仕切るのが難しいのも事実だった。
 小沢―山岡ラインという国会対策の司令塔を欠いた民主党はなす術もなく二〇〇九年度予算案と関連法案の年度内成立を許し、その後の補正予算をめぐっても幹部の発言が二転三転するという醜態をさらした。
 定例記者会見をこなす以外は謹慎を続けていた小沢が党務に復帰したのは、四月十五日夜の参議院会長・輿石東や石井一、北沢俊美ら参院ベテラン議員との会合がきっかけだった。「衆院の国会対応は見てられん。人によって言うことはバラバラ。与党にいいようにやられている」。石井らは口々に不満を漏らし、「あんたが戻らないとダメだ」とせっついた。留守部隊のドタバタ劇を苦々しい思いで見ていたのだろう、小沢は活動再開を約束した。山岡に電話し「しっかりしろ」とねじを巻いたのはその翌日のこと。山岡はその日のうちに補正予算の徹底審議方針を打ち出した。
 四月二十日から地方行脚も再開した小沢は、二十一日の記者会見で「代表として総選挙に向けてみんなと一緒に全力で取り組む」と“完全続投”を宣言してみせた。だが、もちろん内心は別だ。
「逃げている印象を与えるのはまずい。堂々と受けてください」と党首討論への出席を求める鳩山らに、小沢が決まって口にするのは「まだ検察が捜査終結を宣言していない」というセリフ。世論の逆風をさらに強めるような展開があった場合は代表の座にとどまることはできない、そんな不安を抱えたまま党首討論に臨みたくはないという意味である。
 小沢の心に影を落としているのは検察の動きばかりではない。数少ない側近である最高顧問・藤井裕久らの離反だ。
 藤井は自民党時代から陰日向なく小沢を支えてきた忠臣。小沢に逆らうような言動は一度もしたことがないと言って過言でない。その藤井がひそかに小沢に辞任を勧めていた。秘書逮捕の翌日、政界を引退した今も小沢の信任が厚い元参院議員・平野貞夫を事務所に呼び「最高裁まで行くことを考えれば、この事件はとても数カ月では片付かない。できるだけ早く代表を退いた方がいい。あんたから伝えてくれないか」と頼んだ。「私も同じ意見だ」と平野は応じ、その足で小沢事務所に向かった。小沢は忠告を容れなかったが、藤井は元政調会長・枝野幸男ら小沢に批判的な議員に「小沢さんは最も効果的なタイミングで辞めようと考えているはずだ。ぜひ静かに見守ってほしい」と頭を下げている。それは麻生が嵩にかかって解散に打って出た時なのか、それ以前なのか、それとも藤井の予言が外れるのか。
 九月十日の衆院議員の任期満了まで残り四カ月。政権を懸けた自民と民主の攻防は一寸先も見えない闇夜の白兵戦の様相を呈している。(文中敬称略)

赤坂太郎 文藝春秋5月号

麻生が仕掛ける居座りの隠しダマ
http://bunshun.jp/bungeishunju/akasakataro/0905.html
超低空飛行の与野党トップを尻目に存在感を増す「経済総理」与謝野――

 反転攻勢につなげる数少ない政策の隠しダマ――。首相・麻生太郎はそのお披露目の初会合を四月十三日にセットした。三月下旬、執務室の壁に貼った大きなカレンダーを眺め、熟考した末に命じた。
「発表するのは四月二日のG20金融サミットから帰国してからにしよう」
 二〇〇九年度予算と歳入関連法案は三月二十七日に成立した。麻生は暫定関税定率法案など「日切れ法案」の成立も待ち、三十一日夕に記者会見して二十兆円の需給ギャップを埋める追加経済対策の策定を表明。その足でロンドンで開かれるG20に向け出発する段取りを描いた。そこで経済危機対応の国際協調を確認したうえで、四月十三日からの週には追加経済対策を決定。財政出動を具体化する○九年度第一次補正予算案は五月の連休明けに国会に提出する想定である。
 隠しダマは足元の景気をテコ入れする追加経済対策を軌道に乗せてから、満を持して打ち上げるのが効果的だ。麻生がそう計算し満を持して立ち上げるのが、年明けから密かに謀ってきた首相直属の有識者会議「安心社会実現会議」だ。
「衆院選では政党間の違いをきちんとさせるべきだ。我々は景気がある程度きちんとしてきたら、消費税を含む税制の抜本改革を第一に言わなければならない」
 麻生は三月十三日の内閣記者会のインタビューで、衆院選の争点を巡ってこう言い切った。景気対策は「実行するもの」で、「選挙で問うもの」ではない。麻生がそう断じ、民主党との「違い」の第一としてなお消費税率引き上げにこだわる姿には自民党内で真意を訝る声が渦巻いたが、その裏でこの「安心社会実現会議」構想を温めていたのだ。
 六月までの短期集中討議で、麻生の口癖である「中福祉・中負担」の国家の将来像や「官と民」「公と私」の役割分担にまで遡って「安心社会」のイメージを描く。衆院選では増税より、その使い道となる年金、医療、介護と言った社会保障の機能強化の分かりやすい工程表を前面に打ち出す思惑である。
 麻生と二人三脚で仕掛けたのは「経済総理」の異名を取る財務・金融・経済財政担当相の与謝野馨だ。座長に白羽の矢を立てたのは電通最高顧問の成田豊。座長代理は東大大学院教授の吉川洋。メディア界から読売新聞主筆・渡邉恒雄、労働界から連合会長・高木剛、官界OBから前検事総長の但木敬一に元財務次官の大和総研理事長・武藤敏郎……。与謝野から打診を受けた一人は委員の顔ぶれを知ると「これは誰が見ても与謝野人脈そのものではないか」とうなった。
 後見人の渡邉は言うまでもない。成田や高木は与謝野と同じ東大野球部出身。吉川は経済財政諮問会議の民間議員で消費税増税の理論的支柱だ。私立開成高校の同級生だった但木と武藤は与謝野の強力な官僚人脈の中枢に位置する。特に目を引くのは但木。東京地検特捜部と民主党代表・小沢一郎の全面対決の最中、前検事総長が麻生主導の有識者会議に参加することの重みに気づかぬ者はいない。
 党側では与謝野の盟友、政調会長代理の園田博之が会議の投じるボールを受けて「安心社会マニフェスト」を仕上げる役割分担となる。常設の諮問会議を別とすれば、麻生がこの手の首相直属の有識者会議を設けるのは初めてだ。並々ならぬ意欲がにじむと同時に、もう一つ、重要な含意があった。
 麻生や与謝野が参加を働きかけた有識者からは当然ながら「解散はないのか」「政権は持つのか」などの疑念も投げかけられた。これだけの顔ぶれを集めておいて、ろくに会議も開かず、議論もせずに衆院解散・総選挙になだれ込めるはずがない。委員たちには「会議は六月までで一区切り」と説明された。つまり、七月八?十日のイタリア・マッダレーナ島でのG8サミットと、同十二日の東京都議会議員選挙までは現政権を維持したい。それが麻生の無言のメッセージだった。
「景気や雇用対策への国民の希望は極めて高い。きちんと対応しなければならない。言うだけで実行できなければ『何だ』となる。今の段階で(解散・総選挙が)五月とか六月とか申し上げる状況ではない」
 麻生が三月十五日のNHK番組「総理にきく」で景気対策を第一とし、解散を急がない姿勢をにじませた裏には、追加景気対策と「安心社会実現会議」を頼りに七月まで居座りたいという基本線が見え隠れしていた。
■トロイカ崩壊が始まった
 死に体同然だった麻生に一息つかせたのは東京地検特捜部だ。三月三日、小沢の公設第一秘書・大久保隆規を西松建設側の政治団体からの献金を巡る政治資金規正法違反で逮捕、二十四日に起訴した。西松からの企業献金と知りながら、ダミーの政治団体からの寄付を装い、小沢の政治資金管理団体「陸山会」の収支報告書に虚偽の記載をした疑いである。
 政権交代ムードが高まる中での次の首相候補への痛撃には民主党内外から「国策捜査ではないか」と検察批判が渦巻いた。だが、「政治とカネ」を巡って検察当局と刑事裁判で全面対決している政治家が、衆院選を経て首相の座に就くなど国家の姿としてありえないのも現実だ。
「色々な動きが出るかもしれない。もう少し時間を取ってから判断を下すほうがいいのではないか」
 二十四日夜、大久保の起訴状を精査して代表続投の意向を固め、民主党本部に入った小沢に代表代行・菅直人は一対一での面会を求めると、待ったをかけた。辞任を求めたのと同じである。幹事長・鳩山由紀夫がおっとり刀で割って入り、参院議員会長・輿石東も加わった三役会議。菅が再び小沢に自重を促そうと口を開くと、鳩山が遮った。
「そういう話ならこの後の役員会、常任幹事会の場でしてほしい」
 小沢体制をけん引してきたトロイカが崩れ始めた瞬間だった。ここで小沢と一線を画すことで、フリーハンド確保を探ろうとした菅。小沢との一蓮托生を選び、続投宣言の地ならし役を買って出た鳩山。ポスト小沢をにらむ二人の戦略は明確なコントラストを描いた。
 続く役員会。小沢の続投表明を、正面に座る政調会長代理・福山哲郎が「世論が今後、どう動くか分からない。衆院選で政権交代を果たすことが第一の目標だ」とけん制した。常任幹事会では福山と同じ京都が選挙区の副代表・前原誠司が「国民に疑念が残る中で、すんなり『了』とは行かない」。最高顧問・渡部恒三も「世論を聞いて、選挙に勝てるかどうかで判断してほしい」と続いた。小沢にゲタを預けたようでいながら、いずれも遠まわしの辞任要求にほかならなかった。
「あくまで総選挙での勝利を前提に何事も考えて行きたい。代表を続けることがプラスかマイナスかは私には判断できない。国民の受け取り方次第だ」
 小沢は午後九時半からの記者会見では低姿勢に徹し、「大勢の国民の皆様から温かい励ましをいただいた……」と「不覚の涙」を二度、三度と拭って見せた。検察の不当捜査には屈せないと代表にとどまる意向を力説する半面、狭まる党内の包囲網を意識し、衆院選への影響を引き続き見極める姿勢をにじませざるを得なかった。鳩山も二十六日、小沢と向き合うとこう告げるより他なかった。
「衆院選が近づき、(代表が小沢のままでは)政権交代が難しいと判断した時は、共同責任を取りましょう」
 小沢民主党のもたつきに、自民党からは「五月は緊張しなければいけない時になる。追加の景気回復策(を盛った一次補正)の国会提出時期と、成立させるタイミングは、政局の最大のヤマ場になる」(選挙対策委員長・古賀誠)と「五月解散論」も漏れ始めた。麻生降ろしの急先鋒になるはずの元幹事長・中川秀直すら三月二十五日の講演で「学生たちに聞くと選挙のために党の顔を変えるなんてピンと来ないと言う。それもそうだ。五月くらいに国民の審判を仰いで政局の膠着を打開すべきだ」と軌道修正し始めた。
 ただ、一次補正を国会に出すと、衆院は三分の二を超す与党の多数で押し通せるが、野党優位の参院で審議が進まないなら自然成立まで三十日を要する。麻生が口にした贈与税の減免などは法案の提出が必要で、こちらは参院で六十日間、放置されかねない。六月三日までの通常国会は会期延長含みになるし、公明党は都議選直前の衆院選は露骨に嫌っている。
 と言って「追加経済対策の大枠を示し、衆院選の争点にする」(元副総裁・山崎拓)と補正の成立前に解散に打って出る戦術にも「政策の実行なくして解散にならない」(前官房長官・町村信孝)と党内の慎重論は根強かった。西松建設事件を巡る特捜部の捜査の手が経済産業相・二階俊博側へと伸びる気配も消えない。与野党の「オセロゲーム」(元幹事長・加藤紘一)は優劣がいつ引っくり返るか読みきれない緊迫が続く。
■「株屋」を軽んじた報い
 そもそも、肝心の麻生に求心力が戻ったわけでもない。
「今度、失言したら本当に終りだぞッ。分かっているだろうな!」
 国会対策委員長・大島理森からこう厳命を受けた官邸スタッフは「麻生隠し」に腐心する場面が目立つ。三月七日、首相就任後初めて沖縄県を訪問した際も、滞在時間の大半は那覇市内の沖縄ハーバービューホテルクラウンプラザにこもったまま。知事・仲井真弘多(ひろかず)の周辺からも「一体何しに来たのか」と不満の声が漏れたが、周囲が表に出させなかったのだ。
 与謝野の発案で三月十六日から二十一日まで、官邸に学者やエコノミスト、経済人ら八十四人を呼び込んで「救国の一策」を募った「経済危機克服のための有識者会合」。ここでも麻生は聞き役に徹すればいいものを、不用意に失言を連発。宰相の「耐えられない軽さ」がインターネット上の官邸ホームページでの録画中継を通じ白日の下に晒されてしまった。
「やっぱり株式会社、株屋ってのは信用されてないんですよ」
 二十一日午前、松井証券社長・松井道夫の意見陳述に麻生は何を思ったか、唐突に珍説をぶち始めた。右隣の官房長官・河村建夫は差別語と受け取られかねない「株屋」と聞いた瞬間に顔がひきつった。手元の書類を揃えるふりをしてテーブルを「トン」と大げさに叩き、麻生の注意を引こうとしたが、軽口は止まらない。
「やっぱり株をやってるって言ったら、田舎じゃ何となく怪しげよ。何となく、何となーく、まゆにツバつけて見られるところがあるでしょうが。俺たちの田舎では間違いなくそうよ」
 一瞬、静まり返った室内。河村が書類でもう一度「トン」と机を叩く音が空しく響いた。
「株屋」を軽んじた報いが麻生を襲った。財務副大臣・平田耕一が保有株式の市場外取引による売却で、六億円を得ていた事実が二十六日に発覚した。株の売買は大臣規範で副大臣も禁じられている。当初は居座りを決め込もうとした平田は、民主党の大塚耕平が参院財政金融委員会で「罷免もしくは辞任がない限り、予算案の二十七日採決に応じない」と攻め立てると、腰砕けになって麻生に辞表を提出。桜の開花とともにやっと訪れた与党の反攻モードに水を差した。
 麻生は十八日の有識者会合でも、ノーベル賞学者の理化学研究所理事長・野依良治が「突然変異」を説くと、即座に反応して身を乗り出してみせた。
 野依「生物はDNAが変わらないと進化しない。恐竜やマンモスがなぜ死に絶えたか」
 麻生「ゴキブリは生き残ったんだよね」
 これが「座談の名手」とも言われる日本の最高権力者の哀しき実像である。麻生が「ゴキブリ」「突然変異」で何を思い浮かべたかは二十日の会合で明らかになった。
 宮崎県知事・東国原英夫が「地域活性化には突然変異のような人材が欠かせません」と説くと、麻生は「小泉純一郎(元首相)なんて一つの立派な突然変異の典型例だったんだよなァ」と応じた。
 二月に〇五年の郵政総選挙を断行した小泉を「奇人、変人としては正しい行為だった」と禁句の「奇人、変人」呼ばわりし、小泉から「笑っちゃうほど呆れている」と逆襲を食らった反省も、喉元過ぎれば、である。有識者会合に陪席する官邸スタッフは戦々恐々の日々。「君側の奸」扱いされがちな総務省出身の首相秘書官・岡本全勝だが、官邸ホームページでの生中継をやめさせ、テレビ各局にも独自の映像を撮らせなかった。麻生の失言を恐れた守りの姿勢は正解だった。
 麻生も小沢も超低空飛行の奇妙な「負の均衡」による五里霧中の解散政局。どちらも有権者の審判を仰ぐ自信や手ごたえは到底持てない。経済危機と政治不信の二重奏に揺れる世論の動向に一喜一憂する日々が続く。(文中敬称略)

赤坂太郎 文藝春秋4月号

「与謝野総理」企む与野党の損得勘定http://bunshun.jp/bungeishunju/akasakataro/0904.html
危篤状態の麻生の「おくりびと」は誰か。本命なき後継争いが始まった――
 二月二十四日、首相・麻生太郎は、ワシントンのホワイトハウスで満面の笑みで米大統領・オバマと握手を交わした。オバマが初めて招く外国の賓客。各国首脳のオファーが殺到するなかで、その栄誉の切符を手にしたのだ。興奮冷めやらぬ様子で「我々は世界一位、二位の経済大国だ。日米が手を携えて取り組まねばならない」と胸を張った。しかし、海外メディアの関心はすでにそこにはなかった。ワシントンポスト紙は「支持率低迷に悩む日本の総理が人気アップを狙ってやって来た」と皮肉った。
 麻生が消費税増税問題に一応の決着をつけ、反転攻勢に出ようとした矢先、出鼻をくじいたのは元首相・小泉純一郎だった。二月十二日、自民党本部で開かれた「郵政民営化を堅持し推進する集い」。大幅に開始が遅れたため、欠席するのではないかと見られていた小泉はしかし、おびただしい数のカメラのフラッシュを浴びながら、会場入りすると、やや顔を紅潮させながら一気にまくしたてた。
「(麻生の郵政民営化に反対だったという発言について)怒るというよりも笑っちゃうくらい、ただただ呆れている」「私のことを奇人・変人などと言っているようだが、自分では常識をわきまえている普通の人だと思っている」「政治で一番大切なのは信頼感。特に首相の発言に信頼がなければ、選挙は戦えない」。痛烈な麻生批判だった。そしてその背景には想像以上に激しい小泉の怒りがあった。
 二月十日、郵政民営化担当相でもあった腹心の竹中平蔵が小泉の事務所に駆け込んだ。竹中は「かんぽの宿」売却問題をめぐる経緯を説明した。竹中の結論は「かんぽの宿は隠れ蓑にすぎない。実態は日本郵政社長・西川善文の追放劇だ」というものだったが、小泉も同じ認識を抱いていた。実際、総務相・鳩山邦夫はこの二日後の衆院本会議で、「日本郵政は百パーセント国が株をもっているから政府に責任がある」と西川の進退を含む責任問題に言及した。西川は三井住友銀行出身の金融界の実力者であり、〇五年十一月に民営化会社のトップとして、竹中が三顧の礼で迎え入れた人物だ。
 西川が追われれば、民間には火中の栗を拾おうとする人材はいない。郵政民営化反対派が麻生を巻き込み、西川の後釜に据えようと目論んでいるのが、旧郵政省出身の團宏明である。團は日本郵政副社長と郵便事業会社社長を兼任しているが、小泉とは因縁がある。小泉が郵政大臣に就任した九二年、旧郵政省は、持論である郵政民営化を曲げない小泉を省内で孤立させ、役所ぐるみで省益を守ろうとした。團は秘書課長としてその先兵となった。“元祖・抵抗勢力”を日本郵政の社長になどできるわけがない。
 小泉は、元幹事長・中川秀直からの報告を竹中に示した。郵政民営化反対派の首相補佐官・山口俊一らがもくろむ「郵政四分社化の修正案」。これは配達を行う郵便事業会社と郵便局を運営する郵便局会社を合併する案が柱となっている。竹中は強い口調で進言した。「郵便事業は物流であり、郵便局事業は小売サービス。一体化する理由はないはずです」。二人の認識は完全に一致した。“郵政の巨大利権の復活”が狙いであることは明らかだった。小泉内閣が政権の命運を賭けて成し遂げた郵政民営化を潰すなら、麻生内閣も潰してしまうぞ。これこそが小泉の怒りが爆発した真因だ。
■「やっちゃったか」
 小泉発言の三日後、内閣支持率はついにひと桁に落ち込んだ(九・七%=日本テレビ)。そして瀕死の麻生政権にさらに追い討ちをかけたのが、この日(日本時間)行われた財務・金融相・中川昭一のもうろう会見だった。ローマで開かれたG7財務大臣・中央銀行総裁会議後の記者会見の映像は、世界を駆け巡った。「な、何? もう一度言って」と質問を遮り、会場を見渡しつつ「どこだ?」とうつろな視線を泳がせる。秘書官を通じて政治問題化する恐れありとの報告を受けていた麻生も、その日の夜、首相公邸のテレビでその醜態を目の当たりにするや、「やっちゃったか」と苦虫を噛み潰した。「怖い気がして……」と会見映像をほとんど見ていなかった中川も、帰国直後に妻・郁子に電話を入れると「あなた大変なことになっているわよ」と叱責され、ことの重大さにようやく気付かされる。
 翌十六日、官房長官・河村建夫や国対委員長・大島理森は暗に中川に辞任を求めた。しかし、麻生は、同日夜、首相官邸に陳謝に訪れた中川を、「俺とお前は“一蓮托生”だ。説明責任を果たせば収拾できる」と励ました。麻生にとって中川は、組閣の際、最初に名前を書き入れた人物であり、腹心中の腹心だった。
「麻生は中川を切らない」との情報を得た民主党は、参議院での問責決議案の提出に動く。自民党は問責提出阻止に向けて根回しを急いだ。元首相・安倍晋三、総裁特別補佐・島村宜伸らが相次いで、国民新党代表代行・亀井静香の携帯電話を鳴らして、問責には乗らないように働きかけた。参議院で民主党は単独では、問責決議案を可決できない。亀井も「中川はかつての弟分だから、手荒なまねはしない」と理解を示していた。しかし、翌十七日昼過ぎ、中川が「来年度予算案が衆院を通過したら、辞表を提出する」と表明したことで事態は急転する。「いったい参議院を何だと思っているんだ」と反発した国民新党副代表・亀井郁夫は弟の静香の説得を無視して問責決議案提出に同調し、流れは変わった。中川は、この日の夕方、首相官邸に麻生を訪ねて辞表を提出し、受理された。
 麻生が「健康問題、体調の問題」と最後まで中川をかばったのは、ヘルニアという持病を知っていたからだ。中川の悪い癖は、鎮痛剤や向精神薬を、即効性を求めて、アルコールを摂取しながら処方の二倍以上も飲んでしまうことだ。「使い方によっては、酩酊状態を引き起こす恐れがある」と主治医が度々注意しても聞く耳をもたない。これまでも国内でしばしば同様の事態が繰り返されてきた。ローマでは、G7のワーキングランチをわざわざ中座してセットした、内輪のランチ以降の行動が命取りとなった。
 内輪のランチの場所は、宿舎だったザ・ウェスティン・エクセルシオール・ローマの一階にあるレストラン「ドネイ」。地中海料理の名店で、ホテルはフェリーニ監督の映画「甘い生活」の舞台にもなった最高級の五つ星だ。麻布高校の同級生でもある国際局長・玉木林太郎、大手紙の女性記者ら七人がテーブルを囲み、中川は上機嫌で、自ら赤ワインのフルボトルを注文して、グラスを傾けた。
 この後臨んだ日ロ財務相会談で、中川は体調の異変を感じたが、手遅れだった。会談後、記者会見の前に、中川は自室でおよそ三十分の休憩をとった。この間の“単独行動”は依然謎に包まれたままだ。民主党には「ここでまた洋酒をグラス二杯ごっくんしたようだ」との情報も寄せられ、国会で追及する構えをみせていたが、真相は藪の中。だが、少なくとも記者会見を終えた時点で、中川に問題行動をした自覚はない。むしろ今回の外遊で「最も楽しみにしていた」(同行筋)世界遺産・バチカン観光に心弾ませていたのではないか。博物館では立ち入り禁止エリアに入りこみ、触ってはいけない美術品に手を伸ばして警報ベルを鳴らし、さらに日本の国際的信用を失墜させた。ちなみに大臣以下、財務省ご一行様のローマ渡航費用は約六千万円である。
■ポスト麻生の懲りない面々
 小泉発言と盟友辞任のWショックで強気の麻生もさすがに最近は元気がない。お気に入りの口癖だった「男は義理と人情と痩せ我慢」もめっきり口にしなくなった。痩せ我慢も限界を超えたのか。本人は「体重は六十五キロと変わらない」と強調するが、ウエストが二センチ細くなり、周辺は「髪も薄くなった」と嘆く。
 今や「麻生のもとでの選挙など考えられない」という意見が与党内の暗黙の了解といってよい。来年度予算案が衆院を通過し、定額給付金の財源法案などが、小泉の造反はあっても成立しさえすれば、自民党内ではポスト麻生をめぐる動きが本格化する。一時は総選挙を経ない四人目の総裁を選ぶことは許されないという建前論もあったが、もはやそんな綺麗ごとは言っていられなくなった。少しでも支持率が上がる総裁でなければ、生き残るはずの代議士までもが全滅してしまう恐れがあるからだ。
 自民党内では、四月二日のロンドン金融サミット後に「麻生辞任→自民総裁選で新総裁選出」の見方が強まっている。
 ポスト麻生の台風の目となりそうな活発な動きを見せているのが、中川秀直だ。新年早々、「新しい旗を立てる」とぶち上げた中川は、元首相・森喜朗の逆鱗にふれ、派閥会長の座を前官房長官・町村信孝に奪われ、傷心の日々だった。それが郵政民営化を逆行させる動きに激怒した小泉から「中川さんも勝負するべき時だ」とお墨付きをもらって途端に元気になった。「政治そのものを抜本改革してゆく議員連盟を立ち上げ、新しい自民党をつくろう」と山本一太など側近議員に呼び掛けている。だが、派閥の事実上のオーナーである森は辛辣だ。「幹事長までやった政治家が、民主党と連携しても……なんて言っている。危機の時に守らずに逃げ出そうとするのか」。出馬するなら派閥を去ることが必要条件になるかもしれない。それでも引退を表明している小泉に代わって、党内で改革勢力の一定の支持を集める可能性は、なしとしない。
 幹事長代理・石原伸晃周辺もあわただしい。中川辞任直後の十九日夜には、元官房長官・塩崎恭久、副幹事長・菅原一秀ら、先の総裁選で石原を支持したメンバーと意見を交わした。石原ブランドは「選挙の顔」としては都市部を中心に魅力的に映る。当の本人もまんざらではないのだが、支援者からは「民主党優勢の真っ只中で、ここが本当に勝負どころか、よく見極めたほうがよい」と冷めたアドバイスも受けている。
 ダークホースは、厚生労働相・舛添要一だ。かつて参院議員が首相に指名された前例はないが、現行憲法では可能だ。年金問題など、国会審議で野党の攻撃にさらされながら、戦犯だとの見方はされず、むしろ一定の支持を得ている。森も参院自民党のドン・青木幹雄との会合で、「舛添は、自民党を救うための切り札になりうる」との認識で一致した。この他、元環境相・小池百合子、農水相・石破茂、前官房長官・町村信孝らも、チャンスをうかがう。
 そしていまだに根強いのが、「与謝野暫定政権」説だ。与謝野馨は「麻生の言葉は落第点だが、麻生政権は支える」と公言している。しかし与謝野の意志とは別に、自民・民主の両党から漏れ伝わってくるある有力なシナリオがある。それは、(1)麻生が予算成立後に速やかに内閣総辞職する。(2)その瞬間に小沢一郎の方から与謝野首班を求め、一時的な“大連立”を実現する。(3)この暫定大連立のもとで、与野党が協力して本予算の補正予算案を組み、当面必要な景気対策を成立させて、日本経済が底抜けしないような手だてを打つ。(4)そして時間を置かずして衆院の解散・総選挙に踏み切り、雌雄を決する、というものだ。
 このシナリオの特徴は、与謝野首班は、自民党からしても固辞する理由が乏しいことにある。与謝野は、経済財政担当相に加えて、財務・金融相と三つのポストを兼ねたことから、すでに“陰の首相”とも言われている。
 一方、民主党にとってのメリットは、この暫定大連立の期間を、本格政権への移行、助走のための準備に使える点だ。この間、政権交代を見越して、自民党からこぼれる議員が出てくることも想定され、それに対して、小沢の一存で、選挙区調整を含めた民主党への取り込み工作を個別に展開することも可能になる。
 ただし難点もある。「誰が麻生に鈴をつけるのか」。また、すぐに政権交代なら、与謝野は平成の徳川慶喜で終わってしまう。側近の政調会長代理・園田博之らは、与謝野の袖をひっぱって、小沢の口車に乗るなと諫めている。民主党内でも、じっとしてさえいれば政権が転がり込んでくるのに、「奇策を弄する必要はない」と小沢への警戒感がにじむ。
 永田町は新たな局面に入った。
「次の総選挙では、自民党も民主党も単独では過半数に届かない」という状況から、「民主党が単独過半数を得る」可能性が高いことを前提に考えなくてはならない局面へと転換したのだ。実際、自民党中枢のある幹部は「自民党は一度、下野する覚悟をもつことこそが、今後、戦う上での前提だ」と腹を括っている。次の総選挙での敗北を前提にして、次の次の総選挙で大政奉還を図る戦略を描くべきだ、という意味だ。政局春の陣がいよいよ動き出す。(文中敬称略)

2009年3月9日

赤坂太郎 文藝春秋3月号

麻生捨て身の「給付金解散」シナリオ

(http://bunshun.jp/bungeishunju/akasakataro/0903.html)

支持率は危険水域、党内では反乱騒ぎの中、一縷の望みを託すのは……

「今こそ、政治が責任を果たす時です」「日本の底力は、必ずやこの難局を乗り越えます」

 一月二十八日、首相・麻生太郎は、民主党の“牛歩戦術”により引き延ばされていた施政方針演説をようやく行った。「最後の国会演説」などと揶揄さ れていただけに、さぞかし力が入るかと思いきや、フリガナがふられた草稿を追う言葉に迫力はなく、与党席からの拍手もまばら。昨年九月の所信表明演説で は、民主党を挑発する言葉を連発したが、今回はそれも影を潜めた。すでに“敗軍の将”のような雰囲気を、敏感に感じ取った自民党議員も少なくなかった。

 一週間前、米国に興奮と熱狂を呼び起こしたバラク・オバマの大統領就任演説とは比べるべくもない。オバマはワシントンに足を運んだ二百万人を前 に、「今私たちに求められているのは、“新たな責任の時代”だ」と熱弁を振るった。支持率六八%はケネディに次ぐ戦後二位である。その華々しいリーダー誕 生の瞬間を、支持率一七%(時事通信)の我が国の首相はCNNテレビで見つめていた。麻生は毎朝、英語勘を失わないためにCNNやBBCの英語放送を十五 分ほど聴くことが習慣になっている。

 国民の心はなぜ麻生から離れたのか。チェンジを標榜するオバマとは対照的なライフスタイルへの頑なまでのこだわりもその理由のひとつだろう。ホテ ルのバーでの“クールダウン”が顕著な例だ。東京・神山町の七百五十坪の大邸宅から、首相公邸への引っ越しを延々と先送りにした背景にも、そうした頑固さ がのぞく。大勲位・中曽根康弘が、「公人中の公人たる首相は、一億国民の命運を預かる立場であり、公邸に入って、二十四時間、身命をなげうって取り組め」 と苦言を呈したこともあり、麻生本人は一度は新年早々の引っ越しを決意した。だが、家族の反対にあって延期。その後、自民党内からの「家庭内のねじれも解 消できないのか」「家族も説得できないで、国民を説得できるわけがない」との批判の声が届いたのか、渋々重い腰を上げたのだ。

 神山町の邸宅は、天井高は二メートルを遥かに超える洋館で、生活スタイルは完全に洋式。二階の寝室を出て、客間に向かう麻生が階段を降りるときに は、すでに靴をはいている。家のなかを寝巻き姿でうろうろする、どこかのお父さんとは大違いなのだ。さらに朝食後の散歩は健康維持のための重要な日課だ。 公邸に移ってからも官邸裏につながる庭園では満足できず、半時間あまり国会周辺を時速六キロで歩きまわる。「なんの努力もしない奴の医療費をなぜオレが払 わなければならない」と公言しただけあって、足取りは快調だ。健康診断の数値も極めて良好。体脂肪率一五・六%、BMI(体格指数)22、血管年齢四十二 歳のデータに、主治医は六十八歳とは思えぬ“理想的な数値”とのお墨付きを与えた。国民の支持を失っているときには、気力・体力が政権維持の重要なポイン トとされるが、その点だけは心配がない。

 最近では、自民党内で反乱が起きる最大の懸案とみられた二〇一一年度の消費税増税問題がいわゆる二段階論で決着したことで、「これから反転攻勢だ」と意気込んではいる。ただし、明るい兆しはいまだ見えない。

■縮み上がる中川

 そもそも「消費税政局」にしても他力本願で難を逃れたに過ぎない。その過程では、かなり緊迫した場面もあった。最大のキーマンが元幹事長・中川秀 直だ。離党した元行革相・渡辺喜美はかねてより中川との関係を公言し、中川も渡辺に「捨て石にはしない」と励ましてきた。さらには「新しい旗を立てる。日 本版ニューディール政策だ」とブチ上げる中川に同調する議員が、消費税増税反対派を形成し、勢いを増す場面もあった。

 こうした事態に、調整能力のない官邸に代わって動いたのが町村派の面々だった。まず久々の出番を探ったのは、元首相・安倍晋三。安倍は政権投げ出 しと批判された一昨年の九月以来、謹慎の意味から、政治的な動きに関わることを意識的に避けてきた。しかし町村派の若手には隠然たる影響力があり、麻生と も一貫して緊密な関係を維持してきた。「麻生の邪魔をしているのは、塩崎恭久、山本一太ら、安倍内閣のときのお友達ばかりだ」といった陰口が耳に入ったこ ともあり、安倍は自ら収拾に乗り出すことにしたのだ。

 余談ながら、安倍にはもう一つ、麻生に「借り」があった。麻生派の前身の派閥を率いてきた衆院議長・河野洋平が引退を表明し、その後継の女性候補 (麻生派)が出馬する神奈川十七区から、安倍の首相秘書官だった井上義行が出馬するというのだ。小田原市議選を目指していたはずの井上の電撃的な総選挙出 馬の動きが発覚したのは一月二日のことだ。箱根駅伝の小田原中継所。陸連会長でもある地元の河野がレースを観戦していると、視界に井上の姿が飛び込んでき た。しかも周りには、ビラをまく支持者らしきグループ。ビラには国政への意欲がつづられていた。河野陣営が直ちに麻生を通じて、安倍に確認すると、安倍も 寝耳に水だった。しかし井上の意思は固い。安倍の制止を振り切ってでも出馬の構えだ。

 麻生のために一肌脱がねばならない安倍は、一月十五日、町村派総会後の安倍・町村(信孝)・中川の三者会談で「今は派内でお互いが対立するときで はない」と切り出した。そして側近の世耕弘成に命じ、消費税増税問題について双方が受け入れ可能な文案の作成に着手させた。一方、中川とは犬猿の仲という 町村も税制調査会顧問・伊吹文明らと落とし所を探る。安倍は麻生の携帯電話を鳴らし、「町村派の若手と塩崎までは責任をもって抑える」と伝えた。外堀は埋 まった。

 しかし中川は簡単に納得しない。最後はやはり元首相・森喜朗の出番だった。森にも覚悟があった。森・中川はもともと永田町随一の師弟コンビ。森が 夏の暑い日に事務所で「おしぼりと中川君」を所望したというのは知る人ぞ知る話だ。だが、昨年の自民党総裁選で、森が麻生支持を鮮明にしたにもかかわら ず、中川は平然と元環境相・小池百合子を擁立。両者の亀裂が広がっていたところに、今回のクーデター騒動である。

「党幹事長まで務めた議員がやってはならない反乱を起こしている」。森は中川を痛烈に批判し、さらに中川が、幕末・維新の志士、坂本竜馬に自分を重 ね合わせてカラオケで『ふたりで竜馬をやろうじゃないか』(堀内孝雄)を熱く歌い上げると聞くと、「何を自分に酔っているんだ」と吐き捨てた。「本当にそ の路線を変えないのなら、派閥を出ていってもらってからにしてほしい」。人づてに聞いた森の激しい怒りに中川は縮みあがった。今が自らの政治生命を賭すタ イミングなのか、大きな迷いが生じた。

 一月二十一日夜、官房長官・河村建夫と都内のホテルで向き合った中川は、丁重に頭を下げる河村を前に、テーブルをひっくり返す気概は失せていた。 「二〇一一年度消費税上げが明記されないなら自分は納得するし、党を割ることはない」。党の部会で政府案が了承された後、麻生は、中川に白旗をあげさせた 最大の功労者、森にまっさきに電話を入れた。「森さんのおかげで救われた。本当にお世話になりました」。麻生は電話をしながら無意識のうちに頭を下げてい た。党分裂の危機はひとまず過ぎ去り、麻生も一息ついた安堵の表情を見せた。

■「五月二十四日投票」説

 では、「反転攻勢」成功の可能性はあるのか。一月半ば、麻生が「七月のイタリアサミットにはぜひとも行きたい」と周辺に漏らしている、との情報が 永田町を駆け巡った。サミットは七月八日から十日。サミット明けの衆議院解散なら、総選挙の日程は、任期満了の九月に限りなく近づくことになる。公明党が 水面下で求めた日程は四月二十六日の総選挙。しかしこれは、事実上、話し合い解散の道しかなく、麻生には到底飲めない。

 麻生にとってダメージとなっているのは、やはり党首力対決で小沢に逆転されたことだ。景気もさらに悪化し、政権浮揚の材料は見当たらない。麻生も 解散に関する話題をことさら避けているかに見える。だが、周辺から漏れてくる麻生の本音はこうだ。「定額給付金を八割が反対していて、評判が悪いという が、じゃあみんな受け取らないのかというと、九割はもらうだろう。実際に手にしてみて、嬉しくない奴ぁいないんじゃないか」。実際に小渕内閣でも地域振興 券を給付すると、支持率は上がった。麻生もそのピンポイントのタイミングをついて解散に踏み切ろうというわけだ。

 麻生の思惑を察知した公明党も素早い動きを見せた。東京都選管が都議選日程を正式に決める一月二十一日の前々日。内定していた七月五日投票を一週 間遅らせるよう、公明党都本部のドン・藤井富雄が自民党にねじこみ、先延ばしをごり押しした。公明党内では、告示期間中にサミットをはさむことから、「衆 院選と都議選とのダブル選挙封じ」と説明されたが、実際は、総選挙から少しでも間をおいて都議選に備えたいという思惑なのだ。

 定額給付金が行き渡るのは、五月にずれ込むとみられており、解散日程はそこから逆算して、絞り込んでいくことになる。「五月十二日公示、二十四日 投票」などの日程が取り沙汰されているが、圧倒的な劣勢が続く中、麻生が勝機を見い出し、決断できるのか、なお予断を許さない。

 対する民主党。一月十五日夜、東京・深沢の小沢邸から車で数分の小沢の後援者宅。人目を忍んで車を乗りつけたのは、民主党代表・小沢一郎、代表代 行・菅直人、幹事長・鳩山由紀夫の三人だった。ホテルや料理屋を使わなかったのには理由がある。これは政権移行準備を具体化させるための“極秘トロイカ会 談”だったのだ。足元が揺らぎ続ける自民党を尻目に、民主党に雑音は少ない。

 小沢は、政権奪取後、「最初の百日が勝負を決する」と考えている。政権移行期に何をし、どういう形態の統治機構を作るかの研究は、党行政改革調査 会長・松本剛明を中心としたメンバーですでに内々に進められてきた。一方で、総選挙勝利=政権交代を前提とした動きが表面化することを小沢は極度に嫌って いる。各選挙区の前線で戦っている候補者が緩んでは、戦局が一瞬にしてひっくりかえってしまうことを知っているからだ。

 小沢は「政府には現状で七十人の議員を配しているが、これを官房副長官や副大臣の増枠によって、百人の議員にまで増やして、官僚主導とは決別した 政治主導の態勢をつくりあげる」と述べている。さらにいくつかの我がままな“研究テーマ”が与えられている。「国会の委員会に縛られるのはごめんだ。法的 に首相出席を義務付けているものはないはずだ。国会も通常国会の百五十日間以外に臨時国会をあえて開く必要はない」、「記者クラブを廃止して、内外に開か れた姿にすべきだ。昼と夕のぶらさがり取材もやりたくない」。

 霞が関もこうした動きに呼応し始めている。永田町に情報網を張り巡らせる財務省は「民主党政権も組み易し」の結論を得たとされる。その財務省の中 心となっているのが主計局次長・香川俊介。かつて竹下内閣の官房副長官だった小沢の秘書官を務め、今や主計局内でも民主党政権を見越して、ほぼすべての案 件について、香川の了解を取り付けることが暗黙のルールだという。香川も小沢のもとを訪ねる回数が増えた。予算案審議をめぐる与党の思惑も小沢に筒抜け だった。

 外務省も負けてはいない。ジュネーブ国際機関政府代表部大使兼ジュネーブ総領事・宮川真喜雄を本省の国際協力局審議官として呼び戻したのだ。宮川 も香川と同じ時期、小沢の秘書官として仕えた。日米間で燃え盛っていた電気通信交渉や建設市場開放交渉を決着させるため、単身米国に乗り込み、それを実現 させた小沢を陰で支えたのが宮川だった。帰任命令は「小沢シフトを準備しておくため」というのが、省内の定説となっている。

 最近ではいよいよ「首相になる覚悟」を固めたという小沢だが、依然として、小沢政権は短命との見方も根強い。では、その際、誰が後継指名を受ける のか。鳩山、菅、岡田克也らが小沢に意見することもなく大人しいのは、それぞれが期待に胸を膨らませているからに他ならない。不安材料といえば、国対委員 長・山岡賢次の「裏献金疑惑」ぐらいだろう。与党幹部は「敵失でもなんでも勝ちは勝ち。国会で徹底追及する」と勢い込む。

 捨て身の麻生と余裕の小沢の激突は、景気動向、定額給付金、醜聞――いずれにせよ、一瞬の風をどちらが掴むかが勝敗を分けるだろう。(文中敬称略)

2009年1月18日

赤坂太郎 文藝春秋2月号

小沢政権「閣僚名簿」の意外な顔ぶれ
(http://bunshun.jp/bungeishunju/akasakataro/0902.html)

麻生批判が相次ぐ自民党を尻目に、民主党では早くも戦勝ムードが漂う――

自民党各派の会長に首相・麻生太郎から相次いで電話が入ったのは内閣支持率半減の衝撃が冷めやらぬ十二月九日のことだ。前日の朝刊一面トップで報道された麻生内閣の支持率は朝日新聞二二%、読売新聞二〇・九%、毎日新聞二一%、共同通信二五・五%。国民的な人気の高さを買われ、九月の自民党総裁選に圧勝した伊達男のあまりに早い凋落ぶりに、党内はパニック状態に陥っていた。

「ご心配をかけて申し訳ない」。いつになく殊勝な口ぶりの麻生に対して、各派の領袖たちは「支持率なんて上がったり下がったりするもの。気にすることはない」「若い連中が焦ってワーワー言っているが、直に落ち着く」とそろって激励の言葉を口にした。だが内心はもちろん別だった。二代前の戦後最年少首相・安倍晋三が支持率を落としたきっかけは、降ってわいたような年金記録問題と閣僚の事務所費問題。前首相・福田康夫が足元をすくわれたのは後期高齢者医療制度問題。いずれも本人に直接の責任はない、いわば「もらい事故」だった。

 それに引き替え、失言や漢字の読み間違いで失笑を買い、景気対策をめぐる方針のぶれで決定的な不信を招いた麻生の場合は、無免許、酒気帯びで電柱に衝突したような同情の余地のない「自損事故」だ。「しっかりしろ」と怒鳴りつけたい気持ちを飲み込んでのエールだった。

 例外的に本音をちらりと覗かせたのは志帥会(伊吹派)会長の前財務相・伊吹文明である。協力を約束する一方で、「そりゃあ、みんな支えますよ。四人目の総理を出すわけにいきませんからなあ」と嫌みも忘れなかった。「最後の切り札」として登場した麻生も短命に終われば、自民党に政権担当能力はないと烙印を押されても文句は言えない。支えたくて支えるのではない。交代させるわけにいかないから協力するだけだ。そんな苦々しい思いがにじみ出ていた。

 麻生もさすがに容易ならざる事態に立ち至っていることは自覚していた。だからこそ、領袖たちへの電話で必ず言い添えた殺し文句がある。「手間は取らせませんが、官房長官を挨拶に伺わせますから、時間をつくってやってください」。

 この状況で首相が官房長官を差し向ける用向きはただ一つ、官房機密費のお裾分けだった。正式名称は内閣官房報償費。「国政の円滑な推進」のために官房長官の判断で自由に使えることになっている年間十五億円近い領収書の要らない秘密資金だ。一般に「権力の潤滑油」と呼ばれるが、今回は麻生から党内の顔役たちへの迷惑料であり、各派所属議員の協力を取り付けるための懐柔資金だった。

 官房長官の河村建夫は清和会(町村派)代表世話人の前官房長官・町村信孝、平成研究会(津島派)会長の党税制調査会長・津島雄二、番町政策研究所(高村派)会長の前外相・高村正彦ら派閥領袖に加え、首相経験者の事務所にも麻生の名代として足を運んだ。河村が訪問時、あるいはその前後に届けた金額は一説に「派閥の規模によって違うが、最低でも一千万円」(党関係者)といわれる。

 一般の議員にも麻生は大盤振る舞いをした。自民党執行部が十二月十一日に党所属議員の指定口座に振り込んだ年末恒例の「もち代」。早期解散を見込んだ選挙事務所開設などで出費がかさんだとして、毎年支給される二百五十万―四百万円の支部交付金に加え、麻生指示による選挙活動費二百万円が上乗せされていた。衆院の現職だけで三百四人、六億円を超える特別手当である。

■クーデター鎮圧!?

 水心あれば魚心である。麻生に対して腹に一物ある伊吹も、派内の「反麻生」の動きを抑えにかかった。麻生からの電話の翌日、伊吹は東京プリンスホテルで開かれた伊吹派の内閣府大臣政務官・宇野治のパーティーで挨拶に立った。

「身内でカバーしながら乗り切っていかなくちゃいけないのに、テレビに出て身内の悪口を言っちゃあ、どうしようもない」。念頭には反麻生の急先鋒としてマスコミでもてはやされる元行政改革担当相・渡辺喜美や元幹事長・中川秀直の姿があった。その渡辺が参加する「速やかな政策実現を求める有志議員の会」に宇野は名を連ねていた。

 壇上で身をすくめる宇野に視線をやりながら伊吹は続けた。「勉強は自由、政策に上下はないけれども、やはり政界にも礼儀作法というものがある。国会の首班指名で一票入れた人の悪口を言いながら、自分の立場を良くしようというのは人間の矜持、品性において如何なものかと思います。退会したんでしょ? それで結構でございます」。満座の支持者の前で脱会を宣言させる強引さだった。

「速やかな政策実現を求める会」の代表世話人の一人、元官房長官・塩崎恭久は所属する宏池会(古賀派)会長の党選対委員長・古賀誠からこってりとしぼられた。十二月十一日昼の古賀派総会。いつになくドスの利いた古賀のあいさつに出席議員は顔を見合わせた。

「後ろから鉄砲玉を撃つことだけは絶対にないようにしてほしい。これだけはしっかりお願いしておく。後ろからの鉄砲玉が一番支持率を下げる。私は恥ずかしい、選対委員長として」。師匠の元幹事長・野中広務ばりの絶叫調の熱弁だ。

 総会終了後、古賀は塩崎を自席に呼び詰問した。「政局的な思惑なんてありません。政策提言のためです」と釈明する塩崎に、古賀は「それならそうと、きっちり分かるようにやれ。意味がないことをやるなよ」。塩崎は深々と頭を下げた。

 もう一人の代表世話人の前行政改革担当相・茂木敏充も、派閥会長の津島と会長代行・額賀福志郎から「二次補正を今国会に出せと提言しているようだが、出せば民主党に関連法案を参院で潰され、二進(にっち)も三進(さっち)もいかなくなることくらい君なら分かるだろう」と厳重注意を受けた。無派閥の渡辺には党選対副委員長・菅義偉が「これ以上エスカレートすると公認を出せなくなる。その場合は対立候補を出す可能性もある」と警告した。

 クーデター鎮圧のため政府軍が総攻撃に出た図である。麻生派の留守を預かる座長・中馬弘毅は十二月十八日の総会で表情を緩めた。「先週末くらいから少し世の中の潮目が変わってきたような気がする。マスコミも含めて一生懸命麻生攻撃をやっていたが、自分達で選んだ首相をすぐ叩いて何かいいことがあるのかと街の人も麻生さんを激励し始めた」。だが、それは希望的観測にすぎなかった。

 Xデーに備え兵力を蓄える一時的な撤退であり、戦意喪失どころか、ますます盛んというのが裏の顔だった。塩崎らのグループが描くシナリオはこうだ。

 麻生内閣の支持率低下は年明けの通常国会中に行き着くところまで行く。一桁台に落ち込み退陣要求に抗しきれなくなった二〇〇一年の森喜朗内閣と同様、来年度予算成立前後に麻生は立往生する。自らギブアップしなければ、国会議員と都道府県連代表(各一人)の過半数の要求で臨時総裁選を実施できるとの事実上のリコール規定を初適用して新総裁を誕生させ、新首相の下で衆院解散・総選挙になだれ込む――。

 伊吹らが否定する「四人目の総理」シナリオである。中川が描くタイムスケジュールもほぼ同様。ただ、このシナリオには致命的な欠陥があった。ポスト麻生は誰か、その新総裁がかつての小泉純一郎のように「救世主」たり得るのかという最も肝心な部分が空白なのである。

 前回総裁選で麻生に敗れた四候補の中で、傍目にもやる気満々だったのは幹事長代理の石原伸晃だ。十二月五日昼にグランドプリンスホテル赤坂で開いた自身のセミナーで、石原は麻生を支えるべき執行部の一員でありながら「自民党議員の七、八割は麻生政権で選挙して与党でいられるのか疑問を持っている。自民党も麻生政権も崖っぷち」だと公言し、麻生首相のまま衆院選に突入していいのかと公然と党内に問題提起したのである。ポスト麻生に名乗りを挙げる気持ちがあればこそだった。「最近の石原は完全に腰が浮いている。『私は、私は』と総裁選の最中のような物言いに戻っている」。山崎派議員の証言だ。同様に、塩崎、渡辺、さらには中川秀直も展開次第では総裁選に色気があるのは間違いない。

 厚生労働相・舛添要一を担ぎ出す動きもある。夏まで衆院厚労委員長を務めていた茂木は十二月十六日、赤坂の鰻料理屋「重箱」で余人を交えず舛添と懇談した。この席で茂木は次のようなメッセージを舛添に伝えた。

「山ほど問題を抱える厚労省を担当しながら、常に世論の高い支持を得ているのは驚嘆すべきことだと常々思ってきた。委員長として一年間、間近で接して、いま自民党の危機を救えるのはあなたしかいないと確信するに至った。チャンスが巡ってきたらぜひ逃げないでほしい」

 舛添は礼を述べながらも、「今はただ閣僚として全力投球するだけ」と慎重な発言に終始したとされる。

■鳩・菅の官房長官争い

 民主党代表・小沢一郎は、宿敵の体たらくを前に勝利を確信したのか、最近の言動は自信に満ちあふれている。

 十二月九日、小沢は広島市で地元の連合幹部と懇談した。「大蔵も目ざといよな。俺のところによく来るんだ」。小沢は席上、財務省幹部が日常的にレクチャーに訪れるようになったことを嬉しそうに明かした。赤坂の小沢事務所に日参しているのは主計局次長の香川俊介。竹下内閣の官房副長官時代の小沢に仕えた元秘書官である。政権交代の可能性が極めて高いと読んでの先行投資。小沢にすれば、霞ヶ関の雄・財務省から政権交代のお墨付きを得たような気分だった。

 では小沢内閣はどんな顔ぶれになるのだろうか。「次の内閣」の規定では、政策調整の要となる官房長官には政調会長が座ることになっている。だが参院議員で党務経験も少ない直嶋正行には荷が重すぎるとの見方が強い。「官房長官は実質的に閣内ナンバー2。菅さんも鳩山さんも『俺しかいない』と思っているが、小沢さんはどちらにも言質を与えていない」(幹部)のが現状である。

 菅・鳩以外で主要閣僚に有力視されているのは、小沢の信任が厚い元蔵相・藤井裕久の財務相への起用。次期衆院選に出馬せず引退することを決めているが、民間人閣僚として起用されるとの見立てだ。現衆院副議長・横路孝弘も小沢との付き合いが深く、重鎮として入閣を要請される可能性が大と見られている。

 連立友党からの入閣候補は各党とも小沢の「お友達」を押し込むと見られる。社民党副党首・又市征治、国民新党代表代行・亀井静香、新党日本代表・田中康夫。無所属からも郵政造反組の元経産相・平沼赳夫や、テレビ出演などで知名度の高い江田憲司の起用、意外なところでは自民党離党を条件にした渡辺喜美の一本釣りを予想する声もある。平沼、江田、渡辺の各選挙区について小沢が公式、非公式に「公認、推薦候補を立てなくていい」と指示しているとの情報がその根拠になっている。民間人では現在もブレーンとして活躍している元財務官の早大大学院教授・榊原英資の金融担当相などへの起用が有力視されている。

 衆院選での単独過半数獲得は難しいと踏んでいた小沢は一時、選挙後の政界再編を真剣に模索していた。自民党をいかに割るか。平沼や新党大地代表・鈴木宗男との連携も、二人が持つ自民党との太いパイプがいざという時に活きるという計算が働いていた。だが、衆院選に大勝できるとの予感は自民党分断―政界再編への関心を薄れさせていた。

 十二月十一日夜の民主、社民両党幹部の会食で、小沢は又市の質問に答える形で自民党工作の一端を明かした。

 又市「報道によると加藤、山拓と会ったらしいが、あの二人には誰も付いてこないんじゃないか」

 小沢「会ってないが、会っても意味はない。加藤は一人分、山拓は選挙でうちが勝つから〇・五人分にしかならない」

 又市「誰なら組める? 渡辺喜美か」

 小沢「いや、あれも決断できない」

 小沢は「中川は小泉時代の頭のままだから駄目」「石原は親父の言うことばかり聞いているから駄目」とばっさばっさと切り捨てた。もはや分断工作の必要はない、放っておいても自壊する。それが小沢の認識だった。

 一月五日に召集される〇九年の通常国会。麻生の行く手には険しい山が幾重にも待ち受けている。第一の関門は一月中旬に見込まれる〇八年度第二次補正予算案とその関連法案の衆院採決だ。自民党内では「評判の悪い定額給付金は棚上げしても構わない」との声が少なくない。だが十七人以上の造反者を出せば、衆院再可決に赤信号がともり、政権の屋台骨は年明け早々から大きくきしむことになる。(文中敬称略)

赤坂太郎 文藝春秋1月号

麻生官邸を牛耳るソフト帽の怪人
(http://bunshun.jp/bungeishunju/akasakataro/0901.html)

「チンピラ」太郎vs.「信用できない」一郎。想定外の戦いに迷参謀登場――


 薄ら笑いを浮かべて着席した首相・麻生太郎。背筋を伸ばして対峙する民主党代表・小沢一郎。十一月二十八日、国会の党首討論で両雄は初対決した。

 小沢「〇八年度第二次補正予算案をこの臨時国会に出さないのは本当に筋道が通らない。国民への背信行為だ」

 麻生「いや、まず金融機能強化法改正が通るかどうかで補正の中身も変わってくる。成立にご協力をお願いしたい」

 小沢「補正先送りなら初心に帰ることだ。衆院解散・総選挙で審判を仰げばいい。十二月に選挙できるじゃないか」

 麻生「閣僚と民主党の『次の内閣』で政党間協議をやりたい。〇九年度予算案を巡っても建設的に話し合えないか」

 麻生は低姿勢に徹した。総裁選に圧勝、小沢との衆院選対決に「勝って初めて天命を果たしたことになる」と見得を切ったのは遠い過去だ。年内選挙は支持率伸び悩みと「百年に一度」の金融危機で断念。支持率は既に三○%を割る調査も出始め、解散は封印するしかなかった。

 一月上旬に早期召集の通常国会はまず追加経済対策を盛り込んだ二次補正、続いて〇九年度予算案の審議が待つ。本予算と歳入関連法案の成立まで解散を打つ余地はない。通せずに解散なら「追い込まれ解散」になりかねない。民主党が審議をとことん引き延ばした〇八年、歳入関連法案の成立は四月三十日までずれこんだ。〇九年も持久戦の覚悟がいる。

 六―七月は公明党・創価学会が衆院選以上に重視する東京都議会議員選挙が控える。衆院選とのダブル選を避ければ、九月十日の衆院の任期満了はもう目の前だ。日程にすき間がなく、景気も支持率も右肩下がりでは、解散戦略と言ってももはや出たとこ勝負でしかない。

 首相の座にしがみつき、耐え抜いた末の任期満了選挙説も強まるが、それすら容易ではない。九月三十日に麻生の党総裁任期は切れる。支持率が反転し、党内が麻生を「選挙の顔」と認めれば別だが、ジリ貧なら「顔」を代えよう、と総裁選前倒し論が浮上するのは間違いない。

 解散先送りでは党内がガタつく、と仕掛けたのは小沢だった。十一月十七日、突然麻生に党首会談を要求。事務担当の官房副長官・漆間巌らはやめた方がいいと進言したが、麻生は首相官邸で「申し入れを聞き置く」体裁を取って受けた。

「常識的な範囲で結論は出す。党首として政治家として、責任を取る」

 小沢は唐突に審議協力をちらつかせると、「あんたが国民に約束したんだろ」と二次補正の臨時国会提出を迫った。麻生は腰を引いた。案の定、小沢は十八日から一転、参院でインド洋自衛隊給油法の延長や金融機能強化法の改正をサボタージュする強硬戦術で麻生揺さぶりに出る。軸足は倒閣に移しつつあった。解散を先送りし、二次補正も急がない麻生の矛盾を浮き彫りにする舞台装置として党首会談をしっかり利用したのである。

 十九日夜。麻生と幹事長・細田博之、国会対策委員長・大島理森は二次補正は〇九年度予算案と一体で通常国会に出す方針で腹を合わせた。銀行への資本注入を復活する金融機能強化法改正案を通すには衆院再議決をにらんで越年延長も覚悟せざるを得ないが、年末は予算編成に専念。通常国会の前に局面転換の内閣改造が可能なすき間を少しでも空ける。政権維持を優先する守りの戦略だった。

 前財務相・伊吹文明が同じく京都府選出の議員に漏らした見立ては深刻だ。

「麻生が来夏まで持てば、総裁選で『衆院選の顔』を選び直す余地もある。しかし、またしても早々と首相の座を投げ出せば、もう自民党政権は終わりだ」

 安倍晋三、福田康夫に続く政権投げ出しと言う異常事態になれば、後継首相を党内のたらい回しで選べるかどうかも覚束ない下野の瀬戸際だ。そんな非常事態の最中に、クーデターまがいの行動を起こしたのが、九月の総裁選で元防衛相・小池百合子や幹事長代理・石原伸晃を担いだ自称「改革派」の面々だ。元官房長官・塩崎恭久が「追加経済対策の実行で国会から逃げてはいけない」と噛みつけば、元行革担当相・渡辺喜美も「政局より政策だと解散を先送りして、政策まで先送りしちゃうの? そんなバカないでしょ」と挑発。彼ら中堅・若手有志二十四人は、官房長官・河村建夫に二次補正の臨時国会提出を迫る連判状を突きつけた。だが、所詮、彼らも確たるポスト麻生候補や政局カレンダーも持たずに騒いでいるだけで、それこそが自民党の政権担当能力喪失を物語っていた。

■前代未聞の越権行為

 政界では最近、麻生を「新KY総理」と呼ぶ。連夜のホテル・バー通いで見せつけた「空気の読めなさ」に加え、「未曾有」を「みぞうゆう」、「踏襲」を「ふしゅう」と読み間違えて「漢字が読めない」のレッテルも貼られたのだ。

 十九日の記者団のぶら下がり取材。重要政策を巡る麻生の粗雑な発言の連発で政権は「未曾有」の混乱に陥った。

「地方交付税として一兆円というのがもうずーっと一貫して言っていること。地方が自由に使える交付税として一兆円」

 麻生は道路特定財源の一般財源化を巡り、一兆円は使い道を限定しない地方交付税として地方に渡す考えを示した。党側への根回しゼロで道路整備予算を一兆円減らす、と宣告したに等しかった。

「官房長官を呼べ!」「道路は必要だ」。二十日の党道路調査会で怒声が飛んだ。会長・山本有二の皮肉は痛烈だった。

「『交付税』を(道路整備に使途を限る)『交付金』と読み替えれば辻褄が合う。漢字の読み間違い、とは言わないけど」

 民営化した日本郵政グループの株式売却を巡っても迷言が飛び出した。

「今年売らなくちゃいけないみたいなルールになっていると言うから、株価が下がっている真っ最中に売る奴がどこにいるんだと。凍結した方がいいでしょうね」

 郵政民営化の見直し方針と受け止められかねない一言に、「改革派」の黒幕、元幹事長・中川秀直が二十日の町村派総会で公然と麻生批判の烽火(のろし)を上げた。

「株の売却は早くて二○一〇年度からで、一七年度までに完全民営化する計画。今年、売るなんて話は全くない。民営化の完全否定と取られても仕方がない」

 選挙対策副委員長・菅義偉も「郵政造反組」の首相補佐官・山口俊一を一喝した。「総理にバカなことを言わせるな。やるんならもう一回、党を出てやれ!」

 交付税も郵政も総務省の所管。浮かび上がるのは「総務省官邸」の実態だ。麻生は財務、外務、経済産業、警察の四省庁体制が慣例の事務担当の秘書官を増員。総務省官房審議官(地方財政担当)だった岡本全勝(昭和53年自治省入省)を首席扱いで登用した。岡本は麻生の総務相時代に官房総務課長で仕え、信任を得た。麻生に張り付き、政策全般を仕切ろうと力む余り、河村や漆間らを遠ざけがちで、官邸内で不協和音を生む。

 麻生と長年、苦楽を共にしてきた政務秘書官・村松一郎と岡本のコンビが首相秘書官室を牛耳る。党三役の一人は麻生と面会後、このコンビから、「河村長官の部屋には寄らないで下さい」と耳打ちされ、官邸内の足の蹴り合いに暗然とした。漆間も河村の力量不足に苛立ちをにじませる半面、麻生が閣僚や各省に下した指示を知らされず、後で各省に問い合わせるなど、首相秘書官室とはぎくしゃくする。「年金テロか」と日本中が騒然となった元厚生事務次官夫妻殺傷事件の際にも、その日のうちに「テロは断じて許さない」と踏み込んだコメントを用意した岡本に対して、漆間は麻生に「この時点では時期尚早です」と進言して切り返し、二人の溝はさらに深まった。挙句の果てに、政務の副長官・松本純が、「総理が事件にもかかわらずにバーに行こうとしたのを私が止めたんだ」とうっかり記者に漏らしたため、メディアによる怒濤の麻生攻撃にさらに拍車を掛けるというお粗末なおまけまでついた。

 その麻生官邸のキーマンである岡本が鮮烈な存在感を発揮したのは十月十七日の経済財政諮問会議だった。「消費税率引上げは避けて通れない。責任政党としてそれだけは覚悟しなきゃダメだ」。消費税増税を逃げない、と麻生が格好をつけてぶち始めたその瞬間、岡本はいきなり麻生に駆け寄り、衆人環視の場で、「総理! 今の発言は議事録から削除します」と大声で諫めた。居並ぶ閣僚も唖然とした前代未聞の越権行為だった。

 閣僚や各省幹部が麻生を総理執務室に訪ねると、岡本はしばしば麻生の脇に陣取る。報告や説明を平気でさえぎり、口を挟むKYぶりに反発が渦巻いた。小泉政権までは、首相秘書官は離れた席に控え、発言は慎むのが慣例だった。まるで安倍の政務秘書官だった井上義行を彷彿とさせる振る舞いに、陰では「キャリアの井上」と揶揄される。洒落者で髪の薄い岡本が愛用するソフト帽まで「目立ちすぎだ」と攻撃を受ける始末だ。

「道路財源から一兆円」は財源と権限を国土交通省から交付税を差配する総務省に移すことを意味する。麻生が農水省の地方農政局と国交省の地方整備局の「抜本的な統廃合」をぶち上げた際も、霞が関は岡本の振り付けを指弾した。総務省は「ウチがやらせているわけではない」と火の粉を払うが、総務相・鳩山邦夫も麻生の「お友達」だけに各省が岡本と総務省に投げかける視線は冷ややかだ。

■給付金騒動の真相

 定額給付金騒動も「総務省官邸」に財務省が横を向き、ほころびが露呈した。

 福田政権末期の八月末、公明党が中・低所得層中心の生活支援として定額減税を求め、幹事長の麻生が丸のみしたのが発端だ。麻生の首相就任後、財務省は減税では課税最低限以下の所得層への手当てが厄介なので、一律の給付金の方が効果的とご注進。公明党も乗った。二兆円規模で総務省予算に計上、市町村から配る手順も固まった。

 公明党主導の舞台裏を知る経済財政担当相・与謝野馨。財政規律派として「内需刺激ではなく、生活支援が目的だから所得制限が当然」と決め込んでいた。財務省は「規模と財源の大枠さえ決まれば、細目は総務省に任せて口は出さない」と総務省のお手並み拝見の構えだった。誰が実務の詰めの責任を負うのか曖昧なまま、麻生は十月三十日の記者会見で「全所帯について実施します」と岡本が起草した発言メモを読み上げてしまった。

 翌三十一日。麻生直属の経済財政諮問会議から雲行きが怪しくなり始めた。

 民間議員の新日鉄会長・三村明夫が、「中・低所得者に的を絞った対策が適当ではないか」と所得制限を主張し、同じく民間議員の元日銀副総裁・岩田一政も「やはり上限をどこかに置いた方がいいと思う」とそれに続いた。沈黙する麻生。

 総務相の鳩山が「手間暇を考えると、自治体の窓口でどこまでできるか」と強く反論したが、進行役の与謝野は「所得制限を設けるとも設けないとも、実はどちらにも決めていない」と引き取った。バラマキ批判の噴出を危ぶんだのだ。

 十一月一日。与謝野は官邸とも連絡を取ったうえで、「高所得層にお金を渡すのは変だ」と所得制限への軌道修正を試みた。麻生も「豊かな人に出す必要はない」と歩調を合わせたが、今度は鳩山と総務省が「市町村で所得は把握できない」とねじ込んだ。次善の策として自発的辞退論も浮かんだが、与謝野が「辞退は制度ではないので、ありえない」と一蹴。麻生はとうとう市町村に判断を丸投げする最悪の展開となった。

 すかさず手を突っ込んだのは小沢だ。

「与謝野さんが言っているように『自発的に辞退』というのは制度じゃないだろ」

 十一日、神戸市内で記者団に囲まれると、与謝野を持ち上げた。たった一言で、政界再編をにらむ小沢―与謝野提携への警戒感が与野党を超えて膨れ上がった。官邸からは一時「給付金騒動は与謝野の倒閣運動なのか」と疑う声すら漏れた。

 二十日、麻生は財務・金融相・中川昭一に予算編成の大枠を指示する場で与謝野を傍らに座らせた。経済運営での副総理格を明示し、二人のすきま風説を打ち消す狙いだった。実は与謝野と犬猿の仲の中川秀直までが、ふらつく麻生の隙を突いて与謝野にまさかの秋波を送り始めていた。小沢や中川の離間工作には乗らないという麻生の意思表示だった。

 大きなマスクも外し、精気の戻った小沢は二十三日、珍しくNHKの生番組に登場。麻生の「あの人信用できない」発言を「チンピラの言いがかり」とやり返し、麻生退陣と自公連立の下野を迫った。

「(麻生が)辞める話になれば、選挙管理内閣の形で、政権を野党に渡して選挙をやるかどうか。いずれにしても、次の内閣はもう選挙するしかないんですよ」

 急激な失速に我慢の麻生。倦みがちな党内を「解散、さもなくば倒閣」と引き締める小沢。二カ月前は想定外だった衆院任期満了の年が迫る。(文中敬称略)

2009年1月16日

赤坂太郎 文藝春秋12月号

深層ドキュメント 麻生が「解散先送り」を決意した夜
(http://www.bunshun.co.jp/mag/bungeishunju/akasakataro/0812.htm)


批判の多いホテルでの会食。そのとき、麻生はある人物を招いた――

 君子豹変す、と言うなら、その夜の首相麻生太郎はまさにそれだった。

 残暑の余韻も消え、湿った秋の夜風が吹き込む十月二十六日の日曜日の午後八時すぎ、東京・紀尾井町のグランドプリンスホテル赤坂。中国料理店「李芳」で、コース料理を食べ進める首相秘書官らを尻目に、麻生はビールも口にせず、焼きそばだけ頼んで想いにふけっていた。

 いよいよ伝家の宝刀である解散の剣を十月末に抜くか否か。「十月三十日総選挙」の真偽に永田町の関心は集まるのに、その判断を側近にさえ気取らせない風である。前日まで中国・北京で金融危機をめぐり各国のトップと渡り合った第七回アジア欧州会議(ASEM)首脳会合の余韻にひたるでもなく、その日午後、東京・秋葉原の街頭演説で「経済とか外交、これは麻生太郎がいま最も使える政治家だとオレは思っている」と吠えた熱狂も忘れたかのような静かな佇まいであった。

「お二人がつきました」。午後九時すぎ、別の秘書官から携帯電話に連絡が入る。麻生は総理番記者に気づかれないようエレベーターに乗り込むと、階上のスイートルームに向かった。

 待ちかまえていたのは公明党代表太田昭宏と幹事長北側一雄だった。週前半から何度も頼み込み、ようやく実現した首相との極秘会談である。ホットコーヒーがサーブされるやいなや、二人は必死の形相で早期解散を説いた。

「自民党があえて首相交代までやったのは、総裁選後すぐの解散を狙ったからでしょう。ここで解散しなければ、総選挙を断行できない総理だと言われる。野垂れ死になってしまう」

「十二月になれば、中小企業の倒産が相次ぐかもしれない。解散先延ばしは絶対に避けるべきだ」

 だが麻生は沈黙を貫き通した。解散できる環境はそのつど整える。ただ断行するかどうかは自分ひとりで最後に決める。それでなければ、とくに公明党・創価学会の圧力に屈したとの印象を残せば、民主党代表小沢一郎との乾坤一擲の決戦を勝ち抜くことなど望み得ないではないか。

「また、話しましょう」。小一時間の会談の最後、二人の顔に失望があらわになるのを見つつ、それだけ言って麻生は立ち上がった。ひと口も飲まなかったコーヒーは冷め切っていた。

 国内政局より国際政治と金融危機対応を優先する、つまり解散先送りに麻生の真意があることを太田と北側は痛切に思い知らされた。加えて前首相福田康夫から麻生への交代を後押しし、十月解散へのレールを敷いたつもりだった連立与党の首脳陣さえ入り込む余地のないところまで、解散権を掌に握り固めた麻生の豹変をまざまざと実感させられたのだった。

「……それでも十一月総選挙の体制を解くわけにはいかない」。会談の翌日夜、北側らは創価学会幹部にそう報告するのが精いっぱいだった。

■「話は全然変わる」

 もとより政権発足前後の麻生はそうではなかった。

 自民党総裁選に突入以降、麻生は、側近の国対委員長大島理森や総務省から首相秘書官に抜擢することになる岡本全勝ら数人のスタッフと、総裁選出の受諾演説にはじまり、組閣名簿発表時の記者会見要領、所信表明演説から『文藝春秋』に寄稿する手記に至るまで同時並行で原稿づくりを進めた。

「おい、戦後、首相が所信ないしは施政方針演説で冒頭解散を明言した例はあるか」。演説と手記の草稿を手に麻生がそう尋ねたのは総裁選終了間際のことだ。岡本らが調べると、偶然にもそれは昭和二十三年、麻生の祖父吉田茂の第二次内閣に前例があったというオチがつく。この時点で麻生が冒頭解散を見定めていたことは間違いない。

 その所信演説で小沢に向け内政・外交の主要課題の賛否をただす異例の戦法に出、手記の最終チェックも終えた九月二十九日深夜。東京・神山町の自宅書斎にいた麻生の携帯電話が鳴った。北側からだ。「補正予算案の審議に持ち込まれたら、スキャンダルを抱える閣僚が狙い撃ちにされ、ずるずる民主党ペースにはまり込みますよ」。おそらくは元公明党委員長矢野絢也の証人喚問を恐れてではあったろうが、冒頭解散を念押しする忠告に対し、その夜の麻生は多弁であり、融和的だった。

「心配しなさんな。これから米国で金融安定化法案が成立していく。日本は我々の補正予算だ。日米協調で世界の金融危機に対抗していく時に、民主党は反対するのか、という戦法でいく」

 早ければ十月三日の代表質問終了直後、遅くとも補正予算審議の冒頭には、解散を断行するという意味だった。だがその数時間後、世界経済は米国発で暗転する。

 予想に反して米議会下院が、金融機関から不良債権を買い取る制度を盛り込んだ金融安定化法案を否決し、ニューヨーク株式市場はダウ工業株平均が前週末比七七七ドル安と史上最大の下げ幅を記録した。ウォール街、そして米経済の釜の底が抜けたのである。

 三十日早朝、外務省出身の首相秘書官山崎和之からの電話で起こされた麻生はすぐ指示を飛ばした。

「これで話は全然変わる。米議会が改めて金融安定化法案を成立させるのは一週間後か一カ月後か、すぐ現地であたるんだ」

 翌十月一日。国会では小沢が麻生の質問に直接答えず、民主党の政権構想を訴える代表質問に臨んだことが注目を集めたが、麻生の関心は既にそこにはなかった。日米関係を主軸にした外交と、金融危機対策及び景気回復策。麻生が政権と自分の政治力の命綱だと演説と手記で見定めたテーマが目の前に、しかも世界規模で浮上したのだ。財政と金融を再び一体化するのかという批判を意に介さず、両方を所管させた財務・金融相中川昭一を「責任閣僚」として押し出す格好の舞台でもある。

「オレの感性は、解散より景気対策と金融危機対応だとアラームを鳴らし始めた」。その夜、麻生は側近らにそう語り、追加の第二次補正と、昨年度末に途切れた地方銀行向けの金融機能強化法の復活に向け、「頭の体操」を始めるよう指示したのだった。

 もうひとつの転機は、二日後の十月三日、側近の大島からの電話でもたらされた。

 本来なら解散日と記録されたかもしれない代表質問の最終日、民主党国対委員長山岡賢次から大島に非公式に打診があった。「補正予算は来週、衆参二日ずつであげる。関連法案を含めて民主党を賛成に回らせる。だから十月十日で話し合い解散の言質が欲しい」。

 国会対応を一任された小沢からの指示で、山岡は早期解散の確約に向けて動いたのだろう。だがその油断と隙を大島は見逃さなかった。

 大島は「解散は総理の専権だ」と山岡をかわしつつ、逆に麻生には「これはチャンスです」と指摘した。話し合い解散を匂わせ続ければ、民主党は国会で対決姿勢を貫けないはずだ。補正はもちろん、福田政権の崩壊につながったテロ新法から果ては空席の日銀副総裁の同意人事まで、果実を手にすることができるかもしれない……。

 解散戦略のふりをして、国対戦略をやればいい。瞬時に麻生はそう理解し大島に国会対応を任せた。

 翌週、新聞各紙には、補正だけでなくテロ新法の早期採決を民主党が容認したとの記事が踊った。そんなある日の衆院本会議。議場の自分の席にいた麻生は、こんこんと後頭部をたたかれて振り返った。

 元首相の小泉純一郎と森喜朗がにやにや笑いながら見下ろしていた。「おいおい、太郎ちゃん。どんな魔法、いや脅しを使ったんだい。テロ新法の採決容認まで、民主党が降りてくるなんてさ」。小泉の軽口に麻生は神妙なふりで答えた。「いいえ、誠心誠意、政党間協議をお願いしただけです」。

 麻生の耳には、十月解散を前提に最後の力を振り絞って民主党がテレビのゴールデンタイムにCMを流すという情報も入っていた。民主党に選挙資金を使い果たさせ、兵糧攻めにする。そのためにも、早期解散の風は吹くままに任せ、併せて国会で民主党がベタ降りするのを待てばいい。麻生にすれば、解散先送りの本心を気取られてはいけないのだった。

■「籠抜け」の相手

 麻生の夜の振る舞いに関しては、永田町でもメディア内でも批判が多い。毎夜、ホテルのバーで秘書官らと葉巻、ブランデーを遣る、クールダウンのために必要な息抜きだと官邸サイドから解説は出回るが、それは表向きの話である。太田、北側との極秘会談に象徴される、政府・与党の要人との密会のための隠れ蓑だけではない。日中、官邸では取れない本音の情報を集めるための「籠抜け」の場でもあるのだ。

 所信演説と代表質問を終えた日曜日、十月五日午後七時。新聞各紙の首相動静ではただ東京・内幸町の帝国ホテルとしか記されていないが、麻生は会員制バー「ゴールデンライオン」を籠抜けして階上のスイートルームに入った。相手は、日銀総裁白川方明の懐刀といわれる国際金融のスペシャリストである。同席者は、麻生の外交演説に手を入れるスタッフライターら数人だった。

 麻生はハンバーガーを頼み、同席者にサンドイッチを勧めた。コーヒーだけの勉強会だ。いきなりこう言った。

「いいか、これからオレの意向は百%、おまえから白川総裁に伝えろ。白川の意向も百%、おまえを通じてオレに伝わるようにしろ」

 活発な議論になった。米国経済は既に金融危機から景気減速が一番の問題になっていること、欧州各国は「公的資金合戦」の様相で、取り組みの遅れた国の銀行が狙い撃ちされる危険が出てきたこと、リスクマネーを欧米が大量に使っているため、日本や新興国が危機に瀕した場合は出資者候補が見あたらないこと……。

「この米国への支援が実れば、インド洋の協力に勝るとも劣らず、日本の評価につながるだろうな。だが、アイスランドがクラッシュしてドイツがあわてて預金者保護に走る時代だ。つまり、G7の大国だけの御身大切ではいかん。G7が小国も守る、そういう国際協調を日本が主導すればいいわけだな。違うか」。そうつぶやいた麻生の頭には、翌週のG8(主要八カ国)首脳の緊急声明に続き、ASEMでアジア・環太平洋諸国の連携を確認し、十一月の米大統領選直後の金融サミットで中国、インド、ブラジルなど新興国を含む「G20会議」につなげる構想が生まれた。

 他方、機動的に財政・金融政策の首相直轄チームを創設する構想も議論の俎上にのぼった。財務省と金融庁、日銀の垣根を越えた組織――「麻生版アンポン」。吉田茂が戦後復興のため活用した「経済安定本部」の略語も飛び出し、麻生は苦笑いした。「アンポンか、古い話を知ってるな」。

 十月十一日土曜日午後六時すぎ。浜松への出張のため、JR東京駅に着いた麻生だが、これもまた籠抜けだった。丸の内口から貴賓室に入った麻生が握手したのは、八重洲口からたどり着いた駐日米大使シーファーである。

 時間は三十分しかない。通訳も入れず、麻生はサシで本題に入った。

「G20構想、これはどうだ。日本の成田空港近郊でサミットを開催する用意もある」。シーファーは自分でメモを取った。

 その夜、予定より一日早く、米国の北朝鮮に対するテロ国家の指定解除が固まり、米大統領ブッシュから浜松のホテルにいた麻生に電話が入った。安倍、福田二代の内閣でさえ忌避してきた指定解除を受け入れざるを得ないのは、保守層固めを総選挙対策の主軸に置く麻生にすれば失点である。外務省の情報収集の甘さも印象づけた。だが、会談の中身はブリーフでは北朝鮮問題が中心とされたが、実は大半が金融危機対応だったのは麻生の救いだった。G20構想を麻生が電話会談で持ち出すと、ブッシュは「頭の中に入っている」と答えた。シーファーから既に早足の報告が届いていたのである。

■年末解散はあるか?

 この間、メディアの政局解説記事は麻生の豹変の真意を読み込めず迷走を続けた。曰く、自民党の独自の世論調査の数字が悪かったから解散を見送ったのだ、曰く、一日でも長く政権にいたい麻生はもとから早期解散の腹はなかったのだ、などなど。

 麻生政権誕生以来、自民党が全国規模で行った独自の世論調査は一回しかない。九月二十七、二十八日実施の分がそれで、麻生のもとには二十八日夜、選対副委員長の菅義偉が手ずから速報値のデータを持ち込んだ。

 AからCまで当選可能性がランクづけされた一覧表で、確かに当選確実とされたAからBプラスまでの選挙区は小選挙区三〇〇のうち、民主一二〇、自民八五と分は悪い。ただ、菅が強調し、麻生がうなずいたポイントは、BマイナスからCプラスまでのボーダーラインの選挙区の実態だった。

「民主支持層はほぼ九割以上が民主に投票と答え、自民支持層は五割強しか自民に投票と答えていません。つまり民主は伸び切ったが、自民はまだ伸びしろがある」。その上で自民党選対が弾いた議席獲得予想の中間値は自民二一五、民主二一四。実は冒頭解散を絶望視する数字ではなかったのだ。

 ただその後金融危機を受け冒頭解散戦略をひそかに見直し始めた麻生や菅にすれば、なお自民に伸びしろありとの観測は解散先送りの根拠にはなった。だが、これは麻生政権の情報管理の甘さでもあるのだが、当選確実圏内の数字を中心に「調査結果が悪かった」との観測がひとり歩きし、麻生が解散に尻込みしているといった解説がまことしやかに党内外に流布した。

「しばらくは全国調査はやらんでいい。調査の良し悪しで解散時期を決めるのか、と思われるだけだ。ボーダーラインのトレンド調査だけにしろ」。麻生は党選対にそう指示した。八五選挙区だけを対象に十月十八、十九日実施した調査では、CマイナスからCプラス、あるいはBマイナスに転じた選挙区が七つあった。これを好転の兆しとみるかどうかは別にして、少なくともその数字を聞いた麻生は党選対幹部にこう指示したのである。

「このボーダーの選挙区候補の年末の選挙資金手当は思い切って積み増すんだな」。年末の手当――「十二月解散、一月総選挙」の布石へ大きく舵を切ったことを示す麻生の言葉だった。

 だが、早期解散の風を吹かせて国会と政局運営の主導権を民主党から奪い返した麻生の一カ月は、小泉の言う魔法ではなく、いわば猫騙しのような初手の成功に過ぎないかもしれない。

 民主党もまた、早期解散を希う戦略を徐々に転換し、長期戦も辞さずとの姿勢を強めつつある。「金融機能強化法から第二次補正予算に向けてが国会攻防の冬の陣だ。政権を追い詰め、解散すらできない麻生の真実を国民の前にさらせばいい」。幹事長鳩山由紀夫ら国会対策の司令塔を成す面々は完全に頭を切り替えた。麻生の「魔法」の効果は既に消えつつある。

 だが報道各社の世論調査でも民主党は一向に伸びて来ない。麻生内閣の支持率同様、完全に勝ち切れる数字ではないのだ。何より九月七日時点で党が独自に実施した一九四の小選挙区調査では、優勢度がプラスの当選確実圏内に入ったのは八〇に過ぎない。とくに東京は実施した一八選挙区のうち、拮抗状態が多数を占めたものの、優勢度プラスはわずかに五だったのである。

「私と麻生首相のどちらが総理にふさわしいかは確かにダブルスコアであっちが上だが、その方が民主党が目立って、政権交代が争点になるから何の問題もない」。そう笑い飛ばす小沢も内心では党の現状が気が気でない。

 十月二十二日深夜、福岡・博多のホテル。現地の候補予定者の陣営幹部と連合福岡の幹部を相手に、小沢は、後で出席者たちが「まさに、怒髪天をつくだ。あんなに激高した小沢さんを初めてみた」という調子で吠えた。

「いつから横綱相撲をやっているつもりなんだ! もう政権交代したつもりでいるのか。あしたから五分おきに一日五〇カ所で街頭演説をやれ」

 だがその翌日、小沢はインド首相シンとの会談を体調不良を理由にキャンセルした。首相候補の「病弱」が民主党支持を弱める危険だけでなく、民主党幹部たちには別の不安が現実のものとなりつつある。

 ただでさえ解散は首相の麻生が一番都合のいい時期を見計らって打てる、政権側に有利な制度だ。針の穴を通すような細心の注意でこれからの国会を引き回さなければならないのに、ここ一番で小沢が姿を消し、連絡も取れなくなったらどうするのか。

 麻生自民も小沢民主もここまで、総選挙の勝利に万全の自信を持てないできた。麻生はひそかに十月解散戦略を豹変させてはいたが、それでなくとも早期解散の機運が急速に萎み、両党が長期戦の損得計算に頭を切り換えた根底にはその自信のなさがある。

 金融法案などで十一月国会がよほど混乱しない限り、おそらく麻生は十一月十五日から米国で行われる緊急金融サミットをこなし、十二月末まで臨時国会の会期を延長して、定額減税を盛り込んだ第二次補正の成立を狙うだろう。民主党がばらまき批判を正面に掲げて補正反対に回り、野党が多数の参院で待ったをかければ、再び十二月解散―一月総選挙の風が吹く。

 だが法人税収入の目減りで税収不足は必至の情勢であり、日本経済の減速は中小企業の倒産といった形で社会不安を増しかねない。その時、世論の批判の目は、景気対策の実があがらない麻生政権へ向かうのか、予算に反対する民主党へ注がれるのか。

 十月三十日、麻生は緊急の記者会見で「政局より政策、何より景気対策だというのが圧倒的な国民の声だ」と語り、ようやく解散先送りを認めた。

 麻生も小沢も正念場である。政権交代が実現しなければ議員辞職も辞さずと明言してきた小沢はもちろん、保守本流を自任する麻生とて、政権を失った首相・総裁として自民党史に記録されるのは許し難い。来夏の東京都議選を考えれば、年末解散を見送る場合、残るは来年度予算を無事成立させての来春か、来秋の任期満了選挙しかない。「魔法」も二度目は通じないだろうから、十二月の判断が麻生の政権の命運を握ることになる。(文中敬称略)

2008年10月15日

赤坂太郎 文藝春秋11月号

政界シミュレーション 攻防210議席 両党とも勝てず単独過半数は困難。選挙後は大連立か、政界再編か(http://www.bunshun.co.jp/mag/bungeishunju/akasakataro/0811.htm)
 漸く吹き始めた秋風をはねつけるように国会議事堂が一気に沸騰した。九月二九日午後二時、衆院本会議。前代未聞の首相・麻生太郎の所信表明演説に対し、与党席から「そうだ、民主党に任せられるか」と喝采と拍手が、野党席から「違う、だから政権交代だ」と罵声と野次が噴出し、一躍騒然となったのである。
「補正予算を検討のうえ、呑めない点があるなら、論拠と共に代表質問でお示しいただきたい。独自の案を提示されるのももちろん結構。ただし、財源を明示していただきます」。テロ新法を含め、到底小沢民主党が呑めない条件をずらり並べ、応じられないなら解散だぞと言わんばかりの伝法である。
 アドリブではない。かねて用意の演説だった。自民党総裁選の最中のある夜、東京・神山町の自宅でひらめいた麻生は、すぐに携帯電話で国対委員長・大島理森に指示を飛ばした。
「いいか、メモとれ。所信を使えばいい。QT(党首討論)的に、小沢に賛否を迫る。答えは期限を切る。そうだな、代表質問で、とするか」
 麻生は首相になった暁には冒頭解散だと決意しており、悩みどころはいかに民主党の抵抗姿勢を暴き出し解散の名分を成すかだけだった。そこで出した答えが「QT的所信」だったのだ。
 二五日、首相官邸五階の会議室。大島が練り上げた案文を初めて目にした官房長官・河村建夫ら正副長官は全員息を呑んだ。「小沢への果たし状というわけだ」。嬉しそうに沈黙を破ったのは、浪花節では麻生にも負けない側近の副長官・鴻池祥肇である。
「一〇月二一日公示、一一月二日投票」の総選挙へ、麻生自民党は突っ走る。もちろん、勝算が完全にあるわけではないが、もう退くわけにはいかない。盛り上がりを欠いた総裁選に地味な組閣が続き、発足直後の内閣支持率は、安倍、福田両政権のスタート時を下回った。国土交通相・中山成彬の失言による辞任など、閣僚が政権の足を引っ張るもたつきぶりも相変わらずだ。ただ、各社の世論調査とも、「首相候補」としての評価は軒並み、麻生が小沢一郎をほぼダブルスコアで引き離した。
 その一点を拠に自民党は背水の陣をしく。「この数字が欲しかった」。感に堪えぬように漏らしたのは、留任を麻生に直訴した党選対副委員長・菅義偉である。一カ月前の突然の福田辞任表明から菅はそれだけを注視していた。
■中川秀直の策謀
 九月一日午後六時、首相官邸五階の執務室。幹事長・麻生を招き入れた首相・福田康夫は一枚の紙を渡し、「この日程で総裁選をやって下さい」とだけまず言った。
「八月・九月の日程(案)」と書かれたその紙には、「九月二六~二八日まで陛下行幸啓(大分国体)」など天皇日程を含めて内外の外せない政治日程が細かく記されていた。その意味が国連総会前の二四日には新内閣を発足せねばならないことは一目瞭然であった。
 言葉を失った麻生に対し、福田は穏やかに語りかけた。「私と小沢さんの対立関係のままでは展望が開けない。それを変えれば総選挙も変わるんです」
 十数分後、異変を感じたか、執務室に官房長官・町村信孝が飛び込んできた。淡々と総裁選の段取りを話し合う二人に表情を変え、「総理、この難局は人が替わっても容易には乗り越えられません」と慰留しようとしたが、福田は突然、顔を強張らせ声を荒らげた。
「言葉を慎みなさい。総理大臣の出処進退は、総理大臣だけが決めることのできる専権事項である。官房長官が口出しできるようなものではない」
 かつて小泉政権下で起きた年金未納政局の際、官房長官として未納の事実が明るみに出ながら、同じ問題を抱えた民主党代表・菅直人が進退を惑うのを逆手にとって、電撃辞任により形勢を変えた福田のことだ。内閣改造も政権立て直しの薬とならず、「イラク撤退はまだしも、これだけは日本外交の存在感低下を避けるため最低限必要なことだ」と見定めたテロ新法さえ、与党・公明党の離反で審議日程も立てられぬ苦境に陥った。
 ならばこそ、災い転じて福と成す、自分が辞めて総裁選を華々しく挙行すれば、無投票で小沢再選が決まる民主党の鼻を明かすことができる――。最後の最後、出処進退で政治家福田の本領を発揮しようとしたのだった。
 だが、空前の低支持率に喘いだ森喜朗から「自民党をぶっ壊す」のひとことで驚異の高支持率を呼び込んだ小泉純一郎へ、鮮やかな首相交代劇を演出した時のような実力者もいなければ、知恵も余裕もないのが今の自民党だ。一年前に「反麻生」の八派連合を現出させた面々とて今回はばらけ、迷走した。
 すぐさま動いたのは、元幹事長・中川秀直である。福田政権誕生以来、折に触れ麻生と接触はしてきたが、仮に麻生政権になっても、自分を重要閣僚など権力の中枢に座らせる気のないことはわかっていた。他方、福田内閣の改造直後に森に会い、「民主党から前原誠司、野田佳彦を引き連れて新党を結成する案がある。総選挙の結果次第で自民党とのブリッジにしたい」と打ち明けてもいた。
 小泉は無理でも、その後継者として小池百合子を派内で担ぐ。仮に麻生に負けても古い自民党に負けた悲劇のヒロインに仕立てあげ、麻生政権下で自民党が負ければ、政界再編の起爆剤にできる――。だが、新党案には「面白いかもしれないな」と応じた森も、そんな中川の策謀を察知し、派内で多数派工作を始めたことに警戒心を強めた。
 福田の辞任表明の翌二日夜、東京プリンスホテルの一室。森は、町村と中山成彬、元首相・安倍晋三、そして中川を部屋に呼び込んだ。森は途中、わざわざ小泉に電話してみせ、「純ちゃんも同じ考えだったぞ」と断った上で中川らにこう告げたのである。
「二代続けて清和会の政権がこうして倒れ、今回ばかりは謹慎、当面静観だ。派閥で誰をやるとかはしない。ただ、この五人の協議で政局対応は遺漏なきようにしたい」
 森がそう告げた真意はもちろん自主投票ではなく、中川を含む幹部協議の続行、つまり中川の暴走を止める「安全装置」の設置にあった。協議後すぐに町村は国会近くのホテルのバーにいた麻生の携帯に電話し、森の意向を正確に伝えた。「それで十分だ」。小池が反麻生の統一候補に化けることを一番恐れていた麻生にとっても、中川包囲網の方が大事だった。
 だが翌日、永田町に一気に流れたのは「町村派は自主投票。森氏も中川氏の小池氏擁立を容認した」という情報だった。「中川がリークしたに違いない」。森は激怒した。
 他方、経済財政担当相・与謝野馨の出馬に福田擁立の再現をみたのは、加藤紘一である。三日、東京・赤坂の鰻屋「重箱」。元幹事長・山崎拓、選対委員長・古賀誠の三者会談で反麻生の統一候補を絞ろうとした。
 だが山崎が口にしたのは、総裁候補として自派に迎え入れた石原伸晃の名前だった。派内では甘利明ら麻生支持を公言する幹部がおり、ここで与謝野に乗れば派閥は草刈り場と化す。同じ事情を抱え、しかも自派の谷垣禎一擁立にも踏み切れない古賀は、意中の名前さえ口にしなかった。
 翌四日午後九時、東京・汐留の日本テレビ本社。読売新聞グループ本社会長兼主筆の渡辺恒雄と日本テレビ代表取締役会議長の氏家斉一郎、前参院議員会長・青木幹雄、森喜朗の四人が議長応接室に顔をそろえた。まさに昨秋、八派連合の礎を固めた会談の再現かと思われたが、後見人たる氏家が石原の立候補に協力を求め、残る三人がうなずいた以外、統一候補への策謀は進まなかった。
 既に麻生、与謝野の二人に電話で出馬を勧め、つまり小泉構造改革に終止符を打つのが狙いの渡辺は、小池でなければよかった。安倍政権末期の人事で麻生が自分を参院副議長に祭り上げようとしたことを忘れられない青木は、与謝野を考えていた。そして反麻生連合が壊れていく様を、じっと見つめていたのが森だった。小池、石原だけが対立候補なら、二、三位連合により麻生が決戦投票で逆転されかねない。だが与謝野が出れば、麻生が組む相手が出来る。
 八日夕、町村派総会。「政策集団として対応を縛れば、国民目線にはかなわない」。小池擁立の言質を取ろうとした中川に対し、隣席で森は「長いぞ!」と制止し、さらに四〇分に及ぶ長演説の果て「麻生支持」をついに口にしたのだった。
■不発に終わった組閣
 総裁選に限って言えばそこでゲームセットだった。与謝野、石原、小池、そして元防衛相・石破茂が立ち、数だけは派手な戦いにはなったが、地方の党員・党友票はもちろん、国会議員票まで麻生に雪崩を打ち、メディアの関心は早々と薄れた。
 それもこれも、総選挙で自公が過半数を制することができるかに確信が持てず、中川・小池連合が集団で離党する恐怖を捨て去ることが出来なかった結果である。森もまた、中川を手中に抱え込む最初の戦略が破綻し、力でねじ伏せる下策を選んだ結果、かえって火種を消し尽くすことは出来なかった。福田が言い残した「わくわくする総裁選」を演出する余裕など、森にも麻生にもなかったのである。
 組閣人事もまた、その「恐怖」に翻弄された。
「総選挙で民主党に勝つことが私の天命だ」。二二日の総裁受諾演説でそう吠えた麻生がまず取りかかったのは、民間経営者出身らしく、彼の「社長室」たる官邸スタッフの入れ替えである。福田色の強い事務の官房副長官・二橋正弘に代え、情報収集能力の高さをかって「安倍首相にも出来なかった」前警察庁長官・漆間巌の起用に踏み切った。肌合いの合わぬ坂篤郎、河相周夫の財務、外務の両官房副長官補も代え、首相秘書官も外務、財務、経済産業、警察の従来からの四人に加えて事実上の首席秘書官として総務省から知恵袋の岡本全勝を迎え入れたのである。
「オレと小沢の戦いだ」。麻生はそう腹をくくり、最初の総裁選挑戦時から決めていた通り、首相自ら組閣名簿を読み上げ、個々の閣僚への指示を国民に訴えた。だが所信表明演説の練り込みも含め、リーダーたる自分の力のアピールに心を奪われる余り、閣僚・党役員人事の詰めが甘くなった。特に選挙戦で自分に次ぐ党の顔となる幹事長人事である。
 総裁選も終盤に差し掛かった九月一九日夜。麻生は森に電話し、「幹事長を受けてもらえますよね」ともちかけた。森は驚き、翌二〇日に電話して改めて「晩節を汚したくない」と断ったが、麻生の狙いはこうだった。
 中川の派内での力を完全に殺ぐためには、町村が派閥に戻り総裁候補としての地位を固めるのが一番だ。そのためにも幹事長は町村ではない町村派の幹部がいい。森が受けてくれるならそれでもよし、断るなら「人事は自分に任せてほしい」と森から言質を取ったうえで、町村派とはいえ、幹事長代理の細田博之を緊急避難的に昇格させただけだとすればいい……。
 だがそれは結果的に、「幹事長ないし官房長官は最大派閥から」といった町村派の意向に麻生が押し切られ、さらに「森頼み」にすがったとの印象を残すこととなった。しかも組閣直前から閣僚人事が次々と漏れ出し、いらぬ反発を各派閥から呼んだため、肝心の森からも中山成彬の入閣など人事のゴリ押しを受ける羽目となった。その中山の失言と辞任で政権の滑り出しが躓いたのだから痛恨の極みである。
「論功行賞」「お友達内閣」「派閥順送り」。安倍、福田二代の内閣が人事で非難を受けたこの三点だけは、同じ過ちを繰りかえしてはいけない――側近たちから何度もそんな忠告を受けた麻生だったが、世評ばかり気にしていていいのか、といった負けず嫌いの虫が騒いだのだろう。リーマン・ブラザーズの破綻から世界に広がった危機を凌ぐには、財政・金融を一体に戻すのかといった批判を覚悟で、盟友・中川昭一を財務・金融兼務の閣僚に起用する。さらに浪花節なのか、劣勢の総裁選挑戦のころから「太郎会」を主宰してくれた鳩山邦夫、小派閥の悲哀を一緒に嘗めた森英介も登用した。
「タカ派イメージのあるオレだからこそ、官房長官はこの男なんだ」。側近に明かした通り、日韓議連副幹事長で教科書問題にも造詣の深い河村建夫の登用や、アジアに太いパイプを持つ元首相・中曽根康弘の息子・弘文の外相起用は、アジア外交の立て直しに向けて外務省などプロ筋で評価は高いが、それも旧来型人事だとの全体の評判のなかで霞んでしまったのである。
■比較第一党の基準線
 他方、民主党も喧嘩上等の姿勢である。「ぜひ、麻生政権誕生で内閣支持率が上向き、早期解散を決意されるよう望む」。幹事長・鳩山由紀夫はそう皮肉な祝辞を口にし、全国の候補者の洗い直しに余念がない。
 だが、衆院四八〇議席のうち、二四一の過半数を単独で一発で取れるか、自民党と同様、完全な自信は持てない。両党とも独自の世論調査から弾く数字は奇妙なほど似ている。地方を中心に一五〇~一六〇の議席獲得は積み上げられる。だが、各都道府県の一区を中心に都市圏はじめ、最後の勝負となる四〇~五〇の議席が横一線なのだ。
 公明党が現有の三一議席を死守し、共産党が伸びるにしても社民党の票を食うとすればこれも一五議席強の読みとなる。ここに国民新党はじめ無所属まで含めた他勢力が一〇議席前後と読み込めば、自民、民主で四二〇~四三〇議席を奪い合う、つまり二一〇~二二〇議席辺りが比較第一党の基準線になりそうな情勢だ。
 確かに、小泉の〇五年郵政総選挙は都市部で自民党が圧勝し、地方の票の目減りを補った。他方、安倍が沈んだ〇七年参院選は地方を重視した小沢戦略が功を奏し、都市型政党と言われた民主党の弱点を補った。だが今回は都市と地方の両方で二大政党ががっぷり四つの戦いである。そこに全三〇〇小選挙区擁立の方針を改めた共産党がどの選挙区で擁立を見送りどれだけ民主党に票が流れるか、逆に御身大切に流れる公明党・創価学会が自民党への選挙協力の余力をどれだけ残せるか、数々の変数が加わって総選挙結果を見通せないでいる。
 簡単な選挙戦ではないことを民主党で一番わかっているのは他ならぬ小沢一郎である。
 九月一一日夜、札幌の日本料理店。既に本番並みに本格化させた地方遊説の寸暇を惜しむように、小沢は、新党大地代表の鈴木宗男と酒席をもった。
 一時間の間に、日本酒をお銚子で四、五本ぐいぐいと遣りながら、だが小沢の表情は晴れなかった。
「オレが無投票で再選されりゃあ、福田が辞めて麻生が出てくるくらい、政治の素人でもわかる話だ。それが鳩山以下、民主党の連中はあたふたするんだ。これじゃあ先が思いやられる」
 愚痴は終わらない。「追い込まれた自民党は恐い。あの佐藤栄作も、黒い霧解散で惨敗必至と言われたが、逆に大勝した。だいいち、この四半世紀、野党は衆院選で一度も勝っていない」。
 安倍政権を追い詰めた昨夏の参院選大勝直後でさえ、総選挙の勝利はおぼつかないと、自分の党内掌握力がピークのうちに自民党との大連立だと走りかけた小沢である。後期高齢者医療問題はじめ福田政権のミスが重なったことで勝機が生じたと、無投票再選の道を選びはしたものの、「福田を大事にしたい。不人気の福田のまま任期満了選挙に追い込みたい」といった鳩山や岡田克也ら民主党幹部の甘い政局観を醒めた目で見ていた。
 ならば、総選挙で単独過半数制覇が無理だった場合、身上の合従連衡を仕掛けるしかない。小沢は酔いも感じさせず、最後、鈴木の目を見据えてこう言ったのである。
「大事にせにゃならんのは、綿貫さんと、そしてあんただな」
 小沢の戦略はこうだ。とにかく一議席でも自民党を上回る比較第一党がとれれば、民主中心の連立政権樹立へ流れはできる。執行部の抵抗で頓挫した大連立交渉の反省もあり、まずは連立工作に向け、執行部から自分への一任をとりつけることだ。
 問題は微妙な各党の議席差だ。綿貫民輔率いる国民新党と社民党辺りで数がそろえばまだいい。それで足りないなら、ひとつは共産党に手を伸ばすかどうか。財界や保守層の反発を呼ぶ共産党との閣内協力は無理でも、ワーキングプア対策など幾つかの政策で合意して、首班指名投票で「小沢」と書かせる手はないわけではない。
 だが、それでもダメな場合、特にぎりぎり自民党に比較第一党を奪われた時にどうするか。「政権交代できなければ、議員を辞める」と啖呵を切った手前、選挙で勝てなかったからと座して死を待つわけにはいかない。やはり自民党に手を突っ込むしかない。
 その第一候補はやはり、中川を軍師役に小池百合子を担ぐ「改革派」の面々だ。第二候補は、「財政再建」路線で民主党に同調者が少なくない与謝野馨と、その参謀役たる政調会長代理・園田博之らである。
 しかしだからこそ、鳩山や副代表・川端達夫、国対委員長代理・安住淳ら、衆参ねじれの下で力を蓄えてきた「実権派」は小沢への警戒心を募らせる。
「小池や中川が勝手に飛び出してくるなら、閣僚ひとつくらい与えてもいい。だが首相に担いで離党を誘うなんて古いやり方はダメだ。そんな姑息なことをしたら、次の参院選、衆院選でしっぺ返しを食らう」。つまり鳩山らは、連立協議を一任するにせよ、「小沢首相」を前提の条件に付けようと既に腹合わせを重ねてきているのだ。
 その一連のシミュレーションは、合わせ鏡のように、麻生も頭にたたきこんでいる。結局五人にとどまっているとはいえ、改革クラブ頭目の参院議員・渡辺秀央とひそかに気脈を通じてきた。自民党時代、お神酒どっくりと称された仲の平沼赳夫との連絡も欠かさない。麻生は麻生で、一議席でも民主に競り勝ち、あるいは最悪でも自公で民主を抜けば、逆転の目はあると読む。平沼と鈴木宗男をテコに「保守勢力」の抱き込みに成功すれば数は積み上がると計算している。
 だが、それは諸刃の剣だ。郵政民営化反対論者の多いそうした勢力に手を伸ばせば、それはまさに小池・中川らに離党・再編の大義を与えてしまう。数々のリスクを背負いつつ、森や町村と提携して作り上げた包囲網も水泡と帰してしまうかもしれないのだ。
■「本会議場決戦」へ
 小沢は、鈴木との会談直後の週明けから動いた。自身の「国替え」を匂わせ、選挙前の国民新党との合併へ駒を進めようとしたのだ。
 だが、「反自民」で腹を合わせてきたはずの代表・綿貫民輔、幹事長・亀井久興らが煮え切らない。党名変更で「国民・民主連合」とまで最大限の譲歩をしたにもかかわらず、両党が一旦解党する段取りで折り合わず、交渉は決裂した。
 返す刀のように、鈴木が国民新党と新党大地の統一会派結成をぶち上げたのはその直後である。自民と民主のどちらが選挙で上を行くか、それを見極めるまでは踊り場に集まっていることだと思っているに違いない。
「国替え」も選挙後政局に影響する。小沢が東京一二区に降り立てば、代表・太田昭宏の議席死守に血眼となる公明党・創価学会も、剥いた牙を簡単には収められまい。あるいは東京一区だと決めれば、自民党分裂の大事なカードに育つかもしれない与謝野を消し、みすみす自民党に突っ込む手をひとつ捨ててしまう。
 そして二五日には、再編の裏の最大のキーマンになるはずだった小泉純一郎が突然、政界引退を表明した。政治活動のすべてから身を引くわけではないと説明したが、「自分の役割は終わった」と言い、さらに「うちの派閥から出ていった人はみんな失敗した」とまで言い放った。中川、小池、いやそれより小沢にとって、これは誤算だったのではないか。
 だが、その引退を「前からそんな話だと思っていた」と軽くいなした麻生とて、失言大臣・中山の首切りはじめ、早くも綻びだした内閣の弥縫に手いっぱいの状況だ。鬼門の後期高齢者医療制度を巡っても、厚生労働相・舛添要一の抜本改革の申し出に「いいんじゃないか」と軽く乗ってしまい、舛添がそれをテレビカメラの前で喋った結果、組閣前に公明党の猛抗議を受け、前言を撤回するどたばたぶりまで演じたばかりだ。解散への運びで手こずると、補正予算を巡る衆参の予算委員会審議に引きずり込まれ、元委員長・矢野絢也の国会喚問・招致問題が火を吹けば、公明党・創価学会との関係も揺らぎかねない。
 未曾有の総選挙である。政局の回転は早く、一日で、一言で、形勢と攻守は切り替わる。僅差の結果になれば順列組み合わせのような複雑な連立工作が始まる。その結果、麻生なのか小沢か、いやあるいは他の誰かがどんな形の政権で首相につくのか、それを首班指名投票の一発勝負に賭ける「本会議場決戦」となる大動乱もあながち絵空事ではないかもしれないのである。(文中敬称略)

赤坂太郎 文藝春秋11月号

2008年10月3日

赤坂太郎 文藝春秋10月号

麻生・福田「政権禅譲の密約」全真相
解散・総選挙を断行するのは一体誰か? 同床異夢の二人三脚が始まった
(http://www.bunshun.co.jp/mag/bungeishunju/akasakataro/0810.htm)

北京五輪の熱狂も去り、永田町はいよいよ政局秋の陣を迎えた。臨時国会前に噴出した農水相・太田誠一の事務所費問題が政権の足を引っ張り、衆院の解散圧力が強まる中で、首相・福田康夫と幹事長・麻生太郎の二人三脚でどこまで踏ん張れるか。自民党選対が行う選挙情勢調査は党内で数部しか報告書が作られず、厳秘扱いだが、「小選挙区で北海道は全滅の可能性あり」、「東京では石原伸晃しか上がらない」、「民主党の候補者が決まっていない選挙区で自民党の現職議員が劣勢」。次々と伝わる情報は、否が応でも党内の総選挙への恐怖心を煽る。
 そもそも誰を担いで戦うのか――。
 様々な思惑が入り乱れる中、いまだに謎に包まれているのが、先の内閣改造の際に、福田と麻生との間で取り交わされたという政権禅譲の「密約」である。
 これについて記者団に聞かれた福田は秘書官の制止を振り切ってこう言った。「公になったものを密約とは言わないんですよ」。実は、この言葉は麻生に向けられたものだという。
 いったい福田と麻生の間に何があったのか。今一度時計の針を戻してみよう。
 八月一日午前十一時、首相公邸。麻生が応接室に通されると、時をおかずに福田が執務室から現れた。福田は両手を握って「自民党結党以来の危機だ」と訴え、「麻生さんの協力次第なんです」と正式に幹事長就任を要請した。麻生が「昨日の電話でも言いましたが、総理が総選挙をご自身で断行されたいなら、その幹事長は私でなく……」と言い掛けると、福田はいやいやと顔の前で手を振り、「それはもういいでしょう。当面の政策課題に取り組むことが、私に課せられた使命ですから。総選挙なんて考えたこともないんですから」と制した。麻生は「党人として総裁の要請から逃げるわけにはいかない。ただし思ったことはやらせてもらいますよ。とくに景気対策は喫緊の課題だ」と幹事長受諾を了承した。
 話は他の執行部人事にも及んだ。福田は「選対委員長・古賀(誠)、総務会長・二階(俊博)は留任させたいのですが、政調会長に腹案はおありですか」と問うた。「人事全体の理念から言えば、例えば与謝野馨さんでしょうね」と麻生が答えると、福田は「実は与謝野さんには閣内で大事なポストを考えています。経済財政担当相です」と打ち明けた。福田が元幹事長・中川秀直と与謝野との間で繰り広げられてきた「上げ潮派vs財政規律派」の争いに決着をつけた瞬間だった。
「それで閣僚名簿ですが……」と福田がリストを見せようとしたのを、「いや、もう、それは総理の専権事項だから、組閣本部で……」と麻生はさえぎった。必要以上に深入りすれば「中川外し」に加担したと、後に非難されることになる。
 別れ際、麻生は冗談交じりに軽口を叩いた。「ところでいつまで総理大臣を続けられるおつもりです?」。福田は「それは、任期満了でしょうかね。無理ですかな……ムフフ」と笑い、麻生も「アハハ」と豪快に笑い返した。
■必死に口説く森
 麻生幹事長誕生に向け積極的に動いたのは、元首相・森喜朗だった。改造前日、森は早朝から麻生を探し求めた。麻生は「八年ぶりのカミさん孝行だ」と夫婦水入らずの小旅行に出掛けていた。秘書の報せを受けた麻生は、滞在先の山形県・かみのやま温泉から森に電話を入れた。
 森は必死に口説いた。「ぜひ幹事長を受けてほしい。(麻生が)福田に乗っかって、一緒に沈んでしまうのはごめんだ。次のことを俺は考えるんだ、と思っているとしたら、そのときはもう民主党政権だ。私は細川内閣当時、野党の幹事長だった。あんなみじめな思いは二度としたくないな。あなたがこの電話で幹事長を受けるとさえ言ってくれれば、明日にでも改造はできるんだよ」。麻生が「いくら携帯電話時代とはいえ、そんなお国にかかわる大事な話を、電話で、しかも森先生であれ、間に人が入った形でお答えするわけにはいきません」と筋論にこだわると、森は「総理大臣が会って幹事長を打診して、それで断られたとなると政権がもたない。それは次を狙う君にとっても決してプラスにはならないはずだ。条件があるならば、言ってくれ。私が責任をもって伝える」と粘った。「じゃあ言いましょう。しかしこれは条件ではありませんよ」と前置きした上で麻生はこう告げた。「福田総理がご自身で総選挙を断行されたいなら、その幹事長に私はふさわしくない。もっと総理の意を体した、思想信条が同じ方の方がいい」。
 森はすぐに福田に連絡をとり、麻生に電話を掛け直した。「福田総理にいま確認した。『自分はその気はないし、私の後が誰かと言えば、党内の大勢はすでに麻生さんではないでしょうか』と言っているぞ」。森は自信満々でそう伝えたが、麻生は「それは総理と実際に面会して、聞かせていただく大事な話ではありませんか」と切り返した。
 しかし森はあきらめない。この日の午後、東京・青山葬儀所では元参議院議長・井上裕の葬儀が営まれていた。葬儀が始まる前、貴賓室にいた森の前に衆議院議長・河野洋平が姿を見せた。
「どうなっていますか」と内閣改造について訊ねる河野に森は「麻生がなかなか首を縦に振ってくれませんでね」とつい愚痴をこぼす。河野は「太郎ちゃんは人を介して頼んでもだめでしょう。総裁がきちんと要請されるなら、受けるのが党員としての務めだと思いますがね」と助言した。河野は自民党が野党時代の総裁であり、麻生派の前身は河野グループである。河野は早速麻生に電話を掛けた。「ここは幹事長を受けることを真剣に考えるべきだ。自民党が野に下っては元も子もない」。麻生の感触は悪くないと感じた河野は、ある人を通じて福田に麻生に直接つながる携帯番号を託した。
 午後八時過ぎ、グランドプリンスホテル赤坂の中華料理店「李芳」で秘書官と食事していた福田は途中で抜けだし、ホテルの一室から麻生の電話を鳴らした。傍らには森らが陣取っていた。
 麻生は福田の発言について、森に証人になるように求めていた。福田・麻生二人だけの「密約」だと、後で反故にされる危険があるからだ。麻生には苦い教訓がある。前首相・安倍晋三との間には「次はあなただ」と暗黙の了解があった。ところが、事前に安倍辞任の意向を耳にしていながら見殺しにした、と町村派を中心に猛反発を受け、一夜にして包囲網を敷かれ、総裁の座を目前で逃した。
「自民党結党以来の危機だ。ぜひ力をお貸し頂きたい」。張りつめた福田の声が麻生の耳に響いた。「自民党の危機だということ、簡単に逃げるわけにはいかないということ、それは重々承知です。ただ、これは条件ではありませんが、総理が総選挙をご自身の手で行われるかどうか。それ次第で一番いい幹事長を選ぶべきです」と繰り返す麻生。それに対して、福田は、間髪入れずにこう告げたのだ。「当面する政策課題はたくさんあります。解散など私の頭にはないことです」。福田としてはギリギリの表現だった。麻生は、福田は自分の手では解散しないとのニュアンスを強くにじませたと捉えた。
「一晩考えさせてほしい。そのうえでご返事致します」。電話会談を受け、麻生は、安倍、中川昭一、菅義偉、久間章生、公明党幹事長・北側一雄らに自ら電話を入れ、ごく簡単に経緯を説明した。そして翌朝、首相公邸へと向ったのである。

では、福田は本当に解散・総選挙前に麻生に政権を譲るのか。そもそも福田の「公になったものを密約とは言わない」との発言の真意は何か。
 福田発言が少なくとも現時点で、「クーデター騒動」の傷の癒えない麻生を安心させるためのものであることは間違いない。森も「証人」として立ち会っているのだから「公」ではないか、と。
 ただし、将来的には、「密約」の解釈は相当に玉虫色である。そこからは福田の意外なしぶとさが垣間見える。
 福田周辺から伝わってくる理想のシナリオはこうだ。まず麻生取り込みによって政権浮揚を図り、少なくとも来年三月の予算成立までは政策課題に取り組み、我慢に我慢を重ねても政権を死守する。そして景気対策や消費者庁が世論の追い風を受けるような展開になれば、公明党の猛反発を押さえ込んで、東京都議選とのダブル選挙を自らの手で断行する。政治状況が変われば、言った、言わないの「密約」など、はかないものだ。
 一方、麻生は、自らへの待望論が与党内から燃えさかることに期待を寄せる。公明党が求める年末解散も視野に入れ、早期の「政権禅譲、即総選挙」の青写真を描く。その場合、新テロ対策特別措置法改正案、消費者庁設置法案成立を花道に福田が辞任することが最も望ましい。所詮同床異夢の二人三脚なのだ。
■小泉・中川の怒り
 改造人事は新たな火種も生んだ。上げ潮派のブレーンの慶大教授・竹中平蔵は改造内閣を「官僚大好き内閣」と酷評し、元小泉首相秘書官・飯島勲は「小泉改革さよなら内閣」と一蹴した。とりわけ中川秀直は町村派を離脱するとの情報が飛び交った。それほど中川の怒りと失望感は大きかった。中川は周辺には過去の女性スキャンダルにけじめをつけて「総理を目指す」との決意を伝えていた。そのためには重要閣僚として福田を支える。そうした意欲は日頃から福田にも十分に伝わっていたはずだ。その野望が一瞬にして潰えてしまったのだ。麻生が総選挙を意識してバラマキ型の景気対策を打ち出し、福田がそれに引きずられれば、すぐさま牙を剥く構えである。
 加えて、元首相・小泉純一郎の不快感も伝えられている。郵政造反組が要職を占めたことが、小泉改革路線の転換を意味することは明白だからだ。だが小泉は表向き福田批判は一切口にせず、鷹揚に構えている。最近は二週間に一度はボウリングで汗を流す。八月十三、十四日には、自らが最高顧問を務めるボウリング振興議連主催の大会に参加した。
 議連の中心メンバーには、会長の武部勤や中川秀直のほか、猪口邦子、近藤三津枝ら、小泉チルドレンが名を連ねる。党内では、総選挙後にこのメンバーが中核となって小泉新党が結成されるとの構想も囁かれる。自民党も民主党も衆院の過半数に達しない場合には、第三極として小泉を中心とした新党を立ち上げ、その中から首班を担ぎ上げて安定勢力を作ろうというのだ。ただし、その場合でも、「小泉自身は総理大臣として再登板する気はない」と武部は言う。キングメーカー役を小泉が果たし、「総理指名権」を握ればよい、と考えているのだ。
 一方の民主党代表選は、小沢一郎の無投票三選が確実となった。対抗馬として意欲を示していた広報委員長・野田佳彦が出馬を断念した八月二十二日夜、小沢は大阪・通天閣付近の串カツ屋で、祝杯を挙げていた。生ビールを片手に、どて焼きやキムチ、エビなどの串揚をたいらげ、終始上機嫌で、恐る恐る近づいた女性客との記念撮影にも快く応じた。大阪の串カツは「タレの二度漬け禁止」と聞くと、「政権交代のチャンスも次の一度だけ」と冗談にも力が込もる。
 対抗馬として本命視された副代表・岡田克也が出馬見送りを宣言すると、小沢サイドは、一気に「無投票三選」への流れを作るべく党内の締め付けに動いた。まずは「総選挙は当初の想定よりも早まる」とぶちあげ、小沢は第一次公認候補の発表を代表選後にすると言い出した。「代表選と絡めないため」と小沢は説明したが、実態は逆だ。「変な動きをするなら、公認漏れとなることだってありえる」との選対幹部の解説に党内に恐怖が広がった。さらに追い打ちをかけたのが、「対抗馬に手を貸すものは、人事で干しあげる」との小沢周辺からの脅しだ。野田から推薦人を依頼された岡田がこれを拒否したり、あてにしていた推薦人が櫛の歯が抜けるように脱落したのも、脅しの効果だ。有力幹部の松本剛明が出馬反対を鮮明にしたのも誤算だった。「小沢を敵に回して、タダで済むわけがない。政権交代が実現しそうなときに、仲間が冷遇されるのを覚悟してまで挑む代表選ではない」と急ブレーキを掛けたのだ。
 八月二十八日には民主党の参院議員・渡辺秀央らが新党結成に動いた。民主党参院議員・姫井由美子のドタキャンもあったが、そもそもこれは無所属の荒井広幸を窓口に、安倍時代から進めてきた切り崩し工作を麻生が引き継いだものだ。「政権」を賭けた「仁義なき死闘」がいよいよ本格化してきた。(文中敬称略)

2008年9月9日

赤坂太郎 文藝春秋9月号

福田を襲う内閣改造・公明ショック
総理の求心力低下は止まらず、自公連立にも暗雲。民主に風は吹くか--
(http://www.bunshun.co.jp/mag/bungeishunju/akasakataro/0809.htm)

 「世界の福田」と呼ばれることを好んだ父・赳夫がまさかの自民党総裁選敗北でチャンスを逃したサミット議長の大役をこなし、意気揚々と帰京した首相・福田康夫を待ち受けていたのは、もう一つの外交上の懸案、竹島を中学校社会科の新学習指導要領解説書にどう記述するかという問題だった。
 愛国心教育の強化を掲げた改正教育基本法の成立を受け、竹島を「日本固有の領土」であるときちんと学校で教えるべきだとする文部科学省に対し、外務省は政府の公式文書である解説書にそんな記述を盛り込めば、韓国の反日世論が沸騰し、親日的な李明博大統領誕生で好転しつつある日韓関係が盧武鉉前政権下の冬の時代に逆戻りしかねないと待ったをかけていたのである。
 サミット閉幕翌日、福田がようやく執務室で一息ついた七月十日午後、官房長官・町村信孝が竹島問題の報告に現れた。
「ご心配をかけましたが、何とかまとまりそうです」。町村は得意げだった。日本の領土・領域に竹島が含まれる旨を記述する一方、韓国側が強く反発する「日本固有の領土」との表現は使わず、日韓の主張に相違があることも明記する線で町村は最終調整を進めていた。「なるべく韓国を刺激しないように記述する」という福田の意向にもかなっているはずだった。外相も文科相も経験し両省ににらみが利く自分が調整役でなければ、とてもまとめきれなかった。そんな自負が表情ににじみ出ていた。
「見送りという選択肢はないか、もう一度検討してもらえますか」。福田の反応は、感謝と慰労の言葉を予期していた町村にとって心外なものだった。
 福田は迷っていた。「迷っていた」と言うより、「心変わりしていた」と言う方が正確かもしれない。サミット最終日の会議の合間を縫ってセットした日韓首脳会談で、解説書に記述する方針を伝えた福田だが、米国産牛肉の輸入問題で窮地に立つ大統領から「今は時期が悪い」と言葉を尽くして懇願され、決心が揺らいでいたのだ。「日韓関係の将来を考えれば、ここで大統領に助け船を出すべきではないか。半年か一年、時期をずらすことはできないかと総理は考えたようだ」と福田に近い議員は語る。
 この間の折衝で文科相・渡海紀三朗、事務次官・銭谷真美以下の文部官僚の固い姿勢を知る町村は即座に反論した。「見送りは無理です。渡海君から辞表が出ますよ。党内も国会も大騒ぎになる」「本来は指導要領自体に盛り込む予定だったところを、新政権発足直後という事情に配慮し解説書にとどめるよう調整した経緯もありますからねえ」。福田より議員歴が長く「格上」意識の強い町村に、この問題は専門家の俺に任せておけという気持ちがなかったと言えば嘘になるだろう。たたみかけるような町村の勢いに気圧されたのか、福田はそれ以上言葉を継ごうとしなかった。

■忠誠心のない閣僚

 明確な方針を打ち出すことができないトップリーダーと、首相とも対等に渡り合おうとする忠誠心のない閣僚。存在感を発揮できない福田政権の病巣がどこにあるかを竹島問題は物語っていた。
 前首相・安倍晋三の突然の退陣を受け急遽登板した福田は、安倍が起用した十七人の閣僚のうち十五人を引き継いだ。多くの閣僚にとって恩義があるのは安倍であり、福田ではない。そして何より、内閣一丸となって目指すべき政策目標がないことが内閣の影の薄さにつながっていた。
 吉と出るにせよ凶と出るにせよ、もはや内閣改造で再起動する以外に、福田政権がジリ貧状態を脱する手だてがないことは誰の目にも明らかだった。
 とりあえず引き下がったものの、心穏やかでない福田は、文教族のボスであり日韓議員連盟会長も務める元首相・森喜朗に電話で相談した。町村派の実質的なオーナーである森なら、町村を抑え込むことも可能とそろばんを弾いたのは想像に難くない。だがプライドの高い福田は「あなたから言ってもらえませんか」とストレートに頼むことはせず、「困りました」と愚痴をこぼすのが精いっぱいだった。
 その森に翌十一日夜、町村から竹島問題決着の連絡が入った。あっけらかんと「まとまりました」と報告した町村に森は「本当にそれでいいのか」と怒気を含んだ声で問い返した。「俺が知る限り、総理の意向は違う。君の苦労は分かるが、総理が『こうしてほしい』ということを実現するのが官房長官だ。総理はきっと『何でみんな思い通りに動いてくれないのか』と思っている。渡海がどうしても辞めると言うなら辞めさせたらいいじゃないか」。前日の説明で福田が納得したものと思い込んでいた町村は、この電話で初めて福田の真意に気付いた様子だった。
 煮え切らない福田にも問題があるとはいえ、女房役の町村にしてこのすれ違いである。ほかの閣僚は推して知るべしだった。町村は「首相の意向」を盾に再調整を試みたが、渡海は「解説書の改訂は十年に一度。見送りは絶対に認められない」と頑として譲らず、表現の微修正に応じただけだった。
 限られた関係者だけが真相を知るこの一件と違い、臨時国会召集時期をめぐる公明党の抵抗は、福田の威光がいかに低下しているかを満天下にさらす結果となった。
 福田が「八月召集」を口にしたのは通常国会が事実上閉幕した六月二十日のこと。自民党代議士会で「(夏休みは)あまり長くないかもしれないが、心身を養ってほしい」と挨拶し、その意味を問う記者団に「普通は九月になってから開会ということでしょうが、若干早まるかな。こりゃどなたもそう思っていると思います」と明言した。
 無論、福田の思い付きではない。幹事長・伊吹文明と国対委員長・大島理森から、「今年の税制改正と予算編成は道路特定財源の一般財源化問題でもめる。臨時国会は十一月末に閉じ、十二月初めから党内調整に入った方がいい。十一月末までにインド洋での給油活動延長法案を成立させるには、八月下旬に召集しないと間に合わない」と聞かされていたのである。
 アフガニスタンでの「テロとの戦い」の一端を担う海上自衛隊の給油活動は来年一月十五日に再び法律の期限が切れる。延長法案成立が期限切れに間に合わず、活動に穴が空いた昨年の轍を踏んではならないというのが、福田の意向をくんだ伊吹の指示だった。国対の職人・大島が組んだカレンダーはこうだ。冒頭の政府演説と各党代表質問に一週間、予算委審議に一週間、延長法案の衆院審議に二週間、これに自然休会となる九月の民主党代表選の二週間を加えて、衆院通過までに六週間。その後、「みなし否決」規定を使って衆院で再可決、成立させるまでにさらに六十日。締めて臨時国会の会期は百日必要――。

 この八月召集案に公明党が反旗を翻したのは、福田が夏休みに入った翌日の七月十七日にグランドプリンスホテル赤坂で開かれた自民、公明両党の幹事長、国対委員長会談の席上である。八月召集を前提に「準備もあるので、そろそろ当面の政治日程について党首会談でお決めいただかないといけない」と提案した伊吹に対して、公明党幹事長・北側一雄が「うちは『八月召集でいい』と言った覚えはない。基本的に例年通り、九月召集でいいと思っている。党首会談をそんなに急いでやっていただく必要はない」と異論を挟んだ。
 伊吹はうろたえた。八月召集は福田が口にして以来、永田町でも霞が関でも既定方針とみられている。今になって覆れば、福田の沽券にかかわる。福田に言わせた自分の責任も問われる。それを百も承知で何を言い出すのか。これまで与党の結束を重視してきた「連立の優等生・公明党」の変身に、伊吹は動揺を隠せなかった。
 伊吹と北側。頭の回転の速さと気の強さで知られる論客二人は磁石の同じ極同士が反発し合うように、これまでも何かとさや当てを演じ、緊張感漂う関係は与党関係者の公然の秘密になっている。この日の応酬はその域を超え、同席した大島や公明党国対委員長・漆原良夫が口を挟めないほど激しいものになった。
「イラクと違い、アフガンでのテロとの戦いにはすべての主要国が参加している。洞爺湖サミットでも活動強化の特別声明が出た。議長国である日本が『法律の期限が切れたので引き揚げます』というわけにいかないことは、あなたもお分かりでしょう」
 給油活動延長の重要性を説く伊吹に、北側は一歩も引かなかった。
「自衛隊の海外派遣にはできるだけ多くの国民、政党の理解を得る必要があるというのが我が党の立場だ。最初から三分の二で押し切るしかないと決めてかかるのではなく、幅広く理解を得る方法がないか、真剣に検討してしかるべきだ」
 三分の二以上の賛成が必要な衆院再可決による成立には公明党の協力が不可欠。はっきりと口にはしなかったが、「再可決に協力しない事態もあり得る」というメッセージが言外に含まれていた。
 議論は平行線に終わり、伊吹の要請で会談内容を口外しないことを確認して散会したが、「下駄の雪の反乱」は瞬く間に自民党議員の知るところとなった。

■古賀は「伊吹より公明」

 北側は創価高、創価大の卒業一期生で、同大初の司法試験合格者という勲章を持つ名誉会長・池田大作の覚えめでたい公明党のプリンス。その発言は党と学会の意向を体したものだった。党対党の対立に発展することがないよう、北側は前もって自民党四役の選対委員長・古賀誠、総務会長・二階俊博ら公明党と関係の深い実力者への根回しを済ませていた。
 真っ先に呼応したのは参院議員会長・尾辻秀久だった。二十二日の記者会見で「参院としては、そんなに急いで召集ということもないんじゃないかと言っている。今の計算は相当、衆院で余裕を見ている。もう少し後ろにずらしてもいい」と九月下旬召集が妥当との認識を示した。翌二十三日には満を持して古賀が都内の講演で八月召集に異論を唱えた。「確かにインド洋の給油は極めて大切な国益にかかわることだが、どう考えても今、与党内に温度差があり、国論も二分されている。ただ単に臨時国会で成立させるために逆算して開会を決めるというのは慎重であるべきだ」。
 どちらの党の幹部か分からないような発言の背景には、国対経験豊富な古賀が「私も国会を知らないではないが、幹事長から相談を受けたことは一度もない」と周囲に漏らすように、官邸にだけ目を向け、役員会メンバーに根回しせずに事を進めてきた伊吹への不快感があるのは間違いない。
 だが、それ以上に苦戦確実の次期衆院選への危機感が、頼みの綱である公明へ学会へと草木もなびく現象をもたらしていた。伊吹より公明、給油より選挙だった。
 公明党が優等生を返上したのも、同じく選挙への危機感からだ。二度にわたって行われた古賀との会談をはじめ、一連の会談での北側の説明にそれは表れている。
 名誉会長の大号令で、来年七月の東京都議選は公明党・創価学会の総力を挙げた選挙になる。全国から学会員が上京し、つてを頼って選挙運動を繰り広げる。次期衆院選と都議選の時期が接近すればするほど、衆院選での集票能力は落ちる。考えられる解散時期のうち、影響がないのは来年一月まで。だが、解散直前に給油延長法案を衆院再可決で強引に成立させるようなことをすればその限りではない――。
 公明党がギアチェンジしたのは洞爺湖サミット後。内閣支持率がほとんど回復しなかったのを目の当たりにしてからだ。このまま伊吹が下絵を描いた政治日程に乗れば、自民党と心中する羽目になりかねない。公明党にすれば、八月召集反対は底なし沼から脱する逆噴射だった。
 公明党が浮き足立った理由がもう一つある。元党委員長・矢野絢也の参考人招致問題だ。矢野は「評論活動をやめるよう強要された」として創価学会を相手に損害賠償請求訴訟を起こし、「国会に参考人として呼ばれれば喜んで出席する」と公言していた。激突型の国会になれば、野党が多数を握る参院で矢野招致が実現しかねない。名誉会長が招致される“悪夢”もあり得ない話ではない。その懸念も国会対応を及び腰にさせていたのである。民主党代表・小沢一郎が地元・岩手を離れ、公明党代表・太田昭宏の東京十二区から出馬する可能性を依然におわせていることも不気味だった。
 そこに降って湧いたのが、民主党副代表・岡田克也の代表選出馬情報である。それまでも小沢三選が確実視される中で、党内では福田と小沢の「どちらが首相にふさわしいか」という世論調査結果が波紋を広げていた。政党支持率で自民党より優位に立っても、この質問ではほとんどの調査で小沢が後塵を拝している。小沢の不人気が民主党の足を引っ張っている構図だった。清新な代表に替われば、支持率が跳ね上がるのではないか、そうした待望論があった。かねてより、「長男(岡田)が出てくれるのが一番いい」と自らを民主党の次男坊になぞらえ、岡田を「意中の人」と考えていた元国対委員長・野田佳彦をはじめ、前代表・前原誠司らニューリーダークラスは、「熟考中」の岡田に対し、水面下で出馬を促してきた。その後、岡田は自らの出馬については消極的な姿勢を示したが、若手の間には、野田や元政調会長・枝野幸男を担ぐ動きもある。九月二十一日の投票日に向けて白熱した論戦が展開されれば、福田政権はますます霞んでしまうだろう。
 KO寸前の福田にとって内閣改造は、苦し紛れのファイティングポーズに過ぎないのだ。自らの手で解散・総選挙ができる保証はどこにもない。実際、公明党はポスト福田の最有力候補である前幹事長・麻生太郎との連携を強めている。猛暑の中、福田の暗中模索の日々が続く。(文中敬称略)

2008年7月14日

赤坂太郎 文藝春秋8月号

中川と前原が企む「危険なゲーム」水面下で依然続く政界再編への蠢き。野心も露な二人の行きつく先は――(http://www.bunshun.co.jp/mag/bungeishunju/akasakataro/0808.htm)
 洞爺湖サミット閉幕から一夜明けた七月十日。あえてこの日を選び、「ポスト福田」政局の風を吹かせる仕掛けを虎視眈々と進めてきた女がいた。父・赳夫が果たせなかった夢の「サミット議長」にこぎつけた首相・福田康夫に水を差すように、である。
「『東京WOMEN大作戦』出版を祝う会」。ホテルニューオータニ「芙蓉の間」の壇上に上がる主役は史上初の女性宰相へ意欲をみなぎらせる元防衛相・小池百合子だ。元少子化担当相・猪口邦子(比例東京ブロック)とエコノミスト出身の佐藤ゆかり(東京5区)の「小泉チルドレン」二人を従え、東京都の女性衆院議員トリオで共著を上梓。サミット翌日にぶつけてきた。
「日本と東京の再生可能なエネルギー源は女性たちだ」
 本の帯に麗々しく躍る推薦の辞。それは元首相・小泉純一郎のお墨付きだった。
 小泉「パーティー当日は俺が駆け付けるから。それでいいだろう」
 小池「いいえ、総理のダメ出しで本のタイトルも変えたんですから。お願いします」
 本の題名の原案は小池が考えた「東京女子大作戦」だった。無類のオヤジキラーの半面、女性票がアキレス腱と自覚する小池。大都市の女性に優しい政策を打ち出し、政治家として幅を広げて見せたい思惑を秘める。原案を猪口から伝え聞いた小泉は「何だかトンジョ(東京女子大)の作戦みたいだな。変えなきゃダメだ」と再考を命じた。小池はすかさず「東京WOMEN大作戦」に改題したうえ、小泉に「では前書きをお願いします」と談判に及んだのだ。
 小池の「度胸と愛嬌」には、かねてより勝負師・小泉も大いに利用価値を見出している。前書きこそ逃げたが、帯に推薦文を寄せ、十日のパーティーでメーンゲストとして登壇する破格の対応も承諾した。
■前原vs.小沢
「ここには二人の首相候補がいるな」。小泉が前日本経団連会長・奥田碩ら経済人、自民、民主両党の中堅・若手議員との会合で軽口を叩いたのは四月九日夜のことだった。指差した一人がほかならぬ小池。もう一人が民主党副代表・前原誠司だ。「衆院選後は民主党が政権を担当しても、必ず自民党に協力を求める。与党が過半数を制しても、必ず民主党に協力を仰ぐ」と政界再編の機運を煽る小泉に魅入られたかのように小池も前原もこの後、激しく動き始めた。
「民主党はマニフェスト(政権公約)や政策を常に進化させる議論を、開かれた形で行なう政党でなければいけない」
 六月二十六日夜、長野県木曽町のホテル。前原は自らの党内グループ「凌雲会」の議員約二十人を集めた研修会で、九月の代表選挙を代表・小沢一郎の無投票続投で終わらせず、対立候補が出て活発な政策論争をすべきだという立場を重ねて公言した。
 前原は六月に入り月刊誌に相次ぎ登場、「このまま民主党が政権を取っても大変だ。君子豹変しない限り、まともな政権運営はできない」と小沢の参院選マニフェストに真っ向から反旗を翻した。農家の個別所得補償、基礎年金の税方式化など総額十八兆円ものバラマキ政策の財源を増税なしで確保するという小沢流を「行革だけで捻出するのは絶対無理」と一刀両断した。
 警戒した小沢は党内引き締めを図った。温存してきた参院での首相問責決議案を国会の会期末近い六月十一日に可決に踏み切った。福田との対決姿勢を鮮明にし、政界再編に名を借りた与野党馴れ合いを断ち切る狙いだった。ついでに当日に予定していた福田との党首討論もキャンセルした。
「なぜ党首討論に出て行って、民主党としての主張をしないのか。理解に苦しむ」
 十日の党常任幹事会。前原は地方遊説で不在の小沢を公然と批判した。「代表選に対立候補が誰も出ないなら、自分が出ざるを得ないかも知れない」との主戦論すら漏らし始めた。無投票を当然視する小沢サイドが黙っているわけがなかった。
「前原副代表の妄言を糾弾し、その『退場』を勧告する」
 十二日午前、前原のバラマキ農政批判に「同僚議員や国民への重大な背信行為だ」と反論する電子メールが民主党議員全員に届いた。筒井信隆、篠原孝、山田正彦の連名。農家への所得補償政策を担う党ネクスト農水相の現職、前職、元職だ。山田や農水官僚出身の篠原は小沢系で、筒井も小沢と連携を深める旧社会党グループの一員だ。
「偽メール事件で危機管理能力のなさをさらけ出し、党に多大の損失を与え代表を辞任したことを思えば、謹慎蟄居(ちっきょ)こそ必要で、このような言動を公表する資格もない。出処進退を明らかにされんことを勧告する」
 ○六年に前原が代表を退く原因となった「永田メール事件」も蒸し返し、議員辞職まで要求しかねない激烈な文面。これには逆に「言い過ぎだ」の声も上がり、前原は「泥仕合は避けたい」と沈黙を決め込んだ。批判メールが出回り、党内に波紋が広がった朝、前原は霞が関の中央合同庁舎四号館に向かっていた。落ち合ったのは元自民党幹事長・中川秀直ら超党派の議員グループ。連れ立って経済財政担当相・大田弘子を訪ねると、一通の政策要望書を手渡した。
「『新たな海洋立国』の戦略構築に向けた要望をとりまとめた。骨太の方針二○○八に取り入れるよう強く求めたい」
 超党派の「海洋基本法フォローアップ研究会」で中川は代表世話人、前原は共同座長を務める。旗振り役は日本財団会長・笹川陽平。研究会設立は福田と小沢の大連立構想が頓挫した直後の昨年十一月だが、安全保障から資源開発、漁業権益まで包括的な海洋立国戦略を掲げ、基本法制定を挟んで三年越しで連携を深めてきた。政界再編をにらむ地下水脈の一つだ。昨年十二月二十日、前原はこの件を名目に中川の手引きで首相官邸で福田に面会していた。
「中川・前原ライン」は翌十三日、さらに加速した。やはり笹川が提唱した「タバコ一箱千円」構想に共鳴する超党派の「たばこと健康を考える議員連盟」が旗揚げ。中川と前原は共同代表に就いてまたも肩を並べ、カメラの放列に収まって見せた。タバコ値上げは小泉の隠れた持論でもある。首相として最後の○六年度予算編成で「一本十円上げたっていい。欧米では一箱五、六百円はざらだ」と号令。政調会長だった中川が児童手当拡充の財源として「一本一円」値上げを敢行した。
 民主党で小沢を挑発、あえて波風を立てるのが前原なら、自民党で極端に突出した言動を繰り返すのが中川だ。十三日午後、衆院本会議が散会すると、元首相・森喜朗は中川を連れて国会内の一室に約一時間、差し向かいでこもった。まるで周囲に見せ付けるための「密談」としか見えなかった。わざとらしい演出が福田を送り出している党内最大派閥・町村派の異変を告げていた。
 党内の視線が俄然町村派に集中したのはこれに先立つ五日、総会で久々にマイクを握って立ち上がった森の挨拶からだった。
「福田さんはこんな辛い状況で一生懸命やっている。幸いわが党の総裁候補と噂される方々は誰も福田さんの足を引っ張る動きをしていない。そんな動きは我がグループが一番やってはいけないことだ」
 名指しこそ避けたが、矛先は傍らで目を閉じてうなずく中川に向いていた。前日の四日、元法相・杉浦正健ら派内シンパが中川の近著『官僚国家の崩壊』をもとにした勉強会を立ち上げ、三十名超が出席した。配った資料には露骨に「(仮称)中川勉強会」の文字が印刷してあった。官房長官・町村信孝との派内覇権争いで優位に立とうとする「派中派」工作。中川に長年、目をかけてきた森も苦言を呈さないわけにいかなかった。中川は「中川勉強会などと言われているが、あくまで派閥の政策勉強会だ」と釈明に努めたが、十二日には元財務官僚でブレーンの東洋大教授・高橋洋一を講師に招き第二回を開いた。何かに憑かれたような勢いの中川を森はわざわざ衆人環視の「密談」でいさめた。「森が『やるなら派閥を出てからやれ』と中川を突き放した」との噂まで駆け巡ったが、中川は翌週以降も勉強会を続行。もはや確信犯と言えた。
 森との軋轢(あつれき)も所詮、痴話喧嘩のたぐいとタカをくくる。経済成長を重視し、消費税率引き上げは先送りする「上げ潮派」。小泉改革の継承を標榜する裏で、派中派工作という古典的手法で着々と権力基盤を固める使い分けに手段を選ばぬ現実主義者の顔がのぞく。近著では森政権で官房長官の座を棒に振った愛人スキャンダルにも触れ、「不徳の致すところ」と反省して見せた。
 この程度では暴力団のカゲもちらついた醜聞の「みそぎ」と認める評価は党内にほとんどない。しかし、そこは官房長官も幹事長も務め、六十四歳と脂がのった政治家の性(さが)。宰相の座を狙う野心は捨てきれない。「町村派や自民党の枠を超えて改革の旗に結集を呼びかけたい」「トップになるかどうかなど超越した。大乱世に身を捨てて戦う」。過去を乗り越えて復権を目指す唯一の道は、小泉の後押しを決め手に政界再編の新しい大波に乗るシナリオしかない。発言の端々にそんな思惑がにじむ。
■政界再編という火遊び
 中川の行動パターンは決まっている。改革を装う政策の看板を掲げ、「ポスト福田」や政界再編に備えた拠点を永田町のあちこちに構築する。その際、常に小泉の威光を背にする位置取りに腐心し、後ろ盾としてちらつかせる。小泉指名の「二人の首相候補」のうち前原を引っ張り出したのがたばこ議連。四月に設立した地球温暖化対策の京都議定書の目標達成議員連盟(もくたつ議連)では小池を幹事長に据え、会長として後見役を決め込む。無論、小泉に名誉顧問就任を頼み込むのも忘れていない。
 前原は中川ら「上げ潮派」が牛耳る自民党国家戦略本部の「議員定数は衆院二百、参院五十」「省庁別設置法の見直し」などの大胆な統治機構改革案を「賛同できる」と持ち上げて見せる。半面、消費税増税やむなしと唱える前官房長官・与謝野馨や政調会長代理・園田博之ら「財政再建派」とも気脈を通じている。前原を含む民主党反小沢系にはかつて新党さきがけで薫陶を受けた園田のシンパが目立つ。前原が物議を醸した月刊誌の対談相手は与謝野だった。
「民主党だけが大きく割れても政界再編にはなりえない。自民党からも大きく割れて飛び出し、新党を創るのでなければダメだ」
 前原は中川にも園田にも繰り返しこう誘いをかけている。「政局屋」小沢には愛想が尽きたが、ただ民主党を飛び出ても自民党を利して裏切り者の汚名を着るだけだ。民主党に手を突っ込む「上げ潮派」「財政再建派」を逆に揺さぶり、自民党の亀裂も深めて政界再編の糸口をつかめないか、手探りを続ける。「中川・前原ライン」も、「話ができている」というより、相手を引っ張り合う政界再編ゲームの色が濃い。ある前原側近は「火遊びに深入りしすぎだ。危なくてついていけない」と懸念する。
 足元で続く政界再編にらみの暗闘を尻目に、福田は我慢を重ねたねじれ国会が閉幕すると、相変わらず低空飛行の政権運営で開き直ったように「自己主張」を始めた。
「二、三年とか長い単位でもって考えた、そういうものを申し上げた。相手によってそういうふうに申し上げたのであってね」
 二十三日の記者会見。主要国通信社首脳に消費税増税を巡って「決断しなければいけない大事な時期だ」と漏らした真意を追及され、しれっと増税先送りをにじませた。「二、三年」先とは衆院選後を意味する。言い換えれば、自らの手で選挙をやり遂げる意欲を捨てていない、とも受け取れた。
 と言って与謝野ら「財政再建派」を突き放し、中川ら「上げ潮派」に軸足を移したわけでもなかった。翌二十四日、町村と行政改革担当相・渡辺喜美を呼び、新設する国家公務員制度改革推進本部の事務局長人事で「公募はしない。人事はすべて私の責任でやる」と裁断した。「言うことを聞かないんだよな……」。渡辺と組んで福田に公募を迫り、息のかかった高橋洋一を送り込もうと目論んでいた中川は歯噛みした。
「行く手に乱気流が見える。実際に突っ込んでみないとどんな乱気流か予測できない」
 福田は二十六日夜、幹事長・伊吹文明、国会対策委員長・大島理森らに「乱気流」を繰り返した。支持率下げ止まりの気配に一息ついたが、サミットをテコに上昇気流に乗る展望もまた、容易には開けない。内閣改造にも「白紙と何度も申し上げておりますけれども、現在は白紙」を決め込む。
「首相が納得して辞める場合。それは限られた四つのケースしかない」
 六月五日夜。恵比寿の元駐日ハンガリー大使公邸を改装した洋館「Q.E.D.CLUB」。小泉は「女性チルドレン」十二人を前に首相の出処進退の講釈に及んだ。
 小泉は「病気」「事故」と指を折り、次に「任期満了での退任」を挙げ、最後に、「衆院選に打って出る。負ければ仕方がない、となる」と口にした。健康体でしぶとい福田は前首相・安倍晋三のように政権を投げ出したりはしない、が結論だった。とは言え、神風でも吹かない限りは「小沢が解散しろと要求している時期にわざわざする必要はない」と決戦場となる衆院選は来年に持ち越すのが基本と踏んでいる。
「北京の次のロンドンでは五輪種目だ」
 二十六日夕、小泉は芝公園のザ・プリンス・パークタワー東京のボウリングサロンで気勢を上げた。早大ボウリング部出身の元幹事長・武部勤の発案で「チルドレン」と始めたら「大勢で気軽に遊べて健康にもいい」とすっかりはまった。マイボールも買い込み、週一度は通ってスコア向上に励む姿は政界再編の仕掛け人からは程遠い。
 小泉お気に入りの『忠臣蔵』。大石内蔵助は討入りに逸る仲間も欺いて京都の祇園で遊興にふけり、吉良家を油断させておいて大願を成就した。さて、夏を遊ぶ「小泉内蔵助」。まずは九月の民主党代表選を見据えている。(文中敬称略)

2008年6月19日

赤坂太郎 文藝春秋7月号

「福田を大事にせよ」民主党の策謀
“政変前夜”のはずが、政権には奇妙な安定感が漂う。なぜか?
(http://www.bunshun.co.jp/mag/bungeishunju/akasakataro/index_2.htm)

「これは静かな革命なんです」
 大連立か総辞職か解散かと吹き荒れた永田町の風は五月に入ると突然止み、奇妙な凪の季節に入った。重苦しい熱気が垂れ込めた五月十七日の土曜日の昼下がり、首相公邸。ひとり招かれた公明党代表・太田昭宏は首相・福田康夫の言葉に面食らった。それまで知っていた福田とは別人がそこにいたからだ。
 自民党総務会の決定を経ずして、いきなり閣議決定した来年度からの道路特定財源の一般財源化。低所得者に配慮した後期高齢者医療制度の見直し。消費者庁の新設、次の内閣改造と目玉となるその特命相の任命……政権の課題をずらりと挙げ、「誰にも出来なかったことです」と福田は胸を張った。
 言葉少なで慎重居士で、功を誇るでも無駄な自慢をするでもなく、良く言えば自省的、悪く言えば評論家的。そんないつもの福田の物言いは消えていた。昼食の皿が下げられても一方的な福田の饒舌は途切れず、会談は午後四時まで三時間に及んだ。
 その二日前の十五日、福田が急に大島理森、漆原良夫の自民、公明両党の国対委員長を呼んで出した指示が永田町に波紋を広げていた。今通常国会はもちろん、秋の臨時国会、さらに来春の二〇〇九年度予算成立まで法案処理の整理を命じたのだ。「来春どころか、九月の任期満了総選挙まで福田はやる気なのか」。そんな憶測が流れるなか、福田の政権への執念がどこまでのものなのかを探るのが太田の狙いのひとつだった。思い起こせば、二〇〇一年の「森降ろし」の最初の狼煙をあげたのは当時の公明党代表・神崎武法であった。この公邸会談自体、福田がその二の舞を避けるために設けたのは容易に想像がつく。
 だから、気圧されるように国会運営と政策調整で全面協力を約したものの、太田は異常な福田の高揚ぶりに一種の限界をみてとった。福田はこう言ったのだった。
「後世の歴史家、後世の人々がわかってくれればいいんです」
 二〇%を割り込む内閣支持率の低迷に、自民党の地方組織でも創価学会の婦人部、青年部でも「福田首相のままでは総選挙で勝てない」との悲鳴は消えない。福田もそれは百も承知なのだろう。開き直りのように首相主導で矢継ぎ早に政権目標をぶちあげても、結局は、父親の元首相・福田赳夫も出来なかった解散・総選挙という乾坤一擲の戦いを自分の手で断行する自信がないのではないか。
「結局、解散の具体的な話はなかった。福田首相の解散に協力できるかどうか、それはまだわからない」。三時間会談の中身を訊ねる公明党や自民党の幹部連に太田はそう説明したのである。
■空虚なる高揚
 昨夏の参院選惨敗と安倍退陣を受けて登場した福田にとって、今春までの最大の応援団は大連立構想、つまり代表・小沢一郎率いる民主党との政権協力のはずだった。だが日銀総裁人事問題でそれが潰え、四月二十七日の衆院山口二区補選で政権の失速が白日の下に晒されて初めて、福田は自分の足で立つことを余儀なくされた。
 その二十七日夜、もしやの胸騒ぎから首相公邸に駆けつけた元首相・森喜朗、前参院議員会長・青木幹雄は、飄々と現れた福田のひとことに息をのむ羽目となった。
「ご心配なく。私は、安倍(晋三)首相のような真似は致しませんから」
 安倍への対抗心を隠そうとしない福田の痛烈な言葉には、森、青木が心配した補選惨敗の引責辞任はおろか、ポスト福田を狙う勢力が期待していた「サミット花道論」さえ蹴飛ばす思いが込められていたのだ。
 福田は急いだ。幹事長・伊吹文明ら党執行部に政調会・総務会の手続きを踏む暇も与えず、一般財源化の閣議決定という既成事実を積み上げると、「福田は開き直った」「首相は上機嫌だ」という官邸情報が駆け巡った。福田が「総辞職も早期の解散・総選挙もない」と明言したという話も森、青木周辺から出回った。七月の洞爺湖サミット後の内閣改造に向け、福田主導で政権運営を立て直す反転攻勢である。
 確かに福田は高揚していた。五月七日には中国・胡錦濤国家主席を迎え、福田外交の華たる日中首脳会談が開かれた。
 焦点のひとつは、チベット問題で対中包囲網が敷かれるなか、媚中派とまで揶揄された福田が北京五輪の開会式出席問題をどう語るかだった。両国外務省の事前の詰めではまとまらず、胡主席側から出席要請があった場合の返答は首相判断に任された。結局会談でその要請はなく、最後は会談後の共同記者会見の出たとこ勝負となった。
「まあ、前向きに検討するということ。事情が許せば」。福田は会見で出席の言質を与えず、その瞬間、テレビカメラは胡主席がつばを飲み込む様子をとらえた。
 福田にすればしてやったりの心境だったのだろう。会見から三時間後、官邸で面談した米コロンビア大教授・ジェラルド・カーティスに福田は、頬を紅潮させて「改革とは量的に評価されるべき問題ではない。質的な評価が大切だ」と言った。そして内閣支持率の低迷を指摘する教授に、こう反論したのである。
「いいんです。わかってくれる人がわかってくれればいい」
 ただ福田のこうした高揚にある種の空虚さがつきまとうのは、結局、どうやって国民の支持を回復し解散・総選挙で民主党に競り勝つか、肝心要の政権戦略が伴っていないからだ。しかも、一般財源化にせよ、後期高齢者医療制度の見直しにせよ、実現するのは早くても来春の予算成立後だ。福田が「公約」をぶちあげればぶちあげるほど、その「達成」がなければ解散・総選挙に踏み込めないという蟻地獄に自民党は突入しつつあるのだ。
 五月二十二日、福田は日経セミナーで、「太平洋が『内海』となる日へ」と題する講演を行った。三十年後まで見通した包括的なアジア外交政策だといい、ポスト福田の先頭を走る元外相・麻生太郎の「自由と繁栄の弧」に対するアンチテーゼなのは明白だったが、官邸側がしきりと流した「福田ドクトリン、福田マニフェストだ」という前宣伝からはほど遠く、内政の諸課題には一切触れぬ内容だった。
消えた応援団は大連立だけではない。
 昨秋の大連立構想の浮上以来、福田の政局向きの相談相手を務めてきたのは元首相・小泉純一郎である。構想自体が萎んでも変わらず、「小沢を大事にすることだ」と福田にささやいてきた。
 九月の代表選前後に必ず、「反小沢」の動きが出る。小沢が勝てば前代表・前原誠司らが離党するかも知れず、負ければ逆に小沢が飛び出すかもしれない。「何とか風が吹き始めたようだ」と解散風を煽り、小池百合子に前原ら民主党若手グループを加えた会合では、「ここに総理候補が二人いる」と政界再編風を吹かせた。それは、大連立に代わる中連立構想により民主党を分裂させ、衆参ねじれの劣勢を跳ね返そうとする狙いがあった。
 民主党幹部らは、「前原の政治音痴には呆れる」と言いつつ、福山哲郎ら小泉、小池、前原会談に同席した参院議員らを締め上げ、次の会合への出席を止めさせた。野党が多数を占める参院の離党組の数がそろわなければ、衆院の前原が少数で飛び出たとて、与党の誰も喜びはせず、再編の衝撃もない。いわば前原を干しあげることで、中連立構想の芽を早々と摘み取ったのだ。
 小泉の動きは一気に失速した。山口補選の最中、総務会で加藤紘一が「後期高齢者医療制度の生みの親の小泉氏に選挙で説明してもらえばいい」と言い放つなど、小泉改革批判も巻き起こった。
 五月二十二日、東京・目黒で小泉チルドレンのひとり、佐藤ゆかりが開いた後援会の会合で講演した小泉は「当分、衆院選が終わるまで民主党は何でも反対だ。しかし選挙が終われば自民、民主いずれも協力し合っていかないといけない」と言った。聴衆の拍手はいつも通りだったが、語ることの意味は事実上、選挙前の中連立の「断念」以外のなにものでもなかったのである。
■哀願する小沢
 再編風も吹き止み、攻め口も見失った自民党を冷たく見据えるのが民主党である。
「福田を大事にしないといけない」。山口補選の最中、勝利確実の報告を受けた幹事長・鳩山由紀夫や元国対委員長・川端達夫、国対委員長代理・安住淳らは、いち早く戦略の立て直しを進めていた。そこで出た結論は、補選に大勝すればこそ、政権を追い詰める参院での首相問責決議案は提出しない、という逆説めいたものだった。
 実は、問責提出を心待ちにしているのはポスト福田を狙う自民党の面々だろう。政権が立ち往かなくなれば、自民党が今年九月に一年前倒しの総裁選を断行し、麻生や元防衛相・小池百合子らが競い合って、ちょうど森から小泉への華々しい首相交代劇で自民党が息を吹き返したように、直後に総選挙に打って出るやもしれぬ。むしろ、生かさず殺さず、低迷したままの福田政権を相手に総選挙を迎える方が得策だ……。
 かつて小泉が説いた「小沢を大事に」というキーワードにのしをつけて「福田を大事に」と送り返した形である。それは政局の主導権を民主党が握ったという万般たる自信の表れであると同時に、もはや「われらが」小沢は小泉が望むような民主党内乱の火種にはならないという秘かな自信の発露でもあった。
 日銀総裁人事騒動の最終局面、四月八日夜、民主党本部。鳩山や川端、安住らはそれまで与党が提案した財務省出身の前財務官・渡辺博史の副総裁起用を呑む腹づもりだったのだが、小沢が反対を貫き、鳩山も結局は役員会で「不同意」を提案した。
 だが鳩山が驚愕したのは、その直後の代表室での小沢の行動である。二人きりになるや、いきなり鳩山の両手を握り、「すまない。ここは反対すべき政局の局面なんだが、苦労をかけた。頼むから幹事長を辞めるなんて言わないでくれ」。
 そこにはもはや「嫌なら出ていけ」と言い放った剛腕小沢の姿はなかった。大連立構想の蹉跌を経て鳩山、川端ら新実権派が党を掌握し、小沢がその上に乗る新たな民主党の権力構図が誕生したのである。
 山口補選翌日の記者会見。「問責は出すのか」との記者の問いに、小沢はさらっと、しかし重要なメッセージを発した。
「この補選の結果自体が、国民の福田内閣に対する問責だと思っている」
「福田を大事に」との路線を小沢が受け入れ、問責を出す必要はない、と表明した瞬間だったのだ。
「任期満了選挙にも対応できるよう政治資金を準備しておけ」。補選直後から民主党執行部は、資金難から早期解散を求めてきた全国の若手候補たちに極秘指令を出した。
 奇妙な凪の正体は、小沢民主党が長期戦に転じた結果であり、早期の解散・総選挙を恐れ、福田を代えるタイミングを見失った自民党が陥った閉塞状態とも言える。
 森や元幹事長・中川秀直らが説く洞爺湖サミット直後の内閣改造も政権のカンフル剤になるかどうかは心許ない。共同提言を発表した麻生と前官房長官・与謝野馨に共に入閣を願うのか、あるいは分断するのか。野田聖子、小池百合子らを要路につけたとて、一気に支持率を回復させられる保証はない。新著にあえて自らの女性スキャンダルの経緯を記した中川秀直にしても、改造での入閣を望んでいるとの見方が党内ではもっぱらだ。幹事長・伊吹、政調会長・谷垣禎一の交代を求める声も燻っており、党人事を含めた抜本治療ができなければ残るのは不満と失望だけである。
 福田の後見人たる森でさえ、官房長官・町村信孝や中川秀直には「次の首相は君らはまだ早い。清和会は次はひくべきだが、大事なのは最大派閥が誰を担ぐかだ」と釘を刺す。「純ちゃんの小池話はあれは趣味だ。小池だって、次の次狙いさ」とつぶやき、ポスト福田の流れがどこに落ち着くか、それを見極める風情である。
 だから福田の高揚ぶりを尻目に、ポスト福田の準備運動はあくまで水面下の動きにしかならない。五月十五日、東京・築地の料亭「吉兆」。古賀、谷垣両派の正式合併の二日後、新派閥の会長に就いた古賀誠と麻生が会った。
 森英介、浅野勝人の麻生派衆院議員二人が陪席したが、上座ひとり、下座三人で設営されていた宴席を、五分前に到着した古賀が二対二に代えさせ、自分は麻生の対面の上座に座った。
「オレと太郎ちゃんはもともと悪くないんだ。間に入った奴が悪い」。古賀がそう言い、森と浅野の二人が大げさに首を縦に振って宴は始まった。「田中六助先生も出来なかった宏池会の会長になれて本望だ」。古賀の漏らしたひとことに、麻生は黙り込んだ。この先、麻生派との合併があれば宏池会は完全に復活する。古賀なりの、連携への誘いだったのは間違いない。
「改革には改善と改悪がある」。ここにきて麻生も、小泉改革路線の全面否定の姿勢を微妙に変え始めた。「与謝野との提携にばかり気をとられ、小泉改革を完全否定すると、小池を勢いづかせることになる」。古賀との歴史的和解を誰よりも望む古賀派の党選対副委員長・菅義偉の忠告を受け入れた結果である。安倍、中川昭一ら保守陣営から、与謝野、古賀まで広範な支持基盤を麻生が構築できるかどうか、ポスト福田の構図もまた鮮明になってきた。
 だが、それでも政治は動かない。政変のエネルギーは臨界点まで蓄積されているのに、長期戦略に転じた民主党に主導権を握られ、自民党内から「福田おろし」のトリガーをひく人物や勢力が出てこない。福田の高揚の陰で、自民党政権の生命力は刻一刻と削られていくのだ。(文中敬称略)

2008年5月27日

赤坂太郎 文藝春秋5月号

「五月退陣」か 福田政権の断末魔
民主・小沢に見捨てられ、党内実力者も敵に回し……ついに万事休すか
(http://www.bunshun.co.jp/mag/bungeishunju/akasakataro/0805.htm)

日銀総裁が戦後初の空席に追いやられる異常事態。ガソリン値下げ問題を巡る混乱。首相・福田康夫を襲った「四月危機」に政変を告げるきな臭さが立ち込めていた。
「見直すべきは大胆に見直す決意をいたしました。道路特定財源の改革案を国民の皆様にご説明させていただきたい」
 三月二十七日夕、首相官邸。福田は真っ赤な緞帳を背に緊急記者会見に臨んでいた。ガソリン税の暫定税率の期限が三十一日に迫り、二○○八年度に即時廃止・値下げを唱える民主党に対する新提案は「道路特定財源制度は今年の税制抜本改正時に廃止し、○九年度から一般財源化する」だった。
「ええッ!」。会見に先立つ午後。長男の政務秘書官・達夫が自民党役員会に新提案を届けた途端、室内は騒然となった。幹事長・伊吹文明は「党内手続きを取っておりませんね。政府の考えをお示しになった」。選挙対策委員長・古賀誠は「首相を支える姿勢は変わりないが、中身はびっくりした」。総務会長・二階俊博は「どうせ民主党は乗ってこないのだから、何を提案しようと同じだ」とつぶやいた。福田は古賀、二階ら道路族有力者の離反を招きかねない危険を冒しながら、民主党案には「暫定税率廃止は現実を無視した議論」となお一線を画した。民主党代表・小沢一郎は二十八日の会見で「(福田と)何回会ってもいいが、かみ合わないでしょう」と突き放した。腹背に敵を抱え「私は決してあきらめていない」と力んで見せる宰相には悲壮感すら漂った。
 福田にはまるで似合わないトップダウンの演出。いくつかの伏線があった。
「不在其位 不謀其政(その位にあらざれば、その政を謀らず)」
 二十六日夜、元首相・小泉純一郎は元自民党幹事長の中川秀直と武部勤、二階との会合で自らこうしたためた書を披露した。「論語」の一節だ。「責任ある立場にない者があれこれ言うべきではない」。小泉はこう解説した。「責任ある首相が道路財源問題で修正を決断したのなら、我々はそれをしっかりサポートしなければならない」
 裏返せば福田自身が「宰相の責任」を果たせ、との強烈な檄だ。小泉の意を汲んだ中川は福田に接触、「一般財源化で改革断行の姿勢を示す」「強行策は避け、民主党と話し合う姿勢を貫く」などのメッセージを国民に発信するようひそかに進言した。
 これより前の二十日。参院で主導権を握る民主党の二度の拒否権行使でこの日から日銀総裁が不在となった。春分とは思えぬ氷雨が官邸の屋根を叩き、沈鬱な空気を鈍色の空が一段と重苦しくした。福田が休日返上でまず呼びこんだのは、知恵袋として頼る前官房長官・与謝野馨だった。
「日銀人事、大変なことになりましたね」
 そう気遣う与謝野に福田は「一般財源化、どうだろうか?」と相談を持ちかけた。前日夕、政調会長・谷垣禎一らに将来の一般財源化も視野に民主党との修正協議に入るよう第一弾の指示を出したばかりだった。
 かねて一般財源化を唱える与謝野は「合理的な考え方だと思います」と背中を押した。暫定税率の扱いを巡っても「どうせなら原油高対策もセットで考えてはどうですか」と思い切った事態打開策の「頭の体操」をして見せ、福田も思案を巡らせた。
 与謝野と入れ替わりに現れたのは中川だった。福田を送り出している最大派閥の町村派で「領袖」意識を日に日に強め、やはり宰相の相談役を自任して頻繁に訪れる。
「日銀総裁の空白はなるべく短い方がいい。できるだけ早く次の提案をすべきです」
 中川は福田にこう説き、「民主党は財務省出身者は次官経験者以外も含めて全部ダメ、ではなさそうです」と独自の情報収集の感触も改めて伝えた。
 与謝野と中川を休日に続けざまに呼んだこと自体が非常事態を物語っていた。ただ、この二人すら福田とぴったりとは言い切れなかった。与謝野の訪問は五十日以上前の一月二十八日以来。不倶戴天の中川の側近、元金融相・伊藤達也を福田が社会保障担当の首相補佐官に突然、抜擢したのを危ぶんで「呼ばれれば喜んで出向くが、頼まれもしないのに自分からは行かない」と官邸との間合いを微妙に測り直していた。
 財務省嫌いの中川も日銀人事の核心の相談は受けていなかった。福田が総裁候補に本命の前副総裁・武藤敏郎、さらに国際協力銀行総裁・田波耕治と財務(旧大蔵)次官経験者を相次いで提示し、民主党にことごとく蹴られたのを見て、盟友の慶大教授・竹中平蔵にあらぬ疑念を思わず口走った。
「これは財務省と小沢が裏で手を組んで福田倒閣に動いているんじゃないのか!」
■福田の三つの誤算
 実は福田は一月末には「日銀総裁の方は何とかなりそうだなあ」と周辺に漏らしていた。それが二月に入って三つの大きな誤算や読み違いが重なり、情勢は一変した。
 第一の誤算。二月一日、元幹事長・加藤紘一と元副総裁・山崎拓が官邸を訪れた。超党派議員団で韓国を訪問、新大統領・李明博と会談するため福田の言づてを預かる目的だったが、ここで加藤が仕掛けた。
「日銀総裁で財務省と日銀のたすき掛け人事はもうやめるべきだ。民間人がいい。ここは奥田碩前日本経団連会長しかいない」
 福田は確たる返答はしなかったが、はっきり否定もしなかった。奥田も一案ではあったし、「お話は承った」と頷いただけだったが、加藤は手応えありと決め込んだ。
 十日、加藤と山崎は民主党内で小沢批判の急先鋒である元政調会長・仙谷由人、元幹事長代理・枝野幸男らとソウルへ飛んだ。加藤は「奥田総裁」構想を仙谷に耳打ちし、「福田首相も了解している」と囁いた。
 昨秋の大連立工作に怒髪天を衝(つ)いた仙谷は、福田が道路財源の「つなぎ法案」を土壇場で取り下げたのを見て、両党首のもたれ合い再燃を疑った。仙谷や枝野にとって財政・金融の分離は結党以来の「党是」に等しい。小沢が「武藤総裁」人事を奇貨として再び大連立に傾けば、九月の党代表選挙をにらみ小沢下ろしに動く腹だった。
 そこへ自民党から飛び込んできた「奥田総裁」構想は非小沢グループを一気に勢いづけた。十日、仙谷はソウルで同行記者団に気炎を上げた。小沢への宣戦布告だった。「福井俊彦総裁、武藤副総裁の過去五年間の金融政策を総括すれば、武藤氏を続けて総裁に押し上げるという論理にはならない」
 仙谷は党長老の税制調査会長・藤井裕久に「奥田総裁」構想を伝え、藤井は旧知の自民党ベテラン議員に「福田もOKした話」と触れて回った。非小沢系を中心に民主党内に広がった根拠の薄い期待感が「武藤総裁」への心理的ハードルを余計に高くした。
小沢は「武藤総裁」容認の余地を残せるよう、慎重な発言を続けていた。十二日の会見では「現実に一千兆円にも上る国債を発行しており、金融政策と密接な関係もある。財金分離という論理だけで片づけるものではないという意見もある」。
 非小沢グループは不穏な動きをエスカレートさせた。早大教授・北川正恭が「次期衆院選では自民、民主両党ともまっとうなマニフェストを掲げて政権の選択肢を示せ」と旗を振り、賛同した超党派議員が立ち上げた「せんたく議員連合」が拠点である。
 二十日朝、都内のホテルに各党発起人が集まった。民主党は広報委員長・野田佳彦、前政調会長・松本剛明、枝野らが勢ぞろい、「反小沢の梁山泊」の様相を呈した。姿こそ見せなかったが、代表経験者でポスト小沢をうかがう岡田克也と前原誠司までが顧問に名を連ねた。「自民党の顧問に小泉を担ぎ出そう」。小沢の大連立に対抗するこんな構想すら浮き沈みした。小沢包囲網が狭まり始めていた。うかつに福田と談合に動けば、小沢下ろしの口実を与える――小沢は党内基盤の揺らぎを実感し、身構えざるを得なかった。「民主党内政局」が日銀人事とリンクした。第二の誤算だった。
 十九日のイージス艦の漁船衝突事故などで民主党は福田政権に拳を振り上げ、〇八年度予算案の衆院通過に向けた国会の地合いが怪しくなった。福田は日銀人事案の提示をためらい、大事にじっくり運ぼうとした。「何とかなりそうだ」という感触がまだ尾を引いていたからだ。
 福田は日銀人事の前に、まず予算案の年度内成立を確実にするための衆院通過を急ぐ選択をした。これが第三の誤算で、かつ、致命傷となった。二月二十九日夜、民主党などが猛反発、欠席のまま与党は予算案を衆院本会議で強行採決した。翌三月一日、小沢は地元岩手県へお国入り、盛岡市のホテルで開いた党県連大会で首をかしげた。
「一週間予算成立が遅れても、国民生活には支障をきたさない。なぜ強行採決しなければならないのか。私の常識では不可解だ」
「不可解」の一言に福田との決定的なすれ違いがのぞいた。福田は道路財源の将来の一般財源化には早くから柔軟だった。だが、修正協議は民主党が主導する参院を舞台とし、時間がかかると決め込んでいたため、予算案も早く参院に送ろうとしたのだ。
 小沢にとって、福田が大幅譲歩して予算修正まで踏み込むことが話し合い路線に乗る大前提だった。予算案に民主党案を「丸のみ」に近い形で反映させ、根幹部分の共同修正で〇八年度からの実現を勝ち取れば、賛成に回れる可能性も秘めていた。政権の政策を体現する本予算への賛成は事実上の与党化宣言に等しい。これこそ「政策の実現」を口実に党内の反発を抑え、大連立に道を開く最後のウルトラCだった。
 予算修正は衆院でしかやりようがないのに与党は参院に舞台を移してしまった。福田の方から大連立の可能性を断ち切った。小沢はそう受け止めた。だから「不可解」だったのだ。党内基盤はガタつき、福田は打てども響かない。手詰まりの小沢は代表の座を守る方を優先し、福田への未練を捨てて対決路線に回帰せざるを得なかった。
「政府・与党との信頼関係が現時点で完全に失われた」。小沢は一日の会見で、過去にない強い調子で福田政権を非難して見せた。「福田内閣を見ていると危うい。国民のためにも早く総選挙をした方がいいし、可能性は十分ある」。
■五月解散シナリオ
 民主党の審議拒否で参院予算委員会の空転が一週間続いた、七日。福田は連絡が途絶えた小沢の変心をつかみきれないまま、丸腰で武藤総裁案を国会に提示した。
「何だって! 党首会談で合意するよう、裏で話がついているんじゃないのか?」
 五年前、最も信頼した財務官僚の武藤を総裁含みで副総裁に任命したのは小泉である。財務省から「実は国会同意の段取りが心配で……」とご注進を受け、天を仰いだ。参院は十二日、武藤総裁案を否決した。福田は「一週間前には小沢は『武藤で構わない』と言っていたんだ」と周辺に憤怒をぶちまけたが、後の祭りだった。
 小泉は十三日、チルドレン、片山さつきが地元浜松市で開いた国政報告会に乗り込むと、「首相も小沢代表も胸襟を開き、譲り合う所は譲り合い、話し合ってほしい」と手遅れなのは分かっていながらも党首会談を促した。腹心だった元秘書の飯島勲は駒沢女子大客員教授に就任、事務所には戻らない。情報ルートが細り、後手を踏んだ。
 その前夜、小沢は都内の中華料理店にシンパの若手議員を招集した。「福田政権は不可解だ。何を考えているのかよく分からない」と繰り返すと、呟いた。「五月解散がありうる」。そのシナリオはこうだ。
「福田にはもはや解散に踏み切るパワーがない。追い込まれれば内閣総辞職するかもしれない。新首相になっても安倍晋三、福田から三代続いて衆院選の洗礼を経ていないのだから、早晩、解散せざるを得ない」
 四月二十九日にはガソリン税の暫定税率を与党が衆院で再議決して元に戻す「増税」の環境が整うが、二十七日投開票の衆院山口二区補欠選挙で民主党が勝てば、福田の命脈はそこでほぼ尽きる。それでも「増税」で押し切るなら、参院で首相問責決議を突き付け、退陣に追い込む。新首相は「ご祝儀相場」を当て込んで五月解散に打って出て、いよいよ天下分け目の決戦となる――小沢は福田倒閣を宣言したのである。
 なおも福田の迷走は続いた。「福井続投」は民主党が門前払い、「奥田総裁-武藤副総裁」案は奥田が断った。秘書官も外し、携帯電話でコソコソ集めた「武藤以外なら誰でもいい、と非小沢系幹部が確約した」「参院で国民新党、無所属+民主党からも造反が出る」など断片情報に依存した末路が、財務省さえ「ひいきの引き倒しだ」とあ然とした十八日の「田波総裁」案だった。
 ポスト福田政局は臨戦態勢に入った。一番手の前幹事長・麻生太郎擁立に水面下で動く安倍を元首相・森喜朗と中川はしつこく口説き町村派に復帰させた。若手に影響力を保つ安倍にタガをはめる一方、派閥丸ごと麻生を担ぐ選択肢への布石でもある。
 古賀派と谷垣派は十三日、「中宏池会」への合流総会を催した。会長は数を固め政局のキャスチングボートをうかがう古賀。安倍と気脈を通じ、麻生も軍師と頼む選対副委員長・菅義偉には「誰も総裁候補を谷垣に決めたなんて言っていない。誰を担ぐかはその時の話だ。俺だって麻生を担ぐかも知れないんだから」と気配りも見せる。
 一月、麻生と中川の手打ちを仲介した菅は、近年、折り合いの悪い麻生と古賀の狭間にも立つ。この和解を演出できるか否かが、麻生の政権取りへの道筋を固めるうえでカギに浮上した。もう一人、じわりと擁立論が広がるのは与謝野だ。その与謝野には、安倍改造内閣で幹事長と官房長官で連携した誼(よしみ)で麻生自身が「もう一度、組もう」とけん制と懐柔に躍起になっていた。
 三月中旬の党代議士会。着席した古賀に麻生がにこやかに歩み寄り、話しかけた。座ったまま幾度も頷く古賀。麻生が離れ、次に与謝野が隣に来て挨拶すると、古賀はすっくと立ち上がり、深々と一礼して見せた。微妙な人間模様と思惑が交錯した一瞬。神経戦は本格化している。(文中敬称略)